2013年10月5日土曜日

倭姫命世記:天孫降臨


 『伊勢神宮』
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 『倭姫命世記:天孫降臨』

 天地開闢のころ、初めて日が昇る時に、

 御饌都神は、幽けき契を結んで、

 永く天下を照らし治めることの、言寿ぎをされた。

 或いは月となり日となり、永く落ちることなく、

 或いは神となり皇となり、常に窮み無かれと。

 その光が国々を照らし始めて以降、

 高天原に神とて留れる皇親神漏岐、神漏美命の二神に寄せて、

 八百万の神たちを天の高市に集へさせ、

 神たちの神議りにより、

 「大葦原の千五百秋の端穂国は、

  吾が子孫の王たるべき国なり。

  安国と平らけく、我が皇御孫尊の天降りて知ろし食せ」と、

 言を依せた。

 かく言を依せた国中に荒振る神たちを神祓へ平らけむと、

 神たちの議りによって諸神が申すには

 「天穂日命を遣して平けむ」と。

 そして天穂日命は天降ったが、

 この神は返り言をすることがなかった。

 次に遣はされた(子の)健三熊命も、

 父神にしたがって返り言をしなかった。

 さらに遣はされた天若彦も返り言をせず、

 高つ鳥の殃によって立ち処に身を亡した。

 そこで天津神の御言によって更に量り、

 経津主命と健雷命の二神が、天降った。

 二神は、大己貴神とその子・事代主神に語言ひして、

 大己貴神が国造りのときに身につけた広矛を借り受け、

 螢火光る神や五月蝿なす声邪しき荒振る鬼神たちに、

 神祓へ神和めを為すと、語問ひ磐根や樹立、

 草の片葉まで語を止めたので、

 二神は「葦原の中つ国は皆すでに祓へ平らけ定めぬ」と復命した。

 天照大神は、八坂瓊の曲玉・八咫鏡・草薙剱の三種の神財を皇孫に授け賜ひ、

 「永く天つ璽となして、この宝鏡を視ることまさに吾を視るが如くし、

  ともに同床共殿せる斎鏡となし、

  宝祚の隆はまさに天壌と窮まり無し」と宣たまった。

 天津彦火瓊々杵尊に伴神としたがふ天児屋命は、

 先駆の祓へを掌って宣たまふに「謹み請ひて再拝す。

 諸神たち各々念へ。この時天地清浄と、諸法は影像の如くなり。

 清浄は仮初にも穢れ無し。説を取りて得べからず。

 皆因より業を生せり」と御言を省みた。

 また、太玉命は、青和幣白和幣を捧げ、

 天牟羅雲命は、太玉串を取り、

 かくして三十二神が前後に相副って従ひ、

 天の関を開き、雲路を分けて道を祓ひ、

 皇御孫命は、天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて、

 筑紫の日向の高千穂の串触の峯に、天降り到った。

 それより天下を治らすこと二十一万八千五百四十三年。

 この時、天と地は未だ遠からずあり、

 天つ柱を立てて天上に挙げ届けた。

 天津彦彦火瓊瓊杵尊

 〔正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の太子。

  母は栲幡千姫で、高皇産霊尊の女〕。

 彦火火出見尊

 〔天津彦彦火瓊瓊杵尊の第二子。

  母は木花開耶姫で、大山祇神の女〕。

 天下を治らすこと六十三万七千八百九十二年。

 彦波瀲武鵜草茸不合尊

 〔彦火火出見尊の太子。母は豊玉姫で、海童の女〕。

 天下を治らすこと八十三万六千三十二年。


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