2015年11月9日月曜日

大倭神社「さいたま市三橋」と櫛引・浦和


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 《大倭神社「さいたま市三橋」と櫛引・浦和》

  ―倭姫命〔伊勢神宮〕で解るその語源と背景―
 
 1.大倭神社「さいたま市大宮区三橋6丁目」

 2.神社境内の案内「古来氷川神社」

  (1)明治43年4月氷川神社の社号を大倭神社と改称
 
  (2)創始伝承(口碑)

   ”景行天皇の御代日本武尊が東征の途次当地に

    足を駐め素盞鳴尊を奉祀”

  (3)祭神(第一祭神)素盞鳴尊、その他

 3.所在地「三橋:みつはし」の由来

 4.倭姫命の本名「千千倭姫命」

  ※「チチツキ」の祖語と語義及び「ミツハシ:三橋」 

  ※『日本書紀』の倭姫命伝承

 5.付近の地名「櫛引」「浦和」

 6.素盞鳴尊〔須佐之男命〕を奉祭した族類
   
 7.氷川神社奉祭を奉祭した一族「兄多毛比命〔武蔵国造〕」

 8.「大倭」「櫛引」「浦和」の祖語と関係

 9.「和名類聚抄」武蔵国足立郡:アダチ「足立」の語義

 10.「和名類聚抄」武蔵国埼玉郡:サキタマ「埼玉」の語義

 11.「ヨノ:与野」の祖語と語義

  このさいたま市三橋に鎮座する神社の呼称「大倭」名は

 周囲の様子に合わず何とも不思議です。

 そこで古代の資料や同社の口伝などを参照して

 その由来を検討してみました。
 
 本来は明治43年に「大倭」と改称したという。

 しかし、

 なぜその時そう改変したのかの理由は明らかでありません。

 考えられるのは同社の氏子たちに元々は「ヤマト」だとの

 思いがあったのだろうということです。

 何しろその創始伝承に

   「日本〔ヤマト〕武尊」がいるのですからね。

 次に注目すべきは氷川神社[高鼻町]の奉祭氏族の有力者

 西角井家の祖兄多毛比命の族類に係わりがあります。
 
 その祖族名に係わるのが「ヨナ:与野」です。

 また「アシ立:足立」や「サキタマ:埼玉」の由来を
 
 正確に理解すれば「クシビキ:櫛引」の理解ができ、

 「ヤマト:大倭」との関係が理解できます。

 ※参考
      Matのジオログ