2014年9月5日金曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(16)和(カ)人と倭(ウワイ)人と縄文、弥生、古墳人の区別

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 銅鐸の古代呼称が判明した(16)和(カ)人と倭(ウワイ)人と縄文、弥生、古墳人の区別

 また中国語の[人]の発音は[リェン]に近い。

 [カ]という民族は[カリエン]と発音される。

 今[カリエン]と呼ばれる人々は、

 昔中国で[和(カ)]と呼ばれた時代の名残りをとどめている。

 これは[和人]と[倭人]が同じだとされていた証拠なのである。

 しかしこの[和人]と[倭人]は同じではない。

 [和人]は縄文時代から日本列島にいたが、

 [倭人〕のほうは『ヒミコ』でお話ししたように、

 卑弥呼の時代に初めて九州へ来た

 アショカ仏教布教団が広めた初期仏教信者のことである。

 彼らは今、古墳と呼ばれるストウーパを日本に建てはじめた。

 [和人]が縄文人なら、

 [倭人]は[古墳人]なのである。

 厳密にいうと[倭人]は[弥生人]とも違う。

 そのことを『倭人章』は[銅鐸]について、

 何一つ書かないことで、はっきり書き分けている。

 弥生時代後期の本州西部には

 銅鐸を持った人たちが住んでいたが、

 古墳がつくられるようになるとそれは姿を消した。

 勢力の交替があったことは、はっきりしている。

 当然[倭人]は[弥生人]と区別しなければならない。

 こうした混乱はもう過去のものである。

 [和人]も[倭人]も区別せず[ワジン]と呼ぶことなどから

 改める必要がある。

 [倭]は[ウワイ]という発音だから

 優婆畏(仏教徒)への当て字に使われたのだから

 [大和(ウワ)]人と呼ぶのが正しいのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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