2014年9月29日月曜日

日光泉太郎と東山道(8)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ③川合神社[北阿曇郡池田町十日市場]

  有明・ありあけ

  (北阿曇郡穂高町・十日市場の西方高瀬川を隔てた一帯の地名) 

  「ありあけ:アリア」Arya インド人の祖族アーリア人の名称

  明科・あかしな町(東筑摩郡池田町に東隣接する町名)

   犀宮社(明科町塔ノ原宮本)

  「アカンナ」Akeshines、インド西北部、

   古代Madra国[都Sakala]の河名、現Chenob川

 ④小泉小太郎

  小泉(長野県上田・うえだ市) 旧 小県(ちいさがた)郡 [小県=小泉]

  「小県」:「小‐agadha」:「小‐泉」

    ◎松本平から上田平に派出した種族は、小泉を中心に勢力を強めた。

  上田・うえだ市:上田「アガタ」つまり「県」にして「泉」を表す。

   上田(上田市の東北の一地区名)

    坂城町との境界に太郎山、その山頂近くの上田城内に太郎神社、

    真田町との境界に東太郎山。

  真田・さなだ町(小県郡の町名、上田市上田の東隣り)

  「サナタ」Sanatkumara の sanat-:常に若き者

 ⑤武尊・ほたか神社[群馬県]

  武尊山 2158m 、水上町と川場村の境界。

          片品村との三角境界近くに前武尊山 2040m。

  武尊川 武尊山の水上町側の三峡を水源とする。

      藤原湖(ダム)に入ることにより利根川に合流。

      水源から2km程下流に武尊神社(藤原)

       太郎神社・群馬県勢多郡東村神戸

  武尊神社・沼田市3社、東村3社、利根郡月夜野町3社、水上町1社、

       利根村5社、昭和村3社、片品村5社、白沢村2社


  「ホタカ」potaka 小児、子、(動物の)子、若木、 kumara の異称

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年9月28日日曜日

日光泉太郎と東山道(7)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」


 日光泉小太郎[太郎] 

 ①「信府統記」第十七

  八伏【今ハ八峯瀬ト云フ】山の権現人倫トアラハレ、

  傍ノ丸山ニ居住シ給フ、

  其所二不思議、泉湧出ヌル、味ヒ酒ノ如クシテ人ノ餓ヲ助ケ渡ヲ養ヘリ、

  誠ニ不老不死ノ泉トモ云ヒツヘシ。


  八伏山 長野県塩尻市片丘と岡谷市長地との境界などにある

      筑摩山地の主峰。

  「傍の丸山」塩尻市片内田の小丸山(こまりやま)、

        縄文、弥生時代の遺跡がある。

  ○「コマリ」kumara、

  ○泉小太郎はkumara[Skanda、maga-randhra-kara]の神の映写像である。

  ○小丸山の南隣りを境(さかい)川が流れている。

  ○「サカイ」sakha”サーカハ”の音写。Skanda神の顕現。

    ここにkumara[Skanda]神を信仰する人々が居住していたのであり、

    それを「丸山=居住シ給フ」といっているのである。

    「八峯瀬山ニテ誕生」

  ○境川の水源[現在は、その近くにダムが造られている]の

   山中の平地を「クリタイラ」といい、

   かっては、詳細は不明ながら祠堂があったらしい。
 
   「クリタイラ」karttikeya、Skanda、

   神の異称[本来その母系の名称であった]。

   漢訳:昴宿男。

   Krttika 昴宿[月宿の一つ、Skandaの六乳母として人格化せられた]

   スカンダ神は、六者の乳母より乳をもらって生長した。

  ○小丸山のある一帯を内田原(うちだばら)という(丘陵、境川の扇状地)

   「ウチタ」utsa 井、泉、泉源、udak水、udu 星、星宿、

        udhan 乳房、胸、雲

  ◎「タロー」tara[発行物、撒くもの]星、恒星、

        瞳孔(漢訳)星 (音写)多羅 taraも同義


 ②「泉」

  「善光寺道名所図会」泉の長者

     [信府統記」第十七 其所ニ不思議、泉湧出ヌル、

  ○県(あがた)神社 松本市県 (旧名)源池

   「アガタ」 a gadha 底、源底 

    ◎つまり「源池」と同義となる。源池は「泉」を表す。

  ○筑摩(つかま)神社 松本市筑摩 県のすぐ南隣りの町名

   筑摩 『延喜式』民部 郡名 訓「ツカマ」、

      『延喜式』神名帳 信濃國 筑摩郡 訓「ツカマ」

   太郎山神社、筑摩神社の境内社 

   ◎「ツカマ:子」とは「太郎」に当たる。

  ○神田(松本市、筑摩の東南隣りの町名)

   「カンダ」ganda 犀牛、gandaka 犀 ◎太郎の母 犀龍、犀川の「犀」

   野々宮(ののみや)神社 松本市筑摩5434 ②松本市笹部 ③松本市両島

   「ノノ」nana ”母”の愛称 ◎太郎の母 犀龍を表す。

  ○清水(松本市、県の北隣りの町名)

  ※小丸山(塩尻市片丘内田)にいた一族は、

   この松本市筑摩・県の辺りに移住したらしい。

   東筑摩郡では「泉太郎」あるいは「泉小太郎」という。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
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日光泉太郎と東山道(6)

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 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 日光泉小太郎[太郎]naga-randhra-kara

 ○筑摩郡(長野県松本市・塩尻の辺りを東筑摩郡といった):太陽信仰の地方

 「チクマ(筑摩)」筑摩山地:松本市平の東に広がる。

          美ヶ原高原、八伏山、横山・高ボッチの山波をいう。

          一般に「東山」といわれている。

          「チクマ」はSk.(サンスクリット語)の解釈により

          「太陽・日」を表す。

 Sk.tigma 熱き、熱情的の、鋭き、尖りたる、刺激的の、激しき、

      怖引き、性急なる

  tigma-gu 熱き、光線を発する、

  tigma-kara 太陽(熱き光線を発する)

  tigma-tejes 太陽、鋭利な、激烈な

  tigma-didhiti 太陽

  tigma-dyuti 太陽

  tigma-bhanu 太陽

  tigma- bhas 太陽

  tigma-rasmi 太陽

  tigma-ruci  太陽

  tigmamsu (熱き光線を発する)太陽、火

 片丘(塩尻市)の「カタ」、欠(崖:ガケ)湯の「ケツ」

 (現松本市内田、旧片丘村北内田)

  Sk.ketu 光、光明、光輝・主長、指導者 知識、判断・流星

   松本平においてはこの片丘にある筑摩山地(東山)より

   朝日は顔を出し始める。

   よって片丘が「光の丘」といってよい。

   「旭丘:朝日丘」

   「光山、光岡」

   ○岡山市邑久郷近くの片岡(朝日)と同根

 広丘(塩尻市) 片丘の西に広がる平原で漢字の字義は的を得ている。

  「ヒローカ」当地での一般的呼称。

  Sk.viroka 光輝、(夜明けの)光

  片丘の東山に昇った太陽の暁光が照らす平原の名に適する。

  ○大阪府の枚岡(ヒラオカ) 神社と語源が同じ

  Sk.virokin 輝いている

  Sk.virocana 照らす (名)太陽、太陽神 (漢訳)照、照輝、普照 

 朝日村(東筑摩郡)

  Sk.viroka (夜明けの光) tigma(太陽)に相当する。

  広丘の西に接する地域で、

  筑摩山地(東山)より昇った太陽は先ずこの一帯を曙に染める。


 ○泉小太郎:「日光」

  「信府統記」 日光小太郎、白竜王(父龍)

   日輪の精霊>太陽神(「牛伏寺」) 

  深瀬「フカセ」(ギリシャ語)ψογγοξ[phoggos]

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年9月27日土曜日

日光泉太郎と東山道(5)

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 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 日光泉小太郎[太郎]naga-randhra-kara

 多神社系列

 Kumara/Skanda 神

 ① 小社神社 奈良県磯城郡田原本町木ノ下

   『延喜式』「神名帳」大和國十市郡 小社神(命)神社 訓「コモリ」

   「多神社注進状」樹森神社瓊玉戈神命 (裏書)小社

   ※「コモリ」Kumara

 ② 屋就神社 奈良県橿原市大垣町 屋就神命神社

   『延喜式』「神名帳」大和國十市郡 屋就神命神社 訓「ヤツキ」
 
   「多神社注進状」日月神社火満瓊神命 (裏書)屋就

   ※「ヤツキ」jatu 蝙蝠”こうもり”:Kumara

 ※「小社」「屋就」、共にKumaraに係わり、少年、兒、青年、子息、

   王子[漢訳:子、童、童子]の字義であり、『延喜式』「神名帳」の

   屋就神命神社の下書きにある「巳上四神、大社皇子神」とあるように

   皇子神命神社、姫皇子命神社、小社神命神社、屋就神命神社の四祭神が

   「大社」(多神社)の祭神(弥志理都比古神=神八井命神)の子(児<娘>)神で

   あることを字義としており、「皇子」に相当する。

   ただし、この二つの呼称は単なる「皇子」を

   指しているのみではないことは、

   「皇子」と表記していないことにより明白で、

   その背景にKumara神を意識しているとみられる。

   Kumara[Skanda]神は、多氏の人々にとって貴重な神の一つである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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日光泉太郎と東山道(4)

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 《参考:年表・資料》
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 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 参考に付しますと、多氏の末裔が国造となった熊本県阿蘇の

 阿蘇神社一宮の祭神は健磐竜命といい、

 その語義は”磐を絶つ龍の命”と kumara そのものであります。

 栃木県の都賀郡 の「ツカ」は tuku[小児]で kumara の別称です。

 また河内(かわち)郡は本来「カナイ」で

 gna「女神」の語義「六乳母」をいったものです。

 Gna は河内ばかりでなく、「毛野」国、「絹」川名となってるほか、

 「家内」と翻訳され、上妻、仲妻、下妻(茨城県)の地名を生んでおります。

 なお、この「小泉小太郎」伝承は

 1976年に未来社から出された「日本の民話」10に詳しい、

 またこの民話を元に1979年に松谷みよ子氏が

 講談社から「龍の子太郎」との童話を出し、幼稚園児の児童劇など

 広く取り上げられ知られるとこととなっています。

 ある高校の校是に「弱音を吐くな」というのがあります。

 これは信州の方言と考えられている「ヅク」と大いに関係があります。

 この「ヅク」はサンスクリット語の duh-kha の移入で、

 語義は「艱難に充てる、不愉快な」で

 「苦痛、受苦、艱難」を意味し、

 漢語訳に「苦難、苦悩、患」などとされています。

 「受苦(じゅく)と表されているのは表音、

 語義の両方から誠に興味深いところで、

 この表現からすると、

 「苦労を覚悟(受容)して、困難に与える」となり、

 正に上記の校是そのものとなります。

 つまり、校是は「ヅクを出せ」と同義、そのものであります。

 お釈迦様は四苦[生病老死]を説きました。

 また四苦八苦とも言いますが、

 この四苦に「求めても得られない苦」などの

 4苦を加えた仏教の観相です。

 Duh-kha は松本平において

 「都波」「槻」などと音写され神社名に採られています。

 東山道の終着辺り福島県白河には、

 東白川郡棚倉町八槻の都都古別神社や

 都都古山神社、近津神社が散在しております。

 「八槻」は「八苦」のことであり、

 「都都古」は「ツツコ」で「恙」の異字表記にして、

 「苦、患」、病苦や災いを含義しております。

 よって「ツツコ別」や「ツツコ山」は

 「恙別れ」「恙止(や)め」を旨としています。

 「近津」の「チカツ」はcikitsu[賢い、巧者な]の音写で、

 「智恵を以って患いを防ぐ」との語義でありますし、

 また労苦からの治療に係わります。

 「智恵を以って患いをを止める」との語義もあります。

 「弱音を吐くな」とはシナノ[信濃・科野]の語義である

 「智恵:jnana」を以って「ヅク dhu-kha 労苦」を受入(覚悟)て

 困難に立ち向かうとの精神をいうものでしょう。

 「ヅクを出す」のが信州人の心根ということであります。

 ここまで「真実」を知っていただきたく長々と書き述べました。

 幾分とも郷土の歴史を知るのにお役立てば幸いです。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
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2014年9月26日金曜日

日光泉太郎と東山道(3)

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 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 インドの神話によるとはという六つ星からなる乳母に

 乳をもらって生長したといわれます。

 よって「太郎」名は「星、恒星」の語義であるも tara に由来します。

 因みに、前記の「泉太郎」は東筑摩郡内にだけの呼称です。

 推測するところ、東山道を北上して来た多氏のインド系勢力は

 善知鳥峠を越えて、この地に入り、

 先ず片丘の山付の見晴らしの良い所に本拠を置き、

 次第に支配勢域を延ばして、

 松本市の筑摩・縣周辺に本拠を移し、

 後に東信へ進出して行ったとの履歴を

 「泉太郎」伝承は語っているのでしょう。

 再度申し上げますが、「アガタ」は「泉、源」なのです。

 松本市筑摩の南隣に「神田」地区があります。

 これは「ガンダ」 ganda[犀牛]の音写です。

 Gandaka「犀」で、太郎の母「犀龍」犀川の原語であります。

 太郎が母である犀龍に乗って

 犀川を岩山を割(裂)いて通し至った辺りが「長野」ですが、

 nagaは「龍」なので「ナガ野」とは

 「龍の里」ということになりましょうか。

 泉小太郎は東信へ入って「小泉小太郎」となります。

 「小泉」はそこの郡名「小県」と同義であります。

 その小県郡の中心に位置する上田市名は

 本来「アガタ」であったはずです。

 同市上田地区と坂城町との境界には太郎山があり、

 上田地区側に太郎神社、

 また、同地の真田町との境界にも東太郎山があり、

 太郎伝説の要となっています。

 真田町名の「サナタ」は santkumara[常に若き者(常なる童)]から

 取られた呼称で、

 常盤、常田、常入とその概念は今も定着しています。

 泉小太郎[kumara]の伝承は東山道をさらに東漸していきます。

 群馬県利根郡水上町の利根川の水源[泉、源池]である

 武尊山、武尊川、武尊神社名は「ホタカ」と呼称され、

 これは potakaで「小児、子」の音写で kumara の異称となります。

 利根川を「坂東太郎」という理由はここにあります。

 武尊神社は水上町、沼田市、利根村などに

 25社は現在考察されています。

 因みに安曇野の穂高神社、穂高岳の「ホタカ」も

 語源は同様 potaka ではありますが、

 その所以は「海童」と表記される綿津見神の「童」に係わるもので、

 kumara伝承とは別の信仰伝承に依っています。

 Kumaraの伝承、信仰は栃木県日光市・宇都宮市など

 同県西部(河内郡、都賀郡)にも定着しています。

 日光は「二荒」が元の称語です。

 『延喜式』「神名帳」下野国河内郡に載る二荒山神社名がその興りです。

 そこには「フタラ」の訓が付されています。

 同語は putara の音写で漢語訳には「真名子」とあり、

 実際男体山の北方に大真名子山、小真名子山の山名があり、

 それらの西方に太郎山もあります。

 二荒山神社は、日光市山内に本宮、中禅寺湖畔に中宮司、

 男体山頂に奥宮が祀られています。

 これらの様相からすると男体山自体が

 二荒山にして太郎山とすることができます。

 男体山の山麓、本宮の西に位置する久次良[くじら]町名は

 kumara である karttikeya を養った昴宿である

 六乳母の与えた「乳」ksiraの音写です。

 宇都宮の「ウツ」には

 utsa[泉、泉源]、uda[水]、udu[星、星宿]、udhan[乳房、胸]と、

 その語源は考えられますが、この地域に最も多い神社名が

 「星宮」で、

 karttikeyaを考慮すれば

 「星、星宿」のuduを原語とするのが妥当でしょう。

 栃木市平柳にある星宮神社の祭神は

 磐裂命・根裂命で、同双神の神社名、

 磐裂根裂神社も鹿沼市7社、日光市5社、今市市2社、

 上都賀郡1社、下都賀郡10社、塩谷郡1社とあります。

 「山を割く男」 naga-randhra-kara の語義そのものの神社名です。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
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 ハラフ期の土器について
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年9月25日木曜日

日光泉太郎と東山道(2)

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 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 よって信濃もサンスクリット語の文化圏となっていったのです。

 因みに「多」の原語は aha で「日、昼」で太陽に関わっています。

 『延喜式』「神名帳」の大和国十市郡に「多坐弥志理都比古神社」とあり、

 現在の奈良県磯城郡田原本町多に鎮座する

 「多神社」が当該社で、そこが主幹地です。

 信濃[科野]の「シナ」もサンスクリット語にその祖語があり、

 jnana が祖語で「知恵、知識、知ること」を表します。

 「智」といえば、東山道の信州への入口神坂峠のある所が

 「阿智村」で、そこには『延喜式』「神名帳」の伊那郡に載る

 「阿智神社」が鎮座しています。

 その所在地名が「昼神」で、

 これは本来「ヒルジン」で pra-jna[智恵、教訓、知識]、

 あの「般若経」の「パンニャ」の原語です。

 その根本教義は「色即是空、空即是色」で、

 「信濃国風土記」逸文の「築木」の伝承に対応します。

 遠くから見るとあるが、近くに行くとないという内容です。

 同社の祭神は思金神『古事記』、思兼神『日本書紀』で、

 双方とも「おもいかね」と呼ばれていますが、

 この音読は「shikin、shiken」で

 sikhin[最高の智恵を得た]の音写であります。

 最高の智恵とはpra-jnaです。

 ついでに思金神の子神下春神が祀られているのが

 埼玉県の秩父神社ですが、

 その「チチブ」は dhiti-vat の音写で

 「思考のある」との語義で「知識」などに対応します。

 勿論神名の「春:ハル」は pra-jna の pra であります。

 参考に付言しますと、多氏の系譜に連なる肥後[火]、

 熊本件の真中を流れる「白川」の「シラ」は jala[泉、井]の転訛で、

 その水源が阿蘇山の南「泉村」です。

 Jが「シ」となっている共通の例です。

 東山道は伊那郡から筑摩郡へ入りました。

 この「チクマ」は tiga-kara[熱く刺すもの、太陽を指す]の

  tigmaを原語とします。

 筑摩は郡名でありますが、

 また鉢伏山などの筑摩山地の呼称ともなっています。

 「チクマ」の呼称の起こりはこの東山にあります。

 「日、太陽」東山から上り、この乎は明けます。

 その麓「片丘」は”ketuの丘”で「光、光輝の山」、

 その西隣「広丘」は virokaで「光輝」特に「夜明けの光」

 つまり「曙」を表し、

 その西隣が朝日村です。

 「チクマ:筑摩」が dha[日、昼(太陽)]、

 つまり多氏[信濃国造]な係わっている様子がよく解ります。

 ところで、松本市(県)の南に「筑摩」地区があり、

 ここでは「つかま」といいます。

 漢字は同じでありますが呼称が異なります。

 なぜでしようか。

 そこには筑摩神社、その隣に太郎山大神、

 そして野々宮神社があります。

 「ツカヤ」はtokman[tukman]、tukuの音写で「子」あるいは

 「小児」つまり「童」をあらわしており、

 野々宮の「ノノ」は nana、「母」を表しております。

 そして「太郎山」はこの地方の重要な開拓伝承

 「泉太郎」あるいは「泉小太郎」に依っています。

 「信府統記」第十七や「善光寺道名所図会」に

 「日光小太郎」が母である「犀龍」に乗って岩山を裂き通して

 川を長野方面へ流れ出させた[犀川]という物語を伝えております。

 これはインドのガンジス河を天から流れ出させ、

 海へ導いたという naga-randhra-kara[龍に乗る者:山を割く男]の物語を

 大元としたもので、その者(男)はkarttikeyaといい、

 別称を kumara[男子:童]といいます。

 奈良県の田原本町多には多神社と共に小社神社があり、

 『延喜式』「神名帳」にも載る古社です。

 「小社」は「小社」で「コモリ」つまり kumara の音写名です。

 「信府統記」によると小太郎は最初鉢伏山の麓、丸山に居たといいます。

 「丸山」が現塩尻市片丘内田の小丸山(遺跡がある)辺りで

 「小丸」が kumara に対応し、

 内田の「うち」が utsu で「泉、泉源」を現しています。

 小太郎の「小太」は片丘の「カタ」のketu[光]に依るとみられるのは、

 「日光小太郎」の日光や「チクマ(筑摩)」山地の麓であるからです。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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日光泉太郎と東山道(1)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 アガタ[県]とシナノ[信濃]

 「県」をなぜ「アガタ」と言うのでしようか。

 日本語、漢語の音訓にはありません。

 慣習によりそう呼んできただけです。

 真実は「集団」を語義とするAGDHという外国語があり、

 古代の日本に影響を与えたのです。

 その用語を持つ族類についてはここでは述べません。

 そこで、それらと違う本実の当「アガタ」の所似について

 「シナノ」「チクマ(筑摩)」などの地方名や

 「ヅク」という方言的用語の由来ともども説明させていただきます。

 眞に申し上げますと「アガタ」は

 サンスクリット語の「起源」を語義とする

 a-gati 及び「源底、底」を表す a-gadha が祖語です。

 松本市県(町)の別称が「源池」であることは周知のところです。

 この「源池」はまた「水の源」で「泉」です。

 サンスクリット語とは仏教でいう「梵語」で、

 インドの紀元前の古代に用いられた、

 その中心的人々アーリア人の言語です。

 その言葉が仏教を通して日本へ渡来したのは事実です。

 例えば現在松本市内田にある牛伏寺の「牛」を「ゴ」というのは

 サンスクリット語の「gu、go=牡牛」に依っているからです。

 仏教伝来は一般に6世紀とされています。

 ここで考慮する仏教の渡来はそれよりかなり以前のことです。

 紀元前2世紀頃よりインド方面の貿易商人たちが

 極東へ「絹」を求めて渡来し、

 彼等の一部が居留地を設けて定着し、

 後漸次日本国土に影響したことにより、

 彼等の用語サンスクリット語が浸透したのです。

 彼等の居留地が魏書倭人章の伝える九州の末廬国の

 madhaura [甘いもの、蜜]、奴国のnau [船]、

 不弥国[Arya-bhumi、アーリア人の土地]、

 邪馬台国のjambu-dvipa[インド亜大陸、インド]です。

 このインド系の勢力は畿内、大和[奈良県]へも進出しました。

 魏書がいう狗奴国が同地で、gnaが祖語で「女神、神妃」が語義で、

 後に同義のnaraを祖語とする「奈良」となります。

 同地でのこの勢力の象徴が初代天皇の神武天皇で、

 その宗族が「多氏」です。

 『古事記』によると、

 多氏は神武天皇の第一の皇子である神八井耳命を祖とします。

 その後裔は

 九州の火「肥」、阿蘇、筑紫、四国[伊余]の[国造]となっていますが、

 さらに東山道に沿って尾張、伊勢、長狭(安房)、仲(常陸)、石城(道奥)、

 そして信濃国造及び小長谷部(長野市)と東国へ進出しております。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年9月15日月曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(48)銅鐸は単なる唯物(ゆいぶつ)史料ではなく「文献史料」

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 古代史ブログ講座

 銅鐸の古代呼称が判明した(48)銅鐸は単なる唯物(ゆいぶつ)史料ではなく「文献史料」


 なぜ銅鐸を本講座の総括に使ったか、

 ご理解のことと思うが、

 念のため幾つかお話しして終りを締めくくろう。

 在来の史学では銅鐸は発掘考古学の領域に属する唯物史料だと考えて、

 考古学者たちが発表する時代設定などを鵜呑(ウの)みにしながら、

 『記・紀』の外(そと)に置いてきた。

 だがそれが史学最大の手抜かりだった。

 なぜならそれは『記・紀』の神武紀元から

 かなりの世代の天皇治世と

 重なる時代の遺物だからである。

 それが列島の中央を占めた一大勢力の遺品であることは明白なのに、

 誰一人それと天皇家との関係を特定せず放置してきた。

 大和説や畿内説でさえ、

 卑弥呼政権実在の証拠にできず、

 放置してきたのである。

 だがこの講座では

 それがサカ~サタとの関連で明瞭に見えてきた。

 それはさらに手焙(てあぶ)り形土器が

 同一時代の近隣地域から出土することで、

 インド金属文化の実在が確認できたことから、

 そのインド名からウッタラとの結びつきが明確になったので、

 既知(きち)の文献史料や言語史料と結びつき、

 関連史実が全て読める「文献史料」になったのである。

 それによって、

 少し曲解されれば侵略と受けとられる神武東征とは比較にならぬ、

 当時の世界では人頼最高の人道哲学だった仏教による政権が、

 すでに列島の中原を治めていた史実を今、

 世界の人たちに知らせることができるまでになった。

 本当にご同慶にたえない。

《参考》

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