2014年9月13日土曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(33)矛盾だらけになる原因はヤマトヘの無知

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 銅鐸の古代呼称が判明した(33)矛盾だらけになる原因はヤマトヘの無知

 銅鐸の問題ひとつを考えただけでも、

 邪馬台国大和説は成立しないが、

 この和辻説だと、こんどは、

 「では、負けて滅んだ神武天皇を、

  初代の天皇として系譜の中に特筆する必要が、

  一体なぜ?あるのか?」という、

 もっと大きな疑問が生まれる。

 もちろん権力者の系譜や業績は、

 修飾されていると考えていいが、

 それにしても苦戦して撃ち破った憎い敵を、

 自分たちの聖なる初代皇祖として崇(あが)め、

 特筆することは絶対にない。

 こうしたことから和辻氏は

 九州説から大和説に180度転向してしまった。

 『魏書倭人章』の方位は90度狂っている。

 南というのは東のことだなどと主張したのは彼である。

 (『和辻哲郎全集』第三巻「新稿日本古代文化」昭和26年)

 以上でわかるように、

 「邪馬台国は神武天皇の時代からすでに奈良にあった」としても、

 「銅鐸終末期に奈良に入った政権」としても、

 矛盾だらけで何ひとつ解決がつかない。

 その原因は何なのか?。

 それは「ヤマト」という名詞を、

 誤解しているからなのである。

 それも単純な誤解ではない。

 ヤマトとは奈良の古名だという知識しかなくて、

 それがどんな語源をもち、

 いっから地名になったのかという知識も研究もなしに、

 さらに邪馬臺をヤマトなどと読めると思い込んでいる。
 
 その無知の数々が相乗した結論が正しいはずがない。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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