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《調神社(さいたま市浦和区)》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
〔延喜式「神名帳」武蔵国足立郡調神社"ツキノ"〕
「全国神社名鑑」
調神社(つきの宮)浦和区岸町3の17の25
祭神:
天照大御神、豊宇気姫命、素盞鳴尊
由緒:
延喜式内社の古社で、
創建は開化天皇の時代と云われ、
朝廷及び部門の崇敬が篤かった。
崇神天皇の勅使倭姫命が、
当時高鼻郷の清浄な岡に調物を納める
倉を建てられ、
武蔵野の初穂米調集納運搬所として
定められた。
延喜五年菅原道真が参向。
神社調の延喜式内国祭として
奉幣使来拝者と定めた。
(延喜の制国幣小社)
宝亀二年従五位下中臣朝臣常恣勅使奉幣を賜う。
調宮(つきのみや)は調(みつぎ)の宮の略で、
屯倉が諸国におかれたときの屯倉の所在地であり、
その跡に祭祀した社のことをいう。
「調神社(つきのみやじんじゃ)の由来」
〔調神社発行〕
祭神 天照皇大神、豊宇気姫命、素盞鳴尊の三柱
社名を調(つき)神社、
地元では「つきのみやさま」と愛称されている。
「調宮縁起」によれば、
第十代崇神天皇の勅命により創建。
調とは「租・庸・調」の調で
伊勢神宮へ納める貢(調)物の初穂を
納めた倉庫郡の中に鎮座していたと伝わる。
(鳥居無きはその為と伝わる)
平安時代に編纂された「延喜式」に記載される
武蔵国四十四座のうちの一つである。
中世、調が月と同じ読みから、
月待信仰に結びつき、
江戸時代には月読社とも呼ばれ、
月神の使いとされる兎の彫刻が
旧本殿や現在の社殿に、
狛犬の代わりに兎の石像が境内入口両側にある。
神域は約1万2千平米、欅、銀杏の大樹が
鬱蒼と茂る鎮守の社と
江戸時代末に建立の権現造の社殿が
悠久の歴史を今に伝えている。
毎年十二月十二日には「十二日まち」が開催され、
神社では「かっこめ」を頒布、
境内を中心に縁起物の熊手をはじめ
様々な露店がが立ち並び、近在からの人手で賑う。
ご利益は、
運否天賦の「ツキはツキを呼ぶ」との謂れから、
幸運を授かると信仰される。
[日本歴史地名大系、埼玉県/平凡社]
調神社(つきじんじゃ)(現)浦和市岸町三丁目
大宮大地の南端に位置する。
調宮(つきのみや)の名で広く知られる。
旧県社、祭神は天照大御神、
豊受比売命で素盞鳴尊を配祀する。
「延喜式」神名帳に登載される足立郡四座のうちの
「調(ツキノ)神社」が当社に比定される。
社名から調を収納した足立郡の御倉(神座)に
祀られていた神が発展したものと考えられる。
同郡の調は東山道を通じ朝廷に送られたが、
宝亀二年(771)武蔵国が東海道に所属すると、
御倉は役目を終え神社として
祀られようになったという
(式内社調査報告書)
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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