Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
古代史獺祭
≪日光泉太郎と東山道≫
出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」
アガタ[県]とシナノ[信濃]
「県」をなぜ「アガタ」と言うのでしようか。
日本語、漢語の音訓にはありません。
慣習によりそう呼んできただけです。
真実は「集団」を語義とするAGDHという外国語があり、
古代の日本に影響を与えたのです。
その用語を持つ族類についてはここでは述べません。
そこで、それらと違う本実の当「アガタ」の所似について
「シナノ」「チクマ(筑摩)」などの地方名や
「ヅク」という方言的用語の由来ともども説明させていただきます。
眞に申し上げますと「アガタ」は
サンスクリット語の「起源」を語義とする
a-gati 及び「源底、底」を表す a-gadha が祖語です。
松本市県(町)の別称が「源池」であることは周知のところです。
この「源池」はまた「水の源」で「泉」です。
サンスクリット語とは仏教でいう「梵語」で、
インドの紀元前の古代に用いられた、
その中心的人々アーリア人の言語です。
その言葉が仏教を通して日本へ渡来したのは事実です。
例えば現在松本市内田にある牛伏寺の「牛」を「ゴ」というのは
サンスクリット語の「gu、go=牡牛」に依っているからです。
仏教伝来は一般に6世紀とされています。
ここで考慮する仏教の渡来はそれよりかなり以前のことです。
紀元前2世紀頃よりインド方面の貿易商人たちが
極東へ「絹」を求めて渡来し、
彼等の一部が居留地を設けて定着し、
後漸次日本国土に影響したことにより、
彼等の用語サンスクリット語が浸透したのです。
彼等の居留地が魏書倭人章の伝える九州の末廬国の
madhaura [甘いもの、蜜]、奴国のnau [船]、
不弥国[Arya-bhumi、アーリア人の土地]、
邪馬台国のjambu-dvipa[インド亜大陸、インド]です。
このインド系の勢力は畿内、大和[奈良県]へも進出しました。
魏書がいう狗奴国が同地で、gnaが祖語で「女神、神妃」が語義で、
後に同義のnaraを祖語とする「奈良」となります。
同地でのこの勢力の象徴が初代天皇の神武天皇で、
その宗族が「多氏」です。
『古事記』によると、
多氏は神武天皇の第一の皇子である神八井耳命を祖とします。
その後裔は
九州の火「肥」、阿蘇、筑紫、四国[伊余]の[国造]となっていますが、
さらに東山道に沿って尾張、伊勢、長狭(安房)、仲(常陸)、石城(道奥)、
そして信濃国造及び小長谷部(長野市)と東国へ進出しております。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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