2014年9月25日木曜日

日光泉太郎と東山道(1)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 アガタ[県]とシナノ[信濃]

 「県」をなぜ「アガタ」と言うのでしようか。

 日本語、漢語の音訓にはありません。

 慣習によりそう呼んできただけです。

 真実は「集団」を語義とするAGDHという外国語があり、

 古代の日本に影響を与えたのです。

 その用語を持つ族類についてはここでは述べません。

 そこで、それらと違う本実の当「アガタ」の所似について

 「シナノ」「チクマ(筑摩)」などの地方名や

 「ヅク」という方言的用語の由来ともども説明させていただきます。

 眞に申し上げますと「アガタ」は

 サンスクリット語の「起源」を語義とする

 a-gati 及び「源底、底」を表す a-gadha が祖語です。

 松本市県(町)の別称が「源池」であることは周知のところです。

 この「源池」はまた「水の源」で「泉」です。

 サンスクリット語とは仏教でいう「梵語」で、

 インドの紀元前の古代に用いられた、

 その中心的人々アーリア人の言語です。

 その言葉が仏教を通して日本へ渡来したのは事実です。

 例えば現在松本市内田にある牛伏寺の「牛」を「ゴ」というのは

 サンスクリット語の「gu、go=牡牛」に依っているからです。

 仏教伝来は一般に6世紀とされています。

 ここで考慮する仏教の渡来はそれよりかなり以前のことです。

 紀元前2世紀頃よりインド方面の貿易商人たちが

 極東へ「絹」を求めて渡来し、

 彼等の一部が居留地を設けて定着し、

 後漸次日本国土に影響したことにより、

 彼等の用語サンスクリット語が浸透したのです。

 彼等の居留地が魏書倭人章の伝える九州の末廬国の

 madhaura [甘いもの、蜜]、奴国のnau [船]、

 不弥国[Arya-bhumi、アーリア人の土地]、

 邪馬台国のjambu-dvipa[インド亜大陸、インド]です。

 このインド系の勢力は畿内、大和[奈良県]へも進出しました。

 魏書がいう狗奴国が同地で、gnaが祖語で「女神、神妃」が語義で、

 後に同義のnaraを祖語とする「奈良」となります。

 同地でのこの勢力の象徴が初代天皇の神武天皇で、

 その宗族が「多氏」です。

 『古事記』によると、

 多氏は神武天皇の第一の皇子である神八井耳命を祖とします。

 その後裔は

 九州の火「肥」、阿蘇、筑紫、四国[伊余]の[国造]となっていますが、

 さらに東山道に沿って尾張、伊勢、長狭(安房)、仲(常陸)、石城(道奥)、

 そして信濃国造及び小長谷部(長野市)と東国へ進出しております。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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