Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
古代史獺祭
≪日光泉太郎と東山道≫
出典:歴史研究家「小嶋 秋彦」
インドの神話によるとはという六つ星からなる乳母に
乳をもらって生長したといわれます。
よって「太郎」名は「星、恒星」の語義であるも tara に由来します。
因みに、前記の「泉太郎」は東筑摩郡内にだけの呼称です。
推測するところ、東山道を北上して来た多氏のインド系勢力は
善知鳥峠を越えて、この地に入り、
先ず片丘の山付の見晴らしの良い所に本拠を置き、
次第に支配勢域を延ばして、
松本市の筑摩・縣周辺に本拠を移し、
後に東信へ進出して行ったとの履歴を
「泉太郎」伝承は語っているのでしょう。
再度申し上げますが、「アガタ」は「泉、源」なのです。
松本市筑摩の南隣に「神田」地区があります。
これは「ガンダ」 ganda[犀牛]の音写です。
Gandaka「犀」で、太郎の母「犀龍」犀川の原語であります。
太郎が母である犀龍に乗って
犀川を岩山を割(裂)いて通し至った辺りが「長野」ですが、
nagaは「龍」なので「ナガ野」とは
「龍の里」ということになりましょうか。
泉小太郎は東信へ入って「小泉小太郎」となります。
「小泉」はそこの郡名「小県」と同義であります。
その小県郡の中心に位置する上田市名は
本来「アガタ」であったはずです。
同市上田地区と坂城町との境界には太郎山があり、
上田地区側に太郎神社、
また、同地の真田町との境界にも東太郎山があり、
太郎伝説の要となっています。
真田町名の「サナタ」は santkumara[常に若き者(常なる童)]から
取られた呼称で、
常盤、常田、常入とその概念は今も定着しています。
泉小太郎[kumara]の伝承は東山道をさらに東漸していきます。
群馬県利根郡水上町の利根川の水源[泉、源池]である
武尊山、武尊川、武尊神社名は「ホタカ」と呼称され、
これは potakaで「小児、子」の音写で kumara の異称となります。
利根川を「坂東太郎」という理由はここにあります。
武尊神社は水上町、沼田市、利根村などに
25社は現在考察されています。
因みに安曇野の穂高神社、穂高岳の「ホタカ」も
語源は同様 potaka ではありますが、
その所以は「海童」と表記される綿津見神の「童」に係わるもので、
kumara伝承とは別の信仰伝承に依っています。
Kumaraの伝承、信仰は栃木県日光市・宇都宮市など
同県西部(河内郡、都賀郡)にも定着しています。
日光は「二荒」が元の称語です。
『延喜式』「神名帳」下野国河内郡に載る二荒山神社名がその興りです。
そこには「フタラ」の訓が付されています。
同語は putara の音写で漢語訳には「真名子」とあり、
実際男体山の北方に大真名子山、小真名子山の山名があり、
それらの西方に太郎山もあります。
二荒山神社は、日光市山内に本宮、中禅寺湖畔に中宮司、
男体山頂に奥宮が祀られています。
これらの様相からすると男体山自体が
二荒山にして太郎山とすることができます。
男体山の山麓、本宮の西に位置する久次良[くじら]町名は
kumara である karttikeya を養った昴宿である
六乳母の与えた「乳」ksiraの音写です。
宇都宮の「ウツ」には
utsa[泉、泉源]、uda[水]、udu[星、星宿]、udhan[乳房、胸]と、
その語源は考えられますが、この地域に最も多い神社名が
「星宮」で、
karttikeyaを考慮すれば
「星、星宿」のuduを原語とするのが妥当でしょう。
栃木市平柳にある星宮神社の祭神は
磐裂命・根裂命で、同双神の神社名、
磐裂根裂神社も鹿沼市7社、日光市5社、今市市2社、
上都賀郡1社、下都賀郡10社、塩谷郡1社とあります。
「山を割く男」 naga-randhra-kara の語義そのものの神社名です。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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