古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(27)銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」
これにも答える遺物がある。
それは関東以北に多く残る「ダイタラポッチ」の伝説である。
彼は肉体の大きな巨人とされるが、必要なのはその名である。
この名は地域で多少変わるが、
「大太良坊」や「大太法師」と書かれるのをみると、
「ボッチ」は「法師」または「坊主」であって
仏教に関係のある存在である。
するとソナカとともに東方へ派遺された宣布団の、
もう一人の指揮者「ウッタラ」の名が浮かんでくる。
南九州では「大」は「ウ」と発音する。
「大太良」はぴったり「ウッタラ」に一致する。
この奇妙な巨人の名は、
ウッタラも日本列島へ来ていたことを、あらゆる点で教えるが、
時代が早く、地域が記録に残りにくい東国だったために、
僅かに童話的な伝説しか残らなかったとみていい。
彼はあらかじめ協議の上、
寒地を担当するために寒地向きの稲を準備していたと考えると、
熱帯アジアを次第に東遷したソナカらより、
早期に日本列島まで到達して布教していた。
それが卑弥呼より前の弥生前~中期に
銅鐸などを考案して信仰とともに稲作を
教えた人々の正体だったのである。
こうわかると銅鐸に描かれた渦状文は水稲の母=水を意味し、
蜘蛛やカマキリは害虫を退治する味方で、
狩猟のように見えるのは稲を食い荒らす害獣の駆除法で、
籾を臼でついて収穫するまでの「絵解き読本」だとわかる。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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