2014年9月27日土曜日

日光泉太郎と東山道(4)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 参考に付しますと、多氏の末裔が国造となった熊本県阿蘇の

 阿蘇神社一宮の祭神は健磐竜命といい、

 その語義は”磐を絶つ龍の命”と kumara そのものであります。

 栃木県の都賀郡 の「ツカ」は tuku[小児]で kumara の別称です。

 また河内(かわち)郡は本来「カナイ」で

 gna「女神」の語義「六乳母」をいったものです。

 Gna は河内ばかりでなく、「毛野」国、「絹」川名となってるほか、

 「家内」と翻訳され、上妻、仲妻、下妻(茨城県)の地名を生んでおります。

 なお、この「小泉小太郎」伝承は

 1976年に未来社から出された「日本の民話」10に詳しい、

 またこの民話を元に1979年に松谷みよ子氏が

 講談社から「龍の子太郎」との童話を出し、幼稚園児の児童劇など

 広く取り上げられ知られるとこととなっています。

 ある高校の校是に「弱音を吐くな」というのがあります。

 これは信州の方言と考えられている「ヅク」と大いに関係があります。

 この「ヅク」はサンスクリット語の duh-kha の移入で、

 語義は「艱難に充てる、不愉快な」で

 「苦痛、受苦、艱難」を意味し、

 漢語訳に「苦難、苦悩、患」などとされています。

 「受苦(じゅく)と表されているのは表音、

 語義の両方から誠に興味深いところで、

 この表現からすると、

 「苦労を覚悟(受容)して、困難に与える」となり、

 正に上記の校是そのものとなります。

 つまり、校是は「ヅクを出せ」と同義、そのものであります。

 お釈迦様は四苦[生病老死]を説きました。

 また四苦八苦とも言いますが、

 この四苦に「求めても得られない苦」などの

 4苦を加えた仏教の観相です。

 Duh-kha は松本平において

 「都波」「槻」などと音写され神社名に採られています。

 東山道の終着辺り福島県白河には、

 東白川郡棚倉町八槻の都都古別神社や

 都都古山神社、近津神社が散在しております。

 「八槻」は「八苦」のことであり、

 「都都古」は「ツツコ」で「恙」の異字表記にして、

 「苦、患」、病苦や災いを含義しております。

 よって「ツツコ別」や「ツツコ山」は

 「恙別れ」「恙止(や)め」を旨としています。

 「近津」の「チカツ」はcikitsu[賢い、巧者な]の音写で、

 「智恵を以って患いを防ぐ」との語義でありますし、

 また労苦からの治療に係わります。

 「智恵を以って患いをを止める」との語義もあります。

 「弱音を吐くな」とはシナノ[信濃・科野]の語義である

 「智恵:jnana」を以って「ヅク dhu-kha 労苦」を受入(覚悟)て

 困難に立ち向かうとの精神をいうものでしょう。

 「ヅクを出す」のが信州人の心根ということであります。

 ここまで「真実」を知っていただきたく長々と書き述べました。

 幾分とも郷土の歴史を知るのにお役立てば幸いです。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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