2013年11月27日水曜日
洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-2
『武蔵一宮:氷川神社』
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-2
大宮町 現:大宮市浅間町・吉敷町・下町・仲町・東町・堀の内町・高鼻町・
寿能町・大門町・宮町・土手町・桜木町・錦長・植竹町・盆栽町・
天沼町など
大宮台地の中心部に位置し、東部は見沼の沖積低地で、
芝川を境に土呂村と接し、
南は村内東部を南流する見沼代用水(西縁)から
分水した高沼代用水が西流し、北袋村と境する。
西は中小村田村など、北は土手宿村・高鼻村など。
中世には高鼻郷あるいは大宮郷に含まれ、
戦国期には寿能城主潮田氏の支配下にあった。
江戸時代には中山道の宿駅で、大宮領に属した(風土記稿) 。
天正一九年(1591)七月、
栗生新衛門は徳川家康から岩筑領「大宮之内」二九五石余など合わせて
一千五〇〇石を宛行われている(「伊奈忠次等連署知行書立」御感証文集)。
栗生新衛門については不詳。
同二〇年伊奈忠次によって検地が実施された。
同年四月高埇郷大宮之村御縄打水帳写(小島家文書)が一冊残るが、
何冊か作成された検地帳を書抜き一冊に編集したとみられ、
断片的で全貌は不明。
同水写では地積は大半小で記されているが、
畝歩換算をすると田四町余・畑四五町三反余が確認される。
名請人は一五人で、うち大塚は一八町三反余を名請している。
一町以上の名請人は一一人。
名請人のなかに氷河・神主・潮田などの名がみえ、
氷河・神主は氷川神社に関係する者、
潮田は戦国期の潮田氏にかかわる者と思われる。
ほかにも性で名請している者が大塚を含め一〇人おり、
戦国期の小田原北条氏の給人か、
潮田氏の家臣かとも考えられる。
文禄三年(1594)旗本疋田氏は大宮之村の一部を宛行われ
(「疋田喜右衛門様御知行分之帳」小島家文書)、
正保(1644-48)頃までに土手宿村として分村した(田園簿)。
天正一九年に大宮の内で寄進された氷川神社領一〇〇石も、
慶長七年(1602)に高鼻村として分立している
(「徳川家康寄進状写」西角井家文書)。
堀津郷:ほつとごう
「和名抄」所載の郷。
同書高山寺本に「発度」、名博本に「ホツト」の訓があるが
「発度」は東急本・元和古活字本に郷名としてあげられているため
窳入かともされる。
津はトと古代に訓ずる例がなく、ホリツ・ホッツとよまれた可能性が高い。
なお尾張国堀津牧(現岐阜県羽島市)はホッツとよまれている
(年未詳六月八日「下間頼奉本願寺御印書」円覚寺文書など)。
「風土記稿」は現大宮市・浦和市周辺、
「日本地理志料」も現与野市・浦和市一帯とするが、
「大日本地名辞書」は足立郡の郷の配列が北から始まっていたと考え、
現鴻巣市の登戸(のぼりと)を野堀津(のぼりと)とみてこの辺りとする。
また「埼玉県史」は浦和市の西堀と結び付けてその周辺とし、
「大宮市史」は大宮市の風渡野(ふつとの)を遺称とみている。
殖田郷:うえたごう
「和名抄」所載の郷。
同書高山寺本・東急本・元和古活字本に「宇恵太」、
名博本に「ウヘタ」の訓がある。
応永四年(1397)七月二〇日の足利氏満寄進状(黄梅院文書)などにみえる
「足立郡殖竹郡」および天正一九年(1591)一一月の
徳川家康朱印状(林光寺文書)にみえる「足立郡殖絶」などにつながる。
現大宮市の植田谷本(うえたやほん)を中心とし(風土記稿)、
北は上尾市の平方(ひらかた)から大宮市の日進町・指扇を含み、
南は浦和市の大久保地区にかかるといわれるが(埼玉県史)、
堀津郷を鴨川下流域とすれば、その北方とみることができよう。
稲直:いなおごう
「和名抄」所載の郷。
同書高山寺本・東急本・元和古活字本に「伊奈保」、
名博本に「イナヲ」の訓がある。
諸説ともに現桶川市・上尾市・伊奈町にわたる一帯とする。
郡家郷:ぐうけごう
「和名抄」所載の郷。
同書高山寺本にはないが、東急本・名博本・元和古活字本にみえる。
諸本とも訓を欠くが通例に従う。
郷名からみて足立郡郡家の所在地とみられる。
氷川神社を中心とする現大宮市一帯とする説(風土記稿・埼玉県史)、
および鴨川流域とする説がある。
大里郷:おおさとごう
「和名抄」所載の郷。
諸本とも訓を欠くが通例に従う。
現浦和市南部説(日本地理志料)、
現蕨市と川口市西部説(大日本地名辞書)のほか
大里の字名がある現伊奈町の大針一帯とする説がある。
余部郷:あまるべごう
「和名抄」所載の郷。
高山寺本にはないが、東急本・名博本・元和古活字本にみえる。
諸本とも訓を欠くが通例に従う。
現鴻巣市・吹上町一帯とする説(日本地理志料)
および南足立郡(現東京都足立区)とする説(大日本地名辞書)がる。
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