出典:『伊勢神宮』:ぎょうせい
遷宮次第:矢野 憲一
177~178頁
『伊勢神宮』
「御樋代木奉曳式みひしろぎほうえいしき」
伐採された御木は、
沿道各地で約一週間の盛大な奉送迎を受けて
トラックで神宮の宇治橋前に到着。
昭和六十年六月十日、
内宮の御木は黒地に「大一」と染めぬく
揃いの法被に檜笠を着けた人々が木遣り音頭で五十鈴川を曳いた。
外宮は翌十一日、御木曳き車で宮域内に曳き入れた。
これは昔から「官曳」といい、
神宮式年造営庁の職員によって曳かれることになっている。
「御船代祭※みふなしろさい」
御船代という、御神体を奉安する御樋代を
納める御器を造る用材を伐採する祭りである。
内宮は昭和六十年九月十七日、
外宮は同十九日に、
それぞれの域内に宮山祭場を定め、
五色の幣を立て木の本の神を祭り、
童男・童女の物忌みが草木を刈り初め、小工が伐木の式をした。
これに合わせて木曽の山でも伐採式がなされた。
「御木曳初式おきひきぞめしき」
御木曳とは旧神領民(伊勢・二見・御園の三市町村)が
御造営用材を両宮に奉曳する五百年の歴史をもつ行事である。
昭和六十一年四月十二日に内宮、
十三日に外宮で、
棟持柱など代表の御木を昔からの由緒ある町々で曳き初めた。
これを「徴和男)という。
このあと昔からのしきたりによって、
旧神領民を中心として「本曳」といわれる御木曳行事で、
伊勢の町がわきかえった。
「木造始祭※こつくりはじめさい」
造営を始めるにあたり、
屋船大神に工事の安全を祈る祭りである。
昔は「手斧始」とか「事始神事」といわれた。
両宮とも昭和六十一年四月二十一日、
古式の饗膳を行なってから、
五丈殿前で正殿垂木材に
素襖・烏帽子に掛明衣の小工が墨縄を打ち、
技監と技師が手斧を振るった。
「御木曳行事おきひきぎょうじ」
内宮の御木槍五十鈴川を「川曳」する。
外宮は御木曳車で「陸曳」する。
御木曳車は六十台あり、
いちばん大きいのは
長さ七・五メートル、
幅三・三メートル、
高さ四・五メートル、
重さ六トン、
車輪の直径一・八メートル。
これに太い御木を積むとすごい迫力である。
曳く綱は数百メートルのロープ二本、
大きい町だと二千数百人が
「わん鳴り」という法螺貝のような重々しいうなりを響かせて曳く。
この行事は昭和六十一年四月~六月と、
翌六十二年五月~六月の二次にわたってなされ、
全国の神社関係者も「一日神領民」として多数参加された。
これはお白石持行事とともに最も賑やかな遷宮行事である。
「仮御樋代木伐採式かりみひしろぎばつさいしき」
遷御のとき、旧殿より新殿へ御神体を奉遷する御器の用材を伐る祭り。
昭和六十一年七月十三日、木曽の御杣山で行なわれた。
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