2013年11月29日金曜日

洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-3:御室神事の次第-2


 諏訪大社

 諏訪大社

 『武蔵一宮:氷川神社』

 Wikipedia:氷川神社

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 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

 洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-3

 出典:竜神信仰―諏訪神のルーツをさぐる:98頁~107頁
    論創社:大庭裕輔

 御室神事の次第-2

 ※出典の略称はそれぞれ(絵詞)、(旧記)、(次第)とする。

  「」括弧部は後に注釈する。

 十二月 十五日 御室をつくる手はず、その分担を決める。(旧記)

    二十二日 大祝、神長、所末戸社に詣でる。

         第一の「御躰」を御室に入れ奉る。

         大祝の神事、小蛇を入れ、「大県」の上原、「内県」の栗林、    
         「外県」の有賀、真志野の三地区を代表する部落より、
         
         御房の飾りのために麻や紙を出し合う。

         仕事を終えて唱えごとを言う。(旧記)

    二十四日 大海祭。

         御室の「萩組」にて唱えごとを言う。

         本宮を参詣、舞台にて唱えごと、

         御手幣(みてぐら)を荒玉、前宮、笠無社などに奉り、

         ……萩組にて「御笹」を左より入れ、「御正躰」は右より入れ、

         ……御手幣を「御左口神」の御前の両方に奉った。……(旧記)

    二十五日 神事後、「御身躰」を入れ奉る。

         祝詞を唱えて御房を折り結んで、「二十番の舞」をした。(旧記)

         三つの御房の長さ五丈五尺、太さ二尺五寸、

         「又折」の長さ四尋一尺、回り三六寸、

         麻と紙で飾ったものを御室に納入した。

         御房は「ハンノキ」で折結んだ。(次第)

    二十六日 禰宜(ねぎ)が御室に参内する。(旧記)

    二十八日 村代の神主が御室に参内する。(旧記)

    二十九日 大夜明大巳祭、御躰三所に入れ奉る。(絵詞)

    三十一日 年男が「年の實」を、

         小別当が「かまの神」の祭事をする。(旧記)

  一月  一日 御室に年の實を入れる。

         これは氏人の魂である。

         まず「蔦で飾った」膳に飯を盛った椀を入れてから、

         「「えいさら 新玉 えいさら」といって綱引きをする。」

         御占神事、晦日から正月にかけて、

         大祝と神長は他人を交えないで、御左口神を勧請し、

         独特の呪法によって、

         三月酉の日の各郷の役割分担を決める。(旧記)

  一月  三日 御室神事、藤沢弦巻田役……(旧記)

  一月  七日 御室神事、武井条……(旧記)

  一月 十五日 御室神事、筒粥神事(旧記)

  三月 酉の日 大御立座(おおみたてまし)神事、

         御占神事によって決まった大祝の代理をつとめる

         「神使」六人が首に「大鈴」をかけ、「御杖」をもって、

         諏訪神社政圏内を巡回して、

         神(大祝)と氏人との誓約をして回る。(絵詞)

         湛神田、湛神事、御湛馬などがある。(旧記)

  三月 寅の日 春秋祭、「二十番の舞」をする。

         室内に竜頭二十。

         御室より御房を搬出する。(旧記)

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2013年11月28日木曜日

洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-3:御室神事の次第-1


 諏訪大社

 諏訪大社

 『武蔵一宮:氷川神社』

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 洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-3

 出典:竜神信仰―諏訪神のルーツをさぐる:98頁~107頁
    論創社:大庭裕輔

 御室神事の次第-1

  御室神事は諏訪上社の境内の一部に、約二十四畳の御室という竪穴を作り、

 主に十二月中旬から一月十五日にかけて、大祝、守矢神長官以下が

 その穴に籠ってしめやかに行われる行事であった。

 この神事のもう一つの主役は御房(みふさ)と呼ばれる大型の蛇体であった。

  この神事がいつ、どのようにして創始されたかはよくわからないが、

 古来、「蛇の霊力によって風をきる」という考えがあったことから、

 持統紀五年の「諏破風の神が豊作祈願のために朝廷に招かれた」

 という記述をみると、

 当時、この神事の原初的なものが執行されていた可能性がうかがえる。

 この神事が確実に存在したことは文献的には平安朝の歌人、

 藤原清輔の本になる『袋草紙』に明らかである。

  "信濃の木曽路の桜咲きにけり 風の祝(ほうり)にすきまあらすな"

 信濃はきわめて風迅き所である。

 そこで諏訪の明神の社に風の祝において 

 これを深い穴のようなものに百日間籠らせて

 ていねいに祈ると

 その年は風がおさまり

 農業は豊作となる。

  この竜蛇信仰について、伊藤冨男は次のように述べている。

   諏訪神社の現在の信仰が、

  タケミナカタとヤサカトメを崇拝するものであることは、

  いまさらいうまでもない。

  このような信仰崇拝は、長い神社の歴史からみれば、

  中途から発生したもので、それは文化の発展にともない、

  人格神の崇拝のおこった奈良時代以降のものである。

  諏訪神社の崇拝は、その原始に遡ればもっと異なったもので、

  その原始信仰の中には、その一つの要素として、竜蛇信仰があった。

  伊藤によれば、御室神事の起源は奈良時代以前ということになり

 「蛇が冬眠する姿や、脱皮する姿を見た古代人には、

  驚くべき生命現象と映じたにちがいない。

  冬祭の"ミタマフユ"(増殖)から始まって、

  春の"アラタマ(新玉)にいたるまで、

  蛇形を御室に籠めて祈るは、

  この蛇の霊性にあやからんがため"」であったと続けている。

  この神事は江戸時代初期には消滅し、

 わずか御頭祭に名残をとどめているにすぎない。

 しかし幸いなことに、

 この全容は

 『諏訪明神絵詞』

 『年内神事次第旧記』

 『年内行事次第』

 の室町期の文書によって知ることができる。

 これらの三文献と伊藤冨男の釈義を加えて、

 御室神事の次第の概要を見ていくことにしよう。

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2013年11月27日水曜日

洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-2


 『武蔵一宮:氷川神社』

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 洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-2

 大宮町 現:大宮市浅間町・吉敷町・下町・仲町・東町・堀の内町・高鼻町・

       寿能町・大門町・宮町・土手町・桜木町・錦長・植竹町・盆栽町・

       天沼町など

  大宮台地の中心部に位置し、東部は見沼の沖積低地で、
 
 芝川を境に土呂村と接し、

 南は村内東部を南流する見沼代用水(西縁)から

 分水した高沼代用水が西流し、北袋村と境する。

 西は中小村田村など、北は土手宿村・高鼻村など。

 中世には高鼻郷あるいは大宮郷に含まれ、

 戦国期には寿能城主潮田氏の支配下にあった。

 江戸時代には中山道の宿駅で、大宮領に属した(風土記稿) 。

 天正一九年(1591)七月、

 栗生新衛門は徳川家康から岩筑領「大宮之内」二九五石余など合わせて

 一千五〇〇石を宛行われている(「伊奈忠次等連署知行書立」御感証文集)。

 栗生新衛門については不詳。

 同二〇年伊奈忠次によって検地が実施された。

 同年四月高埇郷大宮之村御縄打水帳写(小島家文書)が一冊残るが、

 何冊か作成された検地帳を書抜き一冊に編集したとみられ、

 断片的で全貌は不明。

 同水写では地積は大半小で記されているが、

 畝歩換算をすると田四町余・畑四五町三反余が確認される。

 名請人は一五人で、うち大塚は一八町三反余を名請している。

 一町以上の名請人は一一人。

 名請人のなかに氷河・神主・潮田などの名がみえ、

 氷河・神主は氷川神社に関係する者、

 潮田は戦国期の潮田氏にかかわる者と思われる。

 ほかにも性で名請している者が大塚を含め一〇人おり、

 戦国期の小田原北条氏の給人か、

 潮田氏の家臣かとも考えられる。

 文禄三年(1594)旗本疋田氏は大宮之村の一部を宛行われ

 (「疋田喜右衛門様御知行分之帳」小島家文書)、

 正保(1644-48)頃までに土手宿村として分村した(田園簿)。

 天正一九年に大宮の内で寄進された氷川神社領一〇〇石も、

 慶長七年(1602)に高鼻村として分立している

 (「徳川家康寄進状写」西角井家文書)。

 堀津郷:ほつとごう

  「和名抄」所載の郷。

 同書高山寺本に「発度」、名博本に「ホツト」の訓があるが

 「発度」は東急本・元和古活字本に郷名としてあげられているため

 窳入かともされる。

 津はトと古代に訓ずる例がなく、ホリツ・ホッツとよまれた可能性が高い。

 なお尾張国堀津牧(現岐阜県羽島市)はホッツとよまれている

 (年未詳六月八日「下間頼奉本願寺御印書」円覚寺文書など)。

 「風土記稿」は現大宮市・浦和市周辺、

 「日本地理志料」も現与野市・浦和市一帯とするが、

 「大日本地名辞書」は足立郡の郷の配列が北から始まっていたと考え、

 現鴻巣市の登戸(のぼりと)を野堀津(のぼりと)とみてこの辺りとする。

 また「埼玉県史」は浦和市の西堀と結び付けてその周辺とし、

 「大宮市史」は大宮市の風渡野(ふつとの)を遺称とみている。

 殖田郷:うえたごう

  「和名抄」所載の郷。

 同書高山寺本・東急本・元和古活字本に「宇恵太」、

 名博本に「ウヘタ」の訓がある。

 応永四年(1397)七月二〇日の足利氏満寄進状(黄梅院文書)などにみえる

 「足立郡殖竹郡」および天正一九年(1591)一一月の

 徳川家康朱印状(林光寺文書)にみえる「足立郡殖絶」などにつながる。

 現大宮市の植田谷本(うえたやほん)を中心とし(風土記稿)、

 北は上尾市の平方(ひらかた)から大宮市の日進町・指扇を含み、

 南は浦和市の大久保地区にかかるといわれるが(埼玉県史)、

 堀津郷を鴨川下流域とすれば、その北方とみることができよう。

 稲直:いなおごう

  「和名抄」所載の郷。

 同書高山寺本・東急本・元和古活字本に「伊奈保」、

 名博本に「イナヲ」の訓がある。

 諸説ともに現桶川市・上尾市・伊奈町にわたる一帯とする。

 郡家郷:ぐうけごう

  「和名抄」所載の郷。

 同書高山寺本にはないが、東急本・名博本・元和古活字本にみえる。

 諸本とも訓を欠くが通例に従う。

 郷名からみて足立郡郡家の所在地とみられる。

 氷川神社を中心とする現大宮市一帯とする説(風土記稿・埼玉県史)、

 および鴨川流域とする説がある。

 大里郷:おおさとごう

  「和名抄」所載の郷。

 諸本とも訓を欠くが通例に従う。

 現浦和市南部説(日本地理志料)、

 現蕨市と川口市西部説(大日本地名辞書)のほか

 大里の字名がある現伊奈町の大針一帯とする説がある。

 余部郷:あまるべごう

  「和名抄」所載の郷。

 高山寺本にはないが、東急本・名博本・元和古活字本にみえる。

 諸本とも訓を欠くが通例に従う。

 現鴻巣市・吹上町一帯とする説(日本地理志料)

 および南足立郡(現東京都足立区)とする説(大日本地名辞書)がる。

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2013年11月24日日曜日

洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-1


 『武蔵一宮:氷川神社』

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 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-1

 1.「洩」"もれる""もる"〔広辞苑〕水や光がすきまを通してこぼれる
 
  「モレヤ・モルヤ」〔シュメル語〕 mar-ea 〔作る-泉〕

  県「アガタ」〔サンスクリット語〕āgadha 源底、底>源・泉

  有賀「アルカ」〔シュメル語〕 al-ka 〔(穴を)掘る-口〕(地に穴の) 口を掘る

  御頭「ミズ」"みづ">水

  ◎有賀(あるが):諏訪市豊田地域の旧村名、資料には「アルカ」とある。

   県:有賀地域を「内県」といい、

     有賀峠を越えた伊奈郡箕輪町周辺を「外県」といった。

   御頭:有賀地域には七社の「御社宮司社」が鎮座し、

      それらが「御頭御社宮司社」と考えられる。

   〔角川〕有賀、女躰垣外は御頭御社宮司社と御頭屋敷のあったところで、

    諏訪社の御頭に当たると、ここに御頭屋を建てミシャグチを降し、

    精進潔斎して神事に従事した。

    ※「精進潔斎する御頭屋」は「水垢離する水屋」の意味で

      「御頭」は「水」である。

   有賀「アルカ」 al-ka 〔(穴を)掘る-口〕

    ※精進潔斎のための新鮮な水を得るため「井」:泉を掘ったのであろう。

  ◎佐補:「和名抄」信濃国諏訪郡に載る郷名

   「サホ」〔シュメル語〕 za-ab 地下水[また海:湖]

    ※地下水は泉より洩れ出る「水」である。

  ◎千鹿頭(ちかどう)神社:

    有賀にある神社で、現在上記の七御社宮司が合祀されている。

   「チカズ」:地下水〔七社の御社宮司社葉「御頭社」〕

  ◎アライ〔有賀地域内の字名〕

    Al-ea 〔(穴を)掘る-泉(井)〕井戸を掘る

  ◎神氏、じんし、「カム・し」〔シュメル語〕 gam 穴を掘る

 2.大宮〔埼玉県さいたま市大宮区、氷川神社の別称〕

  大おう「オー」〔シュメル語〕 a (水)、 a-e₃-a 〔シュメル語〕「アエア」泉

  ※氷川神社は蛇ヶ池に湧く(洩れる)泉から始まったとするのが妥当

  ◎摂社〔第一の境内社〕門客人社 "もんきゃくじん"

   客人「マロウド」伊勢・伊勢神宮関連によく出る神名で

   「客」だけでも表される。

   〔シュメル語〕 mar-du [作る-家(神殿)]家屋(神殿)を作る。

   しかし、当地での解釈は

   〔シュメル語〕 mar-ud [作る-家(水の)流れ]泉(水・川)を作る。

   門「モン」〔ヘブライ語、当社の奉祭<天津神社>に係わる物部氏はヘブライ系〕

     מעינMIYN、泉、水源、湧き水

   ※門客人「モン・マロウド」泉の流れを作る、「流れの泉(源)がある」

    大宮は「泉の宮」である。

  ◎大里:「和名抄」武蔵国足立郡に載る郷名

   「大」の里:泉のある里(郷)

   「和名抄」武蔵国には「大里郡」がる。

   (現)大里郡大里村には小泉の地名がある。

   大里〔ヘブライ語〕המפלAShD、aeshed 滝、村内には高城神社がある。

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2013年11月23日土曜日

氷川神社の古形態[江戸名所図絵による](3)


 『武蔵一宮:氷川神社』

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 氷川神社の古形態[江戸名所図会による](3)

 大宮氷川神社(おおみやひかわじんじゃ)

  大宮驛の中〔割注〕此所を氷川戸庄高鼻村といふ。

 街道の右の方に鳥居立石あり、これより十八町入りて御本社なり。

 神領三百石、神主角井氏、岩井氏これを奉祀す。

 祭神三座、

 本社の右は素盞雄尊〔割注〕男體(なんたい)の宮と称す、奥社ともいふ。

 同左は奇稲田媛命〔割注〕女體(にょたい)の宮と称す、これも奥の社と唱ふ。

 本宮は大己貴尊を斎ひ奉る。〔割注〕簸王子宮と稱す。

 これは

 即武蔵国第一宮にして延喜式名神大社月嘗新嘗に列する第一の宮社たる所なり。

 荒波々幾社(あらははきのやしろ)〔割注〕本社の傍らに在。
 
  手摩乳、足摩乳二神を祀る。

 宗像社(むなかたのやしろ)〔割注〕同橋の左の方にあり。

  祭神田心姫、湍津姫、市杵島姫等の三はしらの女神を祀る。

 五山祇社(いつやまつみやしろ)〔割注〕本社の後の方にあり。

  大山祇、中山祇、麓山祇、正勝山祇、闇山祇、以上五神を祀る。

 本地堂(ほんちだう)〔割注〕神池(みたらし)の北にあり。

  観音を本尊とす。

  社僧五宇あり、江戸護持院末新義真言宗にして、本地供を主務とすといへり。

 延喜式神名帳曰 武蔵国足立郡氷川神社。名神大月次新嘗云々。

 一 宮 記 曰 武蔵国足立郡氷川神社素盞鳴命云々。

 神名帳  頭註曰 武蔵国足立郡氷川社。日本武尊東征之時。勤請素盞尊也云々。

 三 代 實録曰 貞観十一年十月九日壬申。

         援武蔵国従四位下氷川神社正四位下云々。

 武蔵国風土記曰 足立郡氷川神社。神田百束十字四圍田。

         観松彦香殖稲天皇御宇三年戌辰所祭。

         素盞鳴尊。大巳貴。奇稲田比咩。合三座也云々。

 東  鑑  曰 治承四年庚子十一月十四日壬戌。

         土肥次郎實平。向武蔵国内寺社。

         是諸人乱入清浄地致狼藉之由。

         依有訴。可令停止之旨。加下知之故也云々。

 同  書  曰 安貞三年己丑十一月十日。

         依去四日雷電。為世上御祈。
  
         近国一宮被立奉幣御使。
 
         相模国駿河守。武蔵国武州御使(中略)各被進神馬御剣等。

         又於社壇。可轉讀大般若経之由。被迎別当等。

         助教師員源正忠季氏等奉行之。

 慕  景  集 氷川の社奉納の和歌すすめられはべりて、

         残雪といふことをよめる。

         老いらくの身をつみてこそむさしのの草にいつまで残る白雪
 
              持   資

 簸川原(ひかはのはら)

  其地今知るべからず、宮本の社より大宮の辺を指して云うべきか。

  武蔵国風土記曰 足立郡簸川原。

   出鮎鰻諸鮮芹柴胡香需。 早水共為民用。 云々。

  〔割注〕右のごとくあれば、御沼の辺水澤の地を惣じて呼びたることと見ゆ。

  又大宮の南の方、左右三十丁ばかりの原を大宮原とも唱ふれば、

  若しくは其辺までをいへるなるべし。             

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氷川神社の古形態[江戸名所図絵による](2)


 『武蔵一宮:氷川神社』

 Wikipedia:氷川神社

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 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 氷川神社の古形態[江戸名所図会による](2)

 3.図A・図Bによる大宮氷川神社の分析

 ○「図絵」による配置:図A


         五山祇
 
 男體社         女體社

          参
          道       荒波々幾社


 神池       神 神池  
 (みたらし池)   橋

  図B-御室の図-

     御室想像図-屋根は萱葺き、竪穴には畳24枚を敷く
           (『旧記』により復原)

     →萩組 の座←
            御笹ミシャグジを「萩組の座」左より導入
            ソソウ神(蛇体)右より導入
        大
        穴


       出入口

  (1)男體社の「神」は「男」にして「雄」である。

    「ミシャグジ」は男神

   「男體」の訓音は「ナムタイ」で「ナムティ」にして

   サンスクリット語(梵語)の namti 〔身を屈したもの〕で

   「ナムチ」は「蛇」「龍」を表す。

   「図絵」が本宮の祭神とする「大己貴尊」の

   「己貴」は「ナムチ」と通称され、同じく「蛇」「龍」と理解できる。

   ◎日光二荒山神社の奥宮が置かれている「男体(體)山」名は

    「龍」を表し、理由を同じくする。

     但し、この「ナムティ」は「女(母)龍」である。

  (2)女體社、「女體」は「女」にして「雌」の神格である。

   諏訪神社の「穴巣始」神事の「ソソウ」に当たる。

   「女體=じょたい」は「蛇体=じゃたい」に訓音が似る。

  (3)五山祇(いつやまつみ)社、図Bに比較すると

   「穴巣始」神事の「萩組の座」に相当するが、

   同神事の真髄は同座において雌雄の蛇体が交合し、

   「子」を成すとの神性を象徴させているものである。

   図絵の記述を「簸王子」と「王子」と証するところに

   その性格をうかがい知ることができる。

   ◎「祇」の通念は一般に「神」と同義されるが、

    ここの「ツミ」表現には「子」 あるいは「童」の語義がある。

    [傍例:海積=和多都美]の「ツミ」は別表記で

     「海童、少童」とある様に「童」「子供」である。]

   ◎ 「五山」は諏訪信仰と関係づけることができる。

      「いつやま」は諏訪大社の祭事「御射山」祭名の転訛したもの

    ※御射山祭は諏訪大社上社下社双方の後背の高原で行われた「御狩」の祭で、

     同祭においては古来、鹿や猪などの獣類を狩猟することができた。

     日本では同社だけが「猟獣」し「宍(動物の肉)」を

     食してもよいとの特別の伝統で、

     それはいわゆる"謝肉祭"であった[鹿食免、鹿食箸]。

     この神性の主祭神が「御左口神:ミシャクジ」

     あるいは「アラハバキ=アラバキ神」とされている。

    ※歴史学講座「創世」の解明により「御左口神」「アラハバキ神」が

     同じ「神」であることが判明した。

    ※「穴巣始」神事は生物すべて[植物も動物も人間さえも]の

     増殖を祈念したものであったが「五山祇社」においては

     特に「獣類」「動物の子」が沢山育つことを祈念したものであった。

  (4)東北地方の山岳における狩猟を業としてきた人々

   「マタギ」は「アラハバキ」神を信奉した。

 4.女体神社と見沼

  (1)女体神社:」氷川神社の関連性

   ①大牧氷川女体神社 さいたま市浦和区大牧

   ②附島氷川女体神社 さいたま市浦和区大間木

   ③氷川女体神社   さいたま市浦和区三室

    御室神社     さいたま市浦和区三室

    この「御室」は「穴巣始」神事の「大穴」である「大室」「御室」を示す。

   ※これらの女体神社は大宮氷川神社の「女體社」と同じ信仰

   ※大宮氷川神社、特に女体神社は「見沼」の岸辺に鎮座している。

  (2)見沼

   見沼は大宮北方より氷川神社関係諸神社の東側を南方へ流れる

   「川」が形成した「沼」を指していったものである。

   〇「見」は「巳」にして「蛇」の語義で、

    その流れは「蛇」のように、言葉通り「蛇行」している。

   〇女体神社が鎮座している浦和区御室、大牧、大間木区域は、

    見沼に接する断崖の形成状態も「蛇行」状であったために

    「女体」と美称化されたとさえ言える。

   〇「大牧」「大間木」の「牧」「間木」である「マキ」の背景とみると、

    これはサンスクリット語(梵語)mruga [rは無音化する]の音写。

    mruga の語義は「森の獣」を基語とし、「猟獣」の意味を持つ。

    同類語の margayā は「狩猟」となる。

    つまり「大牧」「大間木」は「大猟」となる。

   〇これらの理解は「アラハバキ神」を奉祭する「マタギ」の性格を補佐する。

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2013年11月22日金曜日

牛と角と雷への崇敬・ミシャグチ神(3)


 『武蔵一宮:氷川神社』

 Wikipedia:氷川神社

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 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

 出典:加治木義博:邪馬臺国の言葉134~136頁

 またインドでは牛が神聖視されている。

 これは牡牛が<シバ>神の顕現であると信じられてきたためで、

 牛や角が聖なるものの象徴とされるのである。

 このことが理解できないとインドからマレー語圏、

 さらに我が津々浦々に祭られる神社から伊勢神宮に至るまでの

 「千木」の神聖さが不明になるのである。

 その<ヌガンディ>の名をもつ<牛の像>は

 実は我が国にも古くから祭られていた。

 それは現在でもなお各地で見られる。

 ほかでもない「天神様の牛」である。

 世俗には菅原道実が太宰府へ流された際、

 彼を運んだ牛車の牛であるとされている。

 しかしこれは余りにも不合理な説明である。

 供をしたのは牛だけではないし、

 流人が船でなく牛車に乗って福岡まで行ったというのもおかしい。

 よく考えてみると、

 天神様の牛には全く必然性が無いことがわかるのである。

 これは理由ははっきりしている。

 天神様というのは菅公よりはるかに前から祭られていた神で、

 当時すでに祭神の不明になっていた社に、

 道実を合祀しただけのことなのである。

 もうおわかりのように天(チヌ)神とは角(ツノ)神であり、

 <牛>が本体あったのである。

 そして同じ京都の大氏神(うじがみ)は

 葵(アオイ)祭で名高い賀茂社であるが、

 その祭神中の氏の祖は、

 加茂建角身命であり、その孫神は賀茂別雷命である。

 <角>と<雷>がセットになっていて、

 天神様の先祖を証明しているのである。
 
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