2013年11月28日木曜日
洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-3:御室神事の次第-1
諏訪大社
諏訪大社
『武蔵一宮:氷川神社』
Wikipedia:氷川神社
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
洩矢・有賀・県・御頭とアラハバキ[荒吐]・大宮-3
出典:竜神信仰―諏訪神のルーツをさぐる:98頁~107頁
論創社:大庭裕輔
御室神事の次第-1
御室神事は諏訪上社の境内の一部に、約二十四畳の御室という竪穴を作り、
主に十二月中旬から一月十五日にかけて、大祝、守矢神長官以下が
その穴に籠ってしめやかに行われる行事であった。
この神事のもう一つの主役は御房(みふさ)と呼ばれる大型の蛇体であった。
この神事がいつ、どのようにして創始されたかはよくわからないが、
古来、「蛇の霊力によって風をきる」という考えがあったことから、
持統紀五年の「諏破風の神が豊作祈願のために朝廷に招かれた」
という記述をみると、
当時、この神事の原初的なものが執行されていた可能性がうかがえる。
この神事が確実に存在したことは文献的には平安朝の歌人、
藤原清輔の本になる『袋草紙』に明らかである。
"信濃の木曽路の桜咲きにけり 風の祝(ほうり)にすきまあらすな"
信濃はきわめて風迅き所である。
そこで諏訪の明神の社に風の祝において
これを深い穴のようなものに百日間籠らせて
ていねいに祈ると
その年は風がおさまり
農業は豊作となる。
この竜蛇信仰について、伊藤冨男は次のように述べている。
諏訪神社の現在の信仰が、
タケミナカタとヤサカトメを崇拝するものであることは、
いまさらいうまでもない。
このような信仰崇拝は、長い神社の歴史からみれば、
中途から発生したもので、それは文化の発展にともない、
人格神の崇拝のおこった奈良時代以降のものである。
諏訪神社の崇拝は、その原始に遡ればもっと異なったもので、
その原始信仰の中には、その一つの要素として、竜蛇信仰があった。
伊藤によれば、御室神事の起源は奈良時代以前ということになり
「蛇が冬眠する姿や、脱皮する姿を見た古代人には、
驚くべき生命現象と映じたにちがいない。
冬祭の"ミタマフユ"(増殖)から始まって、
春の"アラタマ(新玉)にいたるまで、
蛇形を御室に籠めて祈るは、
この蛇の霊性にあやからんがため"」であったと続けている。
この神事は江戸時代初期には消滅し、
わずか御頭祭に名残をとどめているにすぎない。
しかし幸いなことに、
この全容は
『諏訪明神絵詞』
『年内神事次第旧記』
『年内行事次第』
の室町期の文書によって知ることができる。
これらの三文献と伊藤冨男の釈義を加えて、
御室神事の次第の概要を見ていくことにしよう。
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