Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
古代史獺祭
≪日光泉太郎と東山道≫
出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」
参考に付しますと、多氏の末裔が国造となった熊本県阿蘇の
阿蘇神社一宮の祭神は健磐竜命といい、
その語義は”磐を絶つ龍の命”と kumara そのものであります。
栃木県の都賀郡 の「ツカ」は tuku[小児]で kumara の別称です。
また河内(かわち)郡は本来「カナイ」で
gna「女神」の語義「六乳母」をいったものです。
Gna は河内ばかりでなく、「毛野」国、「絹」川名となってるほか、
「家内」と翻訳され、上妻、仲妻、下妻(茨城県)の地名を生んでおります。
なお、この「小泉小太郎」伝承は
1976年に未来社から出された「日本の民話」10に詳しい、
またこの民話を元に1979年に松谷みよ子氏が
講談社から「龍の子太郎」との童話を出し、幼稚園児の児童劇など
広く取り上げられ知られるとこととなっています。
ある高校の校是に「弱音を吐くな」というのがあります。
これは信州の方言と考えられている「ヅク」と大いに関係があります。
この「ヅク」はサンスクリット語の duh-kha の移入で、
語義は「艱難に充てる、不愉快な」で
「苦痛、受苦、艱難」を意味し、
漢語訳に「苦難、苦悩、患」などとされています。
「受苦(じゅく)と表されているのは表音、
語義の両方から誠に興味深いところで、
この表現からすると、
「苦労を覚悟(受容)して、困難に与える」となり、
正に上記の校是そのものとなります。
つまり、校是は「ヅクを出せ」と同義、そのものであります。
お釈迦様は四苦[生病老死]を説きました。
また四苦八苦とも言いますが、
この四苦に「求めても得られない苦」などの
4苦を加えた仏教の観相です。
Duh-kha は松本平において
「都波」「槻」などと音写され神社名に採られています。
東山道の終着辺り福島県白河には、
東白川郡棚倉町八槻の都都古別神社や
都都古山神社、近津神社が散在しております。
「八槻」は「八苦」のことであり、
「都都古」は「ツツコ」で「恙」の異字表記にして、
「苦、患」、病苦や災いを含義しております。
よって「ツツコ別」や「ツツコ山」は
「恙別れ」「恙止(や)め」を旨としています。
「近津」の「チカツ」はcikitsu[賢い、巧者な]の音写で、
「智恵を以って患いを防ぐ」との語義でありますし、
また労苦からの治療に係わります。
「智恵を以って患いをを止める」との語義もあります。
「弱音を吐くな」とはシナノ[信濃・科野]の語義である
「智恵:jnana」を以って「ヅク dhu-kha 労苦」を受入(覚悟)て
困難に立ち向かうとの精神をいうものでしょう。
「ヅクを出す」のが信州人の心根ということであります。
ここまで「真実」を知っていただきたく長々と書き述べました。
幾分とも郷土の歴史を知るのにお役立てば幸いです。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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