古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(43)大和説を完全に否定する銅鐸出土状況
大和説なら橿原を中心に最も多く出土するはずだが、
銅鐸出土状況図では奈良全体でも僅かで、愛知の半分もない。
むしろ倭の五王圏に集中している。
私(加治木義博)は、
ウッタラ政権から倭の五王政権まで続いた
海人(ハヤト)の信仰文化だったと考えている。
「写真」
入れ子になった銅鐸サナギ
滋賀県野洲(ヤス)郡野洲町小篠原大岩山出土
「写真」
小坂井銅鐸出土状況 (1924年)
「図」
原田大六『日本古墳文化』
青銅器分布図 (1954年)による
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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