2016年1月19日火曜日

調(つき)神社と岸(さいたま市浦和区)

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 《調(つき)神社と岸》

 「新編武蔵風土記稿」巻之百四十二・足立郡之八
 
  岸(キシ)村 

   小名 天神臺、十蓮字、元宮、大黒ヶ谷、

    虫ヶ谷、御蔵入、岸ノ下、

      岸ノ前、宮ノ西、宮ノ東、宮ノ北、

    宮ノ後、中道、中丸、

  御蔵蹟
  
     (一に蔵山と云、此地に御林六段五畝十二歩あり、)

  神社 調神社

     本社 石神社、蔵王社、稲荷社、第六天社、
          天神社、神明社

 「社寺戸籍部、社寺、明2372-2」:別添

  調神社~伊勢の大御神の末社なる調御倉社~

 「埼玉叢書」第六巻 調神社:別添

  "神祇寶典"、"経延考證"、"信友考證"、"覈録"、

  "武蔵国式内四十四神社命附"、"巡禮舊神祀記"、

    "新記巻四十二"

 「角川歴史地名辞典」浦和市小字名:別添

  浦和宿〔のうち〕岸の下、重蓮寺、岸、御蔵山、

    虫ヶ谷戸、

  下宿、大黒ヶ谷戸、元宿、宮前、第六天前、

  下木崎村〔のうち〕皇山(クラヤマトホリ)通、

    皇山(クラヤマ)

 「日本歴史地名大系」埼玉県

  下木崎村、皇山町(コウザンチョウ) 

  ○御室社は江戸時代には

      三室(みむろ)明神社と称し、

   領家村の鎮守であった。

 ※調神社の七不思議

  鳥居がない。

  境内に松の木がない。

  御手洗池にすむ片目の魚

  祭神の使い姫は兎

  日蓮上人駒つなぎの欅

  蝿がいないの七つ。

  意味不明のものも多いが、

  鳥居がないのは、

  伊勢神宮に奉納する貢物を運び出すのに

    邪魔になるから。

  また、日蓮上人駒つなぎの欅には

  文永八年(1271)上人が佐渡へ流される途中、

  難産に苦しむ土地の女性を救うため、

  駒をつないで祈ったという謂われがある。

  神社のご神木とされている。

 「先代舊事本紀」国造本紀

  无邪志国造、志賀高穴穂朝世」、

  出雲臣祖名二井之宇迦諸忍之神狭命十世孫

    兄多毛比命、

  定一賜国造

 「新撰姓氏録」出雲国神別

  出雲臣 同 天穂日命之後也

  土師宿禰 天穂日命一四世孫野見宿禰之後也

 「古事記」天菩命の子建比良鳥命

  此は出雲国造、无邪志国造、

    上兎上国造、下兎上国造、

  伊自牟国造、津島県直、遠江国造が祖なり

 『出雲国造』

       ┌ 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
       │
       │ 出雲国造始祖 2世   3世
       ├ 天穂日命───武夷鳥命─伊佐我命(櫛瓊命)─
 天照皇大神─┤
       ├ 天津彦根命
       │
       ├ 活津彦根命
       │
       └ 熊野櫲樟日命

 天穂日命-武夷鳥命-伊佐我命(櫛瓊命)-津狭命(津佐命)-櫛瓺前命-櫛月命-

 櫛瓺鳥海命-櫛田命-知理命-世毛呂須命-阿多命-氏祖命-襲髄命-

 来日田維命-三島足奴命-意宇足奴命-国造宮向臣-国造布奈臣-国造布禰臣-

 国造意波久臣-国造美許臣-国造叡屋臣-国造帯許臣-国造千国臣-

 国造兼遺臣-国造果安臣-国造広島臣-国造弟山臣-国造益方臣-

 ~43代(OR47代)-

 清孝┬孝宗(千家氏)-直国-高国-~
   │
   └貞孝(北島氏)-資孝-幸孝-~

 ※「ホヒ」「ボヒ」:穂日・菩卑

   BOH(boh):BOUS(bous)の複数形 牛

  「ヒナトリ」比良鳥、夷鳥

   HNI-TAUROS(hni-tauros)牡牛を駆る。

  「ノミ」野見

   NOMH(nomi)牧草地、牧草 NOMEUS(nomeus)牧者

  「タモイ」兄多毛比 

     〔兄多毛比命には弟多毛比命という"弟"があった〕

   DAMAIS(damais)馬を馴らす者

   DAMAS-IPPOS(damas-ippos)

    〔馴らす-馬〕馬を馴らす。

 ※无邪志国造 

    兄多毛比命の後裔は、浦和・大宮地域を支配した。

  氷川神社[さいたま市大宮区高鼻町]の奉祭氏族

  西角井家はその後裔 

 「調」

  貢物を朝廷へ呈出語義である。

  「租・庸・調」の制は、紀元671年後

  律令制度が始められてのものであり、

  調神社が伝承として伝える

  崇神天皇時代などには無かったものである。

  「調」とは朝廷が各地[国]より徴収した「物品」で、

  その地方の特産品が多かった。

 「続日本紀」巻六。和銅六年(713年)5月 元明天皇

  癸酉(十一日)

   相模、常陸、上野、武蔵、下野の五国の輸す調、

   元来是れ布なり、今より以後、絁、

      布並びに進らしむ。

 「続日本紀」巻七。霊亀二年(716年)5月 元正天皇

  辛卯(十六日) 駿河、甲斐、相模、上総、下総、

    常陸、下野の七国の高麗人

  千七百九十九人を以って武蔵国に遷し、

    高麗郡を置く。

 ※調宮は、和銅6年の朝廷の方針によって施けられた

  「調」の物品を集荷・収納しておくための

    「倉」「蔵」で」あった。

 「延喜式」巻二十四」、主計上 

   ○延喜901~923年(平安時代)

  武蔵国 調、緋帛六十丈、紺布六十丈、

    黄帛一百丈、紺布九十端、

  縹布五十端、黄布卌十端、

  自餘-輸絁、布

     庸、輸布

  ★8世紀初頭には全くなかった

      朝廷への貢物の「絁」が

   平安時代10世紀初頭にはこのように大量の

      「絁」・「帛」が送(輸)られるようになった。

 ◎「調」を「ツキ」と称するのは、

    この地〔武蔵〕以外には無い。

  无邪志国造 兄多毛比命を粗とする人々の用語

  「ツキ」 taksis 割当(量)、査定 

 ※朝廷が徴収する物品の「割当」:「調」

  taksos [植物] イチイ

  つまり"イチョウ"銀杏を指す。

 ※調神社境内には銀杏が多い。

 「槻」ツキ:「欅」ケヤキの一種

 ※調神社境内には欅の木が多い。

 ※調神社の境内・敷地の形状が中仙道側が一番広い。

  イチョウの葉の形に似て、奥が狭くなっている。

  「ツキ」 theki 容器、箱

      apo-theki 倉庫、穀倉

  ※「ツキ」は「倉」「蔵」を表わす。

  「新編武蔵風土記稿」 御蔵入、御蔵蹟[蔵山]:

     岸村の小名

   「社寺戸籍部・社寺」~調御倉社~

   「角川歴史地名大辞典」 御蔵山:浦和宿の小字名

 「岸」キシ:カシ[河岸]

  <広辞苑>河川の岸の舟から

            人または荷物を揚げ降ろす所。

      海や湖の岸にも謂う。

 「キシ」 öxìthi〔えきし〕高み、川岸、川堤、堀の土手

     oxthos〔おきそす〕高み、丘、塚、川岸、陵墓

     xoos〔こおす〕積み上げられた土 

     xow〔こおう〕(塚)を築く

 <複数形>xousi〔こおうし〕積み上げる、盛り上げる

 ※「岸きし」の本来の語義は「蔵」を建てるために

     築かれた「丘」、

  つまり、「積み上げられた土塁」である。

  「角川歴史地名大辞典」の

  浦和宿の小字名「御蔵山」の「山」に当たる。

  「ヤバ(矢場)」あるいは「弓場」

   yupha 〔ゆぱ〕高い所

  ※(現)浦和公園の区域には、

      小高い丘(塚)が築かれ、

   その上に「蔵」が建てられていたのである。

   同地は大宮大地の南端で、

   北、東、南は崖になっていて、

   侵入が難しく、安全上適地であった。

   この「蔵」は高床式建物とすれば、

   建物の支柱を土中に埋めて、

   より堅固なものとしたものとも考えられる。

  ◎下木崎村(旧)の御室社の「室」は「蔵」の別称で、

   当地の「皇山」町名の「皇こう」は

   上記の xoos、xow の音写で、

   ここにも何らかの「蔵」が

      建てられていたのであれば、

   その土塁である「丘」が「山」と

      通称されたものであるし、

   調神社の信仰者の地であれば、

   その性格を取り入れたものである。

 「続日本紀」巻三十一 光仁天皇 

  宝亀二年(716年)十月

 己卯<廿七>。

 太政官奏。

  武蔵國雖属山道。

  兼承海道行使繁多。

  ネ+弖供難堪。

  東山驛路。

  従上野新田驛。

  達下野國足利驛。

  此便道也。

  而枉従上野國邑樂郡。

  經五ヶ驛。

  到武蔵國事畢去日。

  又取同道向下野國。

  今東海道者。

  従相模國夷参驛。

  達下総國。

  其間四驛。

  往還便近。

  而去此就彼損害極多。

  臣等商量。

  改東山道。

  属東海道。

  公私得所。

  人馬有息。

  奏可。

  ◎掘津郷 「和名類聚抄正」武蔵國足立郡 「発度」

   ※同郷は当地のこと、

        (現)白幡沼、別所沼」と「沼」名になっている

    この「系流」はかって荒川へと繋がる「堀」で

        あったと推測され、

    調神社の根元域に船着場、

        つまり「津」が設けられ、

    そこから調宮の「蔵」で集荷・収納された

        物品「調」が舟によって運ばれた時期が

        あったことを示している。

 睦神社[浦和区白幡]

  「ムツ」「ムツノ」 medoh 支配者、

                    medou 守護する、支配する

 ※この神社の地所に「調」を管理監督する役目の

    「支配者」が居た

   白幡番場、「番場」は「番所」と同義

  根岸[浦和区、睦神社の近く、白幡の東隣り]

   ネ[根] nau 船、ネ岸 ここに船着場があった

   堀津の「津」は、"みなと"つまり「船着場」の語義

  ※岸町の西方に「西堀」の町名がある。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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