2016年2月15日月曜日

武蔵国足立郡⑤

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ≪ギリシャ用語≫

 ギリシャ用語:(Grk.)

 μηδομαι

  工夫する、案出する、謀る、企てる、案ずる 道臣(大伴氏)

 μηδα 目的、企図、企み、計画、計略:参謀

 εν-σεβεύα 敬虔、敬神、神に対する畏怖

 εν-σεβεω 敬虔・敬神的である

      〇尊敬する、敬う、忍日(オシピ)臣(大伴氏)

 εϋ-σεπτος 神を敬う

 ευ-σεβης 敬虔な、敬神的な、神聖な

 βιά 力、強さ、暴力〇権力、兵力 日(ピ)臣(大伴氏)

 μιτις 智恵、智謀、〇技、策、奸智、奸計

 κικιννος 巻毛

 μαλλας 毛房、羊毛の房、羊毛

 μαλιον 巻き毛

 πλοκαμος 巻毛、編んだ髪、毛の房

 ιαχεω 大声で叫ぶ、鳴り響く、音を立てる

 κομη 頭髪、〔日本語〕髪=κομς(詩) 活根→雷
 
 κομαω (女)κομαωσα 髪を長く伸ばす

   (植物が)繁茂する 〇上小(かみしょう)町(大宮) 

 χιμαρος 牡ヤギ

 χιμαιρα 牡ヤギ

 νάρος 流れる

 νενρα 弓の弦

 θησαυρος 貯蔵室、宝庫、倉庫、金庫

          〇大成:武蔵

          貯蔵室、財宝、高価な獲物

 θησαυριξω 積み上げる、貯える、保存、保管する

 ταμεια 管理、(特に)財産・家計の管理、貯蔵
     
        〇多毛 兄・たもい

 ταμενα 管理する、(特に)を管理する、制御する

        貯える
 
 ταμειον 貯蔵室、倉庫、金庫、宝蔵 (日)ためる

 τηϋχος 武具、甲冑、鎧

 Ἀριστοτέλης

  紀元前384年、トラキア地方のスタゲイロス

  (後のスタゲイラ)にて出生。

 άριστη 最もすぐれた、最上(最善)の、

        最も高度の、最も勇敢な

2016年2月12日金曜日

武蔵国足立郡④

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 ≪武蔵国足立郡≫

 与野・Iwv:ギリシャ/Yona(パーリ語)・浦和

  (Sk.)yavana<語形によれば元来Ionia人> 

    ギリシャ人、ギリシャ系の王侯

  (Heb.),יַוַנ,YVN,yavan ギリシャ

  (Heb.),יַוַנִי,YVNY,yavaniy ギリシャの、ギリシャ人

  (Lat.)Iones イオニア人

  (Grk.)Ιων Ιωνιαの、Ιωνια人

     小アジア地方のイオニア地方
  
 (ペルシャ語)Yauna

  (パーリ語)Yona Yavana(Sk.)の短縮形、

      時として接尾語 Ka を付けて Yonaka

  霧敷川(鴻沼排水路)

  ギリシャ川:ギリシャはラテン語に始まる。

  (Grk.)γιενκος(輝く目の、青い眼の/アテナ神)に由来

  (Lat.)Graecia Graeciの国、Graeci ギリシャ人 

         <旧名切敷川> 吉敷町(旧大宮市)

  天祖神社(旧)与野市本町西二丁目

   祭神:寿老神 Ζενς,Ζεϋ,Dια,Dιος

           〔ゼウスの〕Διι,Δι(明治8年まで神明社) 

  一山神社(旧)与野市本町東四丁目

   祭神:一山大神 

  Ιδη 山

   ➀Φρνγια(フィルギア)の山 

          (Μνσια、トロイの地方)

    ②Κρητη(クレタ島)の山、

      Ζενςはここで育てられたと伝えられる。

 大国社

   ➀διο-γενη Ζενς(ゼウス) から生まれた、

            つまり、ギリシャ

    ②「Dια,Dιοςの国」:「大の国」「Dι国」

 落合:おちあい(町名)

  Aθηναια、Aθηνά アテネ神、Aθηναιアテネ市

 浦和(旧市名)ονργος 技工、職工

  ξιψ-ονργος<クスィ・フィ-ウラコス> 刀鍛冶

 櫛引町(旧大宮市の町名)

  ξιψος<クスィフォス>

      剣(両刃で剣先の尖った直刀で長さ60cmほどのもの)

  ξιλονγος 木工、指物師

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2016年1月19日火曜日

調(つき)神社と岸(さいたま市浦和区)

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 《調(つき)神社と岸》

 「新編武蔵風土記稿」巻之百四十二・足立郡之八
 
  岸(キシ)村 

   小名 天神臺、十蓮字、元宮、大黒ヶ谷、

    虫ヶ谷、御蔵入、岸ノ下、

      岸ノ前、宮ノ西、宮ノ東、宮ノ北、

    宮ノ後、中道、中丸、

  御蔵蹟
  
     (一に蔵山と云、此地に御林六段五畝十二歩あり、)

  神社 調神社

     本社 石神社、蔵王社、稲荷社、第六天社、
          天神社、神明社

 「社寺戸籍部、社寺、明2372-2」:別添

  調神社~伊勢の大御神の末社なる調御倉社~

 「埼玉叢書」第六巻 調神社:別添

  "神祇寶典"、"経延考證"、"信友考證"、"覈録"、

  "武蔵国式内四十四神社命附"、"巡禮舊神祀記"、

    "新記巻四十二"

 「角川歴史地名辞典」浦和市小字名:別添

  浦和宿〔のうち〕岸の下、重蓮寺、岸、御蔵山、

    虫ヶ谷戸、

  下宿、大黒ヶ谷戸、元宿、宮前、第六天前、

  下木崎村〔のうち〕皇山(クラヤマトホリ)通、

    皇山(クラヤマ)

 「日本歴史地名大系」埼玉県

  下木崎村、皇山町(コウザンチョウ) 

  ○御室社は江戸時代には

      三室(みむろ)明神社と称し、

   領家村の鎮守であった。

 ※調神社の七不思議

  鳥居がない。

  境内に松の木がない。

  御手洗池にすむ片目の魚

  祭神の使い姫は兎

  日蓮上人駒つなぎの欅

  蝿がいないの七つ。

  意味不明のものも多いが、

  鳥居がないのは、

  伊勢神宮に奉納する貢物を運び出すのに

    邪魔になるから。

  また、日蓮上人駒つなぎの欅には

  文永八年(1271)上人が佐渡へ流される途中、

  難産に苦しむ土地の女性を救うため、

  駒をつないで祈ったという謂われがある。

  神社のご神木とされている。

 「先代舊事本紀」国造本紀

  无邪志国造、志賀高穴穂朝世」、

  出雲臣祖名二井之宇迦諸忍之神狭命十世孫

    兄多毛比命、

  定一賜国造

 「新撰姓氏録」出雲国神別

  出雲臣 同 天穂日命之後也

  土師宿禰 天穂日命一四世孫野見宿禰之後也

 「古事記」天菩命の子建比良鳥命

  此は出雲国造、无邪志国造、

    上兎上国造、下兎上国造、

  伊自牟国造、津島県直、遠江国造が祖なり

 『出雲国造』

       ┌ 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
       │
       │ 出雲国造始祖 2世   3世
       ├ 天穂日命───武夷鳥命─伊佐我命(櫛瓊命)─
 天照皇大神─┤
       ├ 天津彦根命
       │
       ├ 活津彦根命
       │
       └ 熊野櫲樟日命

 天穂日命-武夷鳥命-伊佐我命(櫛瓊命)-津狭命(津佐命)-櫛瓺前命-櫛月命-

 櫛瓺鳥海命-櫛田命-知理命-世毛呂須命-阿多命-氏祖命-襲髄命-

 来日田維命-三島足奴命-意宇足奴命-国造宮向臣-国造布奈臣-国造布禰臣-

 国造意波久臣-国造美許臣-国造叡屋臣-国造帯許臣-国造千国臣-

 国造兼遺臣-国造果安臣-国造広島臣-国造弟山臣-国造益方臣-

 ~43代(OR47代)-

 清孝┬孝宗(千家氏)-直国-高国-~
   │
   └貞孝(北島氏)-資孝-幸孝-~

 ※「ホヒ」「ボヒ」:穂日・菩卑

   BOH(boh):BOUS(bous)の複数形 牛

  「ヒナトリ」比良鳥、夷鳥

   HNI-TAUROS(hni-tauros)牡牛を駆る。

  「ノミ」野見

   NOMH(nomi)牧草地、牧草 NOMEUS(nomeus)牧者

  「タモイ」兄多毛比 

     〔兄多毛比命には弟多毛比命という"弟"があった〕

   DAMAIS(damais)馬を馴らす者

   DAMAS-IPPOS(damas-ippos)

    〔馴らす-馬〕馬を馴らす。

 ※无邪志国造 

    兄多毛比命の後裔は、浦和・大宮地域を支配した。

  氷川神社[さいたま市大宮区高鼻町]の奉祭氏族

  西角井家はその後裔 

 「調」

  貢物を朝廷へ呈出語義である。

  「租・庸・調」の制は、紀元671年後

  律令制度が始められてのものであり、

  調神社が伝承として伝える

  崇神天皇時代などには無かったものである。

  「調」とは朝廷が各地[国]より徴収した「物品」で、

  その地方の特産品が多かった。

 「続日本紀」巻六。和銅六年(713年)5月 元明天皇

  癸酉(十一日)

   相模、常陸、上野、武蔵、下野の五国の輸す調、

   元来是れ布なり、今より以後、絁、

      布並びに進らしむ。

 「続日本紀」巻七。霊亀二年(716年)5月 元正天皇

  辛卯(十六日) 駿河、甲斐、相模、上総、下総、

    常陸、下野の七国の高麗人

  千七百九十九人を以って武蔵国に遷し、

    高麗郡を置く。

 ※調宮は、和銅6年の朝廷の方針によって施けられた

  「調」の物品を集荷・収納しておくための

    「倉」「蔵」で」あった。

 「延喜式」巻二十四」、主計上 

   ○延喜901~923年(平安時代)

  武蔵国 調、緋帛六十丈、紺布六十丈、

    黄帛一百丈、紺布九十端、

  縹布五十端、黄布卌十端、

  自餘-輸絁、布

     庸、輸布

  ★8世紀初頭には全くなかった

      朝廷への貢物の「絁」が

   平安時代10世紀初頭にはこのように大量の

      「絁」・「帛」が送(輸)られるようになった。

 ◎「調」を「ツキ」と称するのは、

    この地〔武蔵〕以外には無い。

  无邪志国造 兄多毛比命を粗とする人々の用語

  「ツキ」 taksis 割当(量)、査定 

 ※朝廷が徴収する物品の「割当」:「調」

  taksos [植物] イチイ

  つまり"イチョウ"銀杏を指す。

 ※調神社境内には銀杏が多い。

 「槻」ツキ:「欅」ケヤキの一種

 ※調神社境内には欅の木が多い。

 ※調神社の境内・敷地の形状が中仙道側が一番広い。

  イチョウの葉の形に似て、奥が狭くなっている。

  「ツキ」 theki 容器、箱

      apo-theki 倉庫、穀倉

  ※「ツキ」は「倉」「蔵」を表わす。

  「新編武蔵風土記稿」 御蔵入、御蔵蹟[蔵山]:

     岸村の小名

   「社寺戸籍部・社寺」~調御倉社~

   「角川歴史地名大辞典」 御蔵山:浦和宿の小字名

 「岸」キシ:カシ[河岸]

  <広辞苑>河川の岸の舟から

            人または荷物を揚げ降ろす所。

      海や湖の岸にも謂う。

 「キシ」 öxìthi〔えきし〕高み、川岸、川堤、堀の土手

     oxthos〔おきそす〕高み、丘、塚、川岸、陵墓

     xoos〔こおす〕積み上げられた土 

     xow〔こおう〕(塚)を築く

 <複数形>xousi〔こおうし〕積み上げる、盛り上げる

 ※「岸きし」の本来の語義は「蔵」を建てるために

     築かれた「丘」、

  つまり、「積み上げられた土塁」である。

  「角川歴史地名大辞典」の

  浦和宿の小字名「御蔵山」の「山」に当たる。

  「ヤバ(矢場)」あるいは「弓場」

   yupha 〔ゆぱ〕高い所

  ※(現)浦和公園の区域には、

      小高い丘(塚)が築かれ、

   その上に「蔵」が建てられていたのである。

   同地は大宮大地の南端で、

   北、東、南は崖になっていて、

   侵入が難しく、安全上適地であった。

   この「蔵」は高床式建物とすれば、

   建物の支柱を土中に埋めて、

   より堅固なものとしたものとも考えられる。

  ◎下木崎村(旧)の御室社の「室」は「蔵」の別称で、

   当地の「皇山」町名の「皇こう」は

   上記の xoos、xow の音写で、

   ここにも何らかの「蔵」が

      建てられていたのであれば、

   その土塁である「丘」が「山」と

      通称されたものであるし、

   調神社の信仰者の地であれば、

   その性格を取り入れたものである。

 「続日本紀」巻三十一 光仁天皇 

  宝亀二年(716年)十月

 己卯<廿七>。

 太政官奏。

  武蔵國雖属山道。

  兼承海道行使繁多。

  ネ+弖供難堪。

  東山驛路。

  従上野新田驛。

  達下野國足利驛。

  此便道也。

  而枉従上野國邑樂郡。

  經五ヶ驛。

  到武蔵國事畢去日。

  又取同道向下野國。

  今東海道者。

  従相模國夷参驛。

  達下総國。

  其間四驛。

  往還便近。

  而去此就彼損害極多。

  臣等商量。

  改東山道。

  属東海道。

  公私得所。

  人馬有息。

  奏可。

  ◎掘津郷 「和名類聚抄正」武蔵國足立郡 「発度」

   ※同郷は当地のこと、

        (現)白幡沼、別所沼」と「沼」名になっている

    この「系流」はかって荒川へと繋がる「堀」で

        あったと推測され、

    調神社の根元域に船着場、

        つまり「津」が設けられ、

    そこから調宮の「蔵」で集荷・収納された

        物品「調」が舟によって運ばれた時期が

        あったことを示している。

 睦神社[浦和区白幡]

  「ムツ」「ムツノ」 medoh 支配者、

                    medou 守護する、支配する

 ※この神社の地所に「調」を管理監督する役目の

    「支配者」が居た

   白幡番場、「番場」は「番所」と同義

  根岸[浦和区、睦神社の近く、白幡の東隣り]

   ネ[根] nau 船、ネ岸 ここに船着場があった

   堀津の「津」は、"みなと"つまり「船着場」の語義

  ※岸町の西方に「西堀」の町名がある。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2016年1月18日月曜日

調神社(さいたま市浦和区)

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 《調神社(さいたま市浦和区)》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦 

 〔延喜式「神名帳」武蔵国足立郡調神社"ツキノ"〕

 「全国神社名鑑」

 調神社(つきの宮)浦和区岸町3の17の25

 祭神:

   天照大御神、豊宇気姫命、素盞鳴尊

 由緒:

   延喜式内社の古社で、

   創建は開化天皇の時代と云われ、

  朝廷及び部門の崇敬が篤かった。

  崇神天皇の勅使倭姫命が、

  当時高鼻郷の清浄な岡に調物を納める

   倉を建てられ、

   武蔵野の初穂米調集納運搬所として

   定められた。

  延喜五年菅原道真が参向。

  神社調の延喜式内国祭として

   奉幣使来拝者と定めた。

  (延喜の制国幣小社)

  宝亀二年従五位下中臣朝臣常恣勅使奉幣を賜う。

  調宮(つきのみや)は調(みつぎ)の宮の略で、

  屯倉が諸国におかれたときの屯倉の所在地であり、

 その跡に祭祀した社のことをいう。

 「調神社(つきのみやじんじゃ)の由来」

  〔調神社発行〕

  祭神 天照皇大神、豊宇気姫命、素盞鳴尊の三柱

  社名を調(つき)神社、

    地元では「つきのみやさま」と愛称されている。

  「調宮縁起」によれば、

    第十代崇神天皇の勅命により創建。

  調とは「租・庸・調」の調で

    伊勢神宮へ納める貢(調)物の初穂を

  納めた倉庫郡の中に鎮座していたと伝わる。

  (鳥居無きはその為と伝わる)

  平安時代に編纂された「延喜式」に記載される

  武蔵国四十四座のうちの一つである。

  中世、調が月と同じ読みから、

    月待信仰に結びつき、

  江戸時代には月読社とも呼ばれ、

  月神の使いとされる兎の彫刻が

    旧本殿や現在の社殿に、

  狛犬の代わりに兎の石像が境内入口両側にある。

  神域は約1万2千平米、欅、銀杏の大樹が

    鬱蒼と茂る鎮守の社と

  江戸時代末に建立の権現造の社殿が

    悠久の歴史を今に伝えている。

  毎年十二月十二日には「十二日まち」が開催され、

  神社では「かっこめ」を頒布、

    境内を中心に縁起物の熊手をはじめ

  様々な露店がが立ち並び、近在からの人手で賑う。

  ご利益は、

    運否天賦の「ツキはツキを呼ぶ」との謂れから、

  幸運を授かると信仰される。

 [日本歴史地名大系、埼玉県/平凡社]

  調神社(つきじんじゃ)(現)浦和市岸町三丁目
 
  大宮大地の南端に位置する。

    調宮(つきのみや)の名で広く知られる。

  旧県社、祭神は天照大御神、

    豊受比売命で素盞鳴尊を配祀する。

  「延喜式」神名帳に登載される足立郡四座のうちの

  「調(ツキノ)神社」が当社に比定される。

  社名から調を収納した足立郡の御倉(神座)に

  祀られていた神が発展したものと考えられる。

  同郡の調は東山道を通じ朝廷に送られたが、

  宝亀二年(771)武蔵国が東海道に所属すると、

  御倉は役目を終え神社として

    祀られようになったという

  (式内社調査報告書)

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
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氷川神社略記

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 《氷川神社略記》

 『武蔵一宮:氷川神社』

 Wikipedia:氷川神社

 Yahooh検索『武蔵一宮:氷川神社』

 Yahooh画像検索『武蔵一宮:氷川神社』

 『氷川神社略記』

  武蔵一宮 氷川神社
 
   御祭神 須佐之男命 すさのおのみこと   

       稲田姫命  いなだひめのみこと 

       大己貴命  おおなむちのみこと
       
   例祭日 八月一日

 「御由緒」

  今から二千四百有余年の昔、

  第五代考昭天皇御代三年四月の御創立で、

 聖武天皇の御代各国に一の宮の制を定められた時、

 武蔵一の宮と称えられ、

  後醍醐天皇の朝に定めれた延喜式には

 名神大社として月次新嘗案上官幣に預かり、

 又臨時祭にも奉幣に預かったことが記されています。

 明治の御代に至っては元年(一八六八)十月二十八日

 明治天皇当神社に行幸、御親祭なされ、

 当国の鎮守勅祭の社と定められ、

 次いで四年五月官幣大社に列せられました。

 年々の例大祭には勅使の御差遣、

  東游の御奉納などがあり、

 荘重厳粛な祭儀が行われます。

 又、氷川神社の社は大宮を中心に、

 埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及び、

 その数は二百八十数社を数えます。

 武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として

 民族的政治的に著しい発展をしたことを

 物語っているものと考えられます。

 「社殿の沿革」

  上代のことは詳らかにすることは出来ませんが、

 治承四年(一一八〇)

 源頼朝公が土肥次郎実平に命じて社殿を再建、

 文禄五年(一五九五)八月には徳川氏、

 伊奈備前守忠次を奉行として、

  社頭を残らず造営せしめ、

 次いで寛文七年(一六六七)三月には

  阿部豊後守を奉行として

 社殿の建立をしております。

 以来幾度の御造営あって今の御社殿は

 昭和十五年(一九四〇)六月の竣成で、

  流造りであります。

 「社頭風致」

  神社は元神領の大宮公園を控え、

  広大な聖地として、

 境内の広さ約三万坪、

 古杉老松は古えをしのばせ

  参道の長さは中山道の一の鳥居をから

  二キロメートル、

 旧国道十六号ぞいの二の鳥居は高さ十三メートルで、

 木造では関東一の高さをほこります。

 境内には楼門あり、舞殿あり、神橋あり、池水満々、

 四時の眺め輪奐の美を極め、

  霊気おのずと襟を正さしめます。

 「境内神社」

 摂社 門客人神社       足摩乳命   あしなづちのみこと
    もんきゃくじんじんじゃ 手摩乳命   てなづちのみこと

 摂社 天津神社        少彦名命   すくなひこのみこと
    あまつじんじゃ
 
 摂社 宗像神社        多起理比売命 たぎりひめのみこと
    むなかたじんじゃ    市寸島比売命 いちきしまひめのみこと
                田寸津比売命 たぎつひめのみこと             
 末社 山祇神社        大山祇命   おおやまづみのみこと
    やまづみじんじゃ

 末社 石上神社        布都御魂命  ふつのみたまのみこと
    いそのかみじんじゃ

 末社 愛宕神社        迦具土命   かぐつちのみこと
    あたごじんじゃ

 末社 雷神社         大雷命    おおいかづちのみこと
    いかづちじんじゃ

 末社 住吉神社        底筒男命   そこつつのおのみこと
    すみよしじんじゃ    中筒男命   なかつつのおのみこと
                上筒男命   うわつつのおのみこと
 
 末社 神明神社        天照大御神  あまてらすおおみかみ

 末社 天満神社        菅原道真公  すがわらみちざねこう

 末社 松尾神社        大山咋命   おおやまくいのみこと
    まつおじんじゃ     

 末社 御岳神社        大己貴命   おおなむちのみ
    みたけじんじゃ     少彦名命   すくなひこのみこと

 末社 稲荷神社        倉稲魂命   うかのみたまのみこと
    いなりじんじゃ

 「主な恒例祭儀」

 歳旦祭  さいたんさい    一月一日

 節分祭  せつぶんさい    二月節分日

 的神事  いくわのしんじ   二月七日

 祈年祭  きねんさい     二月十七日

 郷神楽  さとかぐら     三月十五日

 鎮花祭  はなしずめさい   四月五・六・七日

 御鎮座祭 ごちんざさい    五月九日

 道饗祭  みちあえさい    五月二十一日

 粽神事  ちまきのしんじ   六月五日

 大祓式  おおはらいしき   六月三十日

 例大祭  れいたいさい    八月一日

 神幸祭  じんこうさい    八月二日

 抜穂神事 ぬきほのしんじ   十月九日

 朔瓶祭  さくへいさい    十月二十一日

 新嘗祭  にいなめさい    十一月二十三日

 大湯祭  だいとうさい    十二月十日

 誓詔祭  さいしょうさい   十二月十一日

 ※この外、

    毎月一日には月次祭、

    十五日には献詠祭、

  国民奉祝の日にはそれぞれ祭事が行われます。

  大湯祭は俗に十日町・熊手市ともいわれ、

  十二日間に亘る長い祭典です。

  十二月十日には境内に縁起の露天櫛比し、

  酉の市として全国的に有名です。


 「人生儀式案内」

 安全祈願  妊娠五ヶ月の戌の日に安産祈願し、

              岩田帯をしめます。

 命名    誕生から七日目をお七夜の祝いといい、
    
          この日までに名付をいたします。

 初宮詣   男児は三十一日目、
     
           女児は三十二日目又は三十三日目に

              お宮参りをいたします。

 七五三祝  男女児とも三才を髪置、

       男児五才を袴着、

              女児七才を帯解けの祝いとして、

        十一月十五日に神社に参拝します。

 合格祈願  中学校、高等学校、大学とそ

              れぞれに合格祈願いたします。

 学業成就  又無事入学した方の在学中の

              御加護を願い学業成就祈願いたします。

 成人式   男女とも満二十才の年に

              成人式をして祝います。

 神前結婚式 千古の神域より

              新しい人生の門出を祝し、

              挙式いたします。

 厄除け祈願 女子は十九才、三十三才、

       男子は二十五才、四十二才   

              を厄年といい、

       厄除け祈願をいたします。

       交通安全祈願 交通安全、事故防止の為、

                
       諸車の交通安全祈願を行います。


 氷川神社社務所

 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

 電話 048-641-0137(代)

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2016年1月16日土曜日

武蔵国足立郡③

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ≪武蔵国足立郡≫

 川口(市名)「カワ・クチ」

  (Heb.),כַוֻר־הִתִֻיש,KVR-HTYX,kavur-hituiyx

     「炉ー(金属を)溶解する」="溶鉱炉"

  ※川口市は鋳物工業が盛んである。

  (Heb.),הִתִֻיש,HTYX,hituiyx 

      (形)(金属を)溶解する:鋳造業

  (Heb.),הַתַֻשַה,HTXH,hatuaxah

      (名)(金属などを)溶解すること

  花の枝(川口市東領家の小字名)「花枝」"ハシ"HT-

    弥平町(川口市東領家の北側の町)-YX

 ※(Heb.),הִתִֻיש,HT-YX,hituiyx (形)(金属を)溶解する

  飯塚(川口市川口の西隣りの地区)

   (Heb.),יֶתסיכַה,YTsYKH,yetsykah 

      鋳造、液体を器に注ぐこと

 蕨(市名)川口市の西側に接する。

  「ワラビ」(Heb.),צהֶרֶו,KhRV,cherev 

                    剣、刀、サーベル

    "藁火" 在原業平 "洞"

  鍛治作(蕨市北町三丁目辺りの旧字名)、

   川口市芝に至近

 入間市

  小谷田(こやた)「サコタ」śakti (Sk.)剣、刀、槍

  鍵山「カギ」(Heb.),כהַדגַ,,khadga 剣、槍

                (Sk.)漢訳:渇伽

  黒須「クロス」(Heb.),כהַרַסה,KhRSh,kharash 

            鍛治屋、技工、職人

    春日(春日神社より)「ハルカ」

   (Grk.)χαλκευς 鍛治屋、金属細工師

  新久(あらく)「アラク」

   (Grk.)ουργυς 技工、職工、職人

   域内に"カマ跡公園"窯遺跡が付近に多い

   この一帯で瓦を多く焼いた。

  扇台・扇町屋「オウギ」

   (Grk.)ουργια 技、職人仕事

 女体神社(川口市)

   ➀氷川女体神社(川口市宮本)

   ②大牧氷川女体神社(川口市大牧)

   ③附斯馬氷川女体神社

  大牧、大間木 (Heb.),ֶַמ,AM,aem

    (Heb.),ִַמַֻהָת,AMHVT,aimuahot 母、母親、族長の妻

   中尾神社(川口市中尾)

   「ナカオ」

    (Heb.),נֶכֶוָה,NKVH,nekevoh 女性、(動植物の)雌。

  御室神社(川口市木崎五丁目)
 
   三室(川口市の町名)。御室を訓み替えたもの。

  「オムロ」(Lat.)amor 愛 <伊奈町の小室と同根>

    女性の「母性愛」を讃え祝ったもの。

  原山(川口市の町名、三室、中尾の西隣り) 
 
  「ハラ」(Grk.)φιλος〔philos〕

   親しい女(妻、母親、愛人など)

   <親しい者、友、伴侶、愛する者、親愛な、

    好きな、好意を持っている、など>

   (Grk.)φιλια〔philia〕  

        愛、愛情、家族愛、友愛、友好、など。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
   

2016年1月15日金曜日

武蔵国足立郡②

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ≪武蔵国足立郡≫

 足立(アシタチ)神社:埼玉県

  木崎(中世)木崎郡戦国期にみえる郷村名

  足立郡のうち、

 「大日本地名辞典」針ヶ谷、北袋、本太、領家、

                    駒場等を号して木崎村と云ふ。

  吉敷(きしき)町:(さいたま市大宮区)
  
   昭和33年~現在の町名。町名は字名による。

   吉敷新田:江戸期の大宮宿の組名。

   住吉は外記新田、元禄の頃まで吉敷新田、
   
   その後吉敷(きしき)町と改めた。

  櫛引(くしひき)町:(さいたま市大宮区・北区)

   串引とも書く(武蔵田園簿、元禄郷帳)。県東部

   東を霧敷川、西を鴨川に挟まれた

   大宮台地の東側に位置する。

  北袋町(きたぶくろちょ):(さいたま市大宮区)

   地名の「フクラ」の意で、

   水流の屈曲によってつくられた広い平地を

   さすことによるという(地名誌)。

   埼玉県さいたま市大宮区の南端部に位置する。

   1932年(昭和7年)以前は木崎村に含まれていたが、

   木崎村が浦和町に編入された際に、
   
   北袋のみが大宮町に編入された。

  切敷川:(現)霧敷川

  岸(浦和区):

   地名は上古このあたりに大きな川があり、

   その岸に臨んでいたことに由来するという(新編武蔵)

  上木崎(浦和区)上木崎遺跡、古墳中期

   足立神社:

    上木崎、下木崎、北袋、瀬ケ崎、針ヶ谷

    五か村の鎮守。

  「和名類聚抄」足立郡堀津郷。    

   高山寺本に「発度」、

   名博本に「ホツト」の訓がある。

   余戸郷、発度郷、殖田(ウエタ)郷、

   稲直(イナオ)郷、郡家郷、大里郷

   「発度」は東急本、

   元和古活字本に郷名として取りあげられている。

   津はトと古代に訓ずる例がなく、ホリツ、ホッツ 
   とよまれた可能性が高い

   (埼玉県の地名大系、平凡社)

    発度=フッツ:篩・布都=剣、刀=経津

    経津:(Heb.),,HDO,

  風渡野:ふっとの(さいたま市見沼区)

   中世に風渡野郷。古代の発戸郷の遺名。

  二ツ宮(ふたつみや):さいたま市西区の大字

   江戸期~明治22年の村名。

  深作(ふかさく):さいたま市見沼区    

   江戸期~明治22年深作村。

  堀崎(さいたま市見沼区)

   江戸期~明治22年堀崎村。

   堀崎荘:「新編武蔵」にみえる荘名

    中世末期頃より用いられられた思われる。

 足立:忍立 asi-立:剣持/太刀持:猿田彦・Indra神

  埼玉神社=座<「延喜式」神名帳>平安時代
 
   二祭神 足立神・忍立神

 木崎:切先(きっさき):吉敷

  尖端 Koti-koti-mat:小島、皇山(皇山町/浦和区)

 本太(モトフト):(浦和区)本=元/太=布都  

  発度・堀津(Heb.),הַד,HD,had 剣の切先、尖端、布都

  「元太」とも書く(新編武蔵)、

  地名の由来については、当地の氷川社の社殿に

  「元府跡」と書かれていることから、

  国府の出先機関があったからという説。

  「ふと」は低地や耕作・居住に適する地という

  意味があるためという説(地名誌)がある。

  小字名「前地」マエチ、=サキチ Sakti=剣、刀

 元町(浦和区)もとは大字本太の一部

 前地(まえち)(浦和区)もとは大字本太、太田窪の一部

  Sakti=剣、刀
 
  「新編武蔵風土記稿」足立郡之丸木崎領上木崎村

 高埇(タカハナ)明神社

  祭神:猿田彦命

   當村及ヒ下木崎村、北袋、瀬ケ崎、針ヶ谷

   五村ノ鎮守ナリ境内ニ観音堂アリコレハ村民持

  末社:稲荷社、神明社、

  神主:村田近江吉田家配下ナリ

 神明社二ヵ所 小名 荒井 中道通り 曾ノ谷 新田口

 元太村 小名 後谷、精神場町、堀ノ内山ノ番在家

 神社:氷川神社 村の鎮守ナリ、 末社:住吉社

 天満宮、神明社 以上ノ三社ハ村ノ持ナリ

 稲荷社:光臺寺持

 寺院:延命寺天台宗中尾村吉祥寺末来迎
   
    山地蔵院ト云本尊地蔵を安置 

    天王社、山王社、弥陀堂