古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(29)「万世一系」を否定する致命的な「畿内説」
卑弥呼以前の近畿はその銅鐸圏の中央にあり、
近畿にも三種の神器の副葬が見られ初めるのは古墳時代以後である。
これは我が国建国史上、絶対に見過ごせない大問題だ。
なぜなら「神武天皇は弥生時代に奈良県橿原で建国した」と主張する
在来の奈良建国説や邪馬台国畿内説だと、
弥生時代の天皇たちは、
三種の神器を祭器とする今の天皇家に減ぼされた銅鐸人の王たちになる。
それは『記・紀』が書く
「神武天皇以来、連綿と続く万世一系の天皇家」を否定して、
「天皇家は絶対に万世一系ではない」ことになるからである。
また卑弥呼も天照大御神であり
倭迹迹日百襲姫であって現天皇家の皇祖なのだから、
当然三種の神器を尊ぶ皇族である。
そのことは『魏書倭人章』にも明確に記録されている。
そこには倭人の葬制から行動に至るまで詳細に書かれているが、
最も目立っはずの銅鐸は全然話題にものぼっていない。
しかし三種の神器は「兵 用 矛=武器は矛(短かい剣)を用いる」。
「出 真珠 青玉=真珠や青玉を生産する」。
「五尺刀二口(ふたふり) 銅鏡百枚 真珠 鉛丹
各五十斤…鄭重 賜 汝好物 也」。
これは「五尺刀は剣。銅鏡は鏡。真珠は玉」で、
正確に剣鏡玉の順に書かれ、
それを「汝の好物=大切なもの」だから
「鄭重に差し上げる」と書いている。
卑弥呼らが三種の神器を尊ぶことは
魏人でさえよく知っていたのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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