2014年9月11日木曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(27)銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」

 浦和レッズレディース
 古代史ブログ講座

 銅鐸の古代呼称が判明した(27)銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」

 これにも答える遺物がある。

 それは関東以北に多く残る「ダイタラポッチ」の伝説である。

 彼は肉体の大きな巨人とされるが、必要なのはその名である。

 この名は地域で多少変わるが、

 「大太良坊」や「大太法師」と書かれるのをみると、

 「ボッチ」は「法師」または「坊主」であって

 仏教に関係のある存在である。

 するとソナカとともに東方へ派遺された宣布団の、

 もう一人の指揮者「ウッタラ」の名が浮かんでくる。

 南九州では「大」は「ウ」と発音する。

 「大太良」はぴったり「ウッタラ」に一致する。

 この奇妙な巨人の名は、

 ウッタラも日本列島へ来ていたことを、あらゆる点で教えるが、

 時代が早く、地域が記録に残りにくい東国だったために、

 僅かに童話的な伝説しか残らなかったとみていい。

 彼はあらかじめ協議の上、

 寒地を担当するために寒地向きの稲を準備していたと考えると、

 熱帯アジアを次第に東遷したソナカらより、

 早期に日本列島まで到達して布教していた。

 それが卑弥呼より前の弥生前~中期に

 銅鐸などを考案して信仰とともに稲作を

 教えた人々の正体だったのである。

 こうわかると銅鐸に描かれた渦状文は水稲の母=水を意味し、

 蜘蛛やカマキリは害虫を退治する味方で、

 狩猟のように見えるのは稲を食い荒らす害獣の駆除法で、

 籾を臼でついて収穫するまでの「絵解き読本」だとわかる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント:

コメントを投稿