古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(16)和(カ)人と倭(ウワイ)人と縄文、弥生、古墳人の区別
また中国語の[人]の発音は[リェン]に近い。
[カ]という民族は[カリエン]と発音される。
今[カリエン]と呼ばれる人々は、
昔中国で[和(カ)]と呼ばれた時代の名残りをとどめている。
これは[和人]と[倭人]が同じだとされていた証拠なのである。
しかしこの[和人]と[倭人]は同じではない。
[和人]は縄文時代から日本列島にいたが、
[倭人〕のほうは『ヒミコ』でお話ししたように、
卑弥呼の時代に初めて九州へ来た
アショカ仏教布教団が広めた初期仏教信者のことである。
彼らは今、古墳と呼ばれるストウーパを日本に建てはじめた。
[和人]が縄文人なら、
[倭人]は[古墳人]なのである。
厳密にいうと[倭人]は[弥生人]とも違う。
そのことを『倭人章』は[銅鐸]について、
何一つ書かないことで、はっきり書き分けている。
弥生時代後期の本州西部には
銅鐸を持った人たちが住んでいたが、
古墳がつくられるようになるとそれは姿を消した。
勢力の交替があったことは、はっきりしている。
当然[倭人]は[弥生人]と区別しなければならない。
こうした混乱はもう過去のものである。
[和人]も[倭人]も区別せず[ワジン]と呼ぶことなどから
改める必要がある。
[倭]は[ウワイ]という発音だから
優婆畏(仏教徒)への当て字に使われたのだから
[大和(ウワ)]人と呼ぶのが正しいのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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