出典:『伊勢神宮』:ぎょうせい
遷宮次第:矢野 憲一
181頁
『伊勢神宮』
「御装束神宝読合」
遷宮はとかく造営が中心と思われがちだが、
神様の衣服や服飾品など「御装束」と、
神々の調度品である紡績具や武器、楽器、馬具、文具など
「神宝」を調進することも大事である。
平安時代初期の『皇大神宮儀式帳』の規定により、
古代の最高文化を
その降代ごとの最高の美術工芸家の手により
奉製した約八百種、千六百点余のみごとな御料を、
新宮に納めるにあたり式目に照らして読み合わせる式が、
十月一日に内宮、同四日に外宮の四丈殿でなされた。
「川原大祓かわらおおはらい」
遷御前日のタ方、御装束・神宝をはじめ
遷御に奉仕する祭主以下の神職全員を祓い清める式。
内宮は五十鈴川のほとり、
瀧祭神の南方で、外宮は中御池のほとり、
三ッ石のところでなされた。
祓いを受ける遷御奉仕者は遷御当日の正装で威儀を正すが、
その装束を略記すると次の通りである。
祭主は小袿・表着・緋袴・明衣・木綿蔓。
大宮司と少宮司は束帯黒方袍・明衣・木綿蔓・木綿襷。
禰宜は束帯赤袍・明衣・木綿蔓・木綿襷。
権禰宜のうち五名は束帯緑袍・掛明衣・木綿蔓。
権爾宜・宮掌・宮掌補・楽長・楽師は衣冠・掛明衣。
臨時出仕は白雑色・赤単・平礼烏帽子・白くくり袴。
同裾取は松葉色雑色・赤単・平礼鳥帽子・松葉色くくり袴。
「御飾おかざり」
遷御当日の昼、
新しい御装束で新殿を装飾し、
遷御の準備をする式。
「遷御※せんぎよ」
内宮は平成五年十月二日、午後八時。
外宮は三日後の十月五日、午後八時。
いよいよ遷宮のクライマックス、
大御神が本殿から新殿へお遷りになられる。
この日は快晴、
早朝から準備は着々と進められ緊張感の漂うなか、
午後からずっと参道沿いの奉拝席に控える
三千人余の特別奉拝者が全国民を代表して待つ。
やがてタ刻、衣冠をつけた供奉員はじめ参列員、
式外参列員三百人余も所定の席に着く。
午後六時、大鼓を合図に勅使・小出英忠掌典長と勅使随員、
随行員、さらに祭主以下の百数十人の奉仕者が参進。
第二鳥居外で勅使の修祓につづき、
玉串行事所から両手に太玉串を執り、
勅使や祭主、大少宮司、顧宜が正宮の中重に進む。
そして内玉垣御門下に太玉串を納めて内院の版位に着き、
勅使が新宮へお遷りを請いまつる御祭文を奏上。
大少宮司が本殿を開扉し殿内に点灯して、
祭主・大少宮司、禰宜が祇候する。
ついで権禰宜の読み上げる召立文に従い、
御装束神宝を捧持した宮掌と宮掌補が列をととのえ出御を待つ。
やがて庭火も消され浄闇。
天の岩戸開きの故事による鶏鳴三声(内宮はカケコー、外宮はカケロー)。
勅使が出御を三たび奏上。
午後八時、神儀は大宮司・少宮司・顧宜に奉戴せられて
白い生絹の行障・絹垣に秘められて厳かに出御される。
勅使が前行し祭主が供奉された御列は、
瑞々しい新殿まで約三百メートル、
十二名の楽師による道楽の調べと、
勅使随員の「オー」という重々しい警蹕の声につれて、
前陣・後陣と進みゆく。
この刻、天皇陛下には皇居神嘉殿前の庭上に下り立たれ、
御拝をなされたと聞く。
三千人余の奉拝者からはいっさいの言葉が失われ、
呼吸することすら忘れ、柏手が浄闇のしじまを破る。
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