古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(41)ウッタラと銅鐸が残した多数の言語遺物
「銅鐸」というのは現代の考古学が仮につけた学名だから、
古代からあった名前ではない。
古代には何と呼ばれていたか。
ウッタラが使った言葉はパーリ語だから、
金属製で宗教用の打楽器には
銅鑼(どら)、鐃鈸(ねうはち)、鼓(つつみ)などを
意味するalamba アーラムバ、alambara アーラムバラ=太鼓などがある。
ところがalambati アーラムバチと変化すると、
「ぶら下がる・懸(か)ける」という意味になる。
銅鐸はその上部の形からみて、
間違いなく「ぶら下げる」構造になっており、
下に置いたのでは鳴らないのは明白である。
そしてアーラムバチの「バチ」は、
打楽器を打つ「ばち」と同じで、
鐃鈸(ねうはち)の「ばち」でもある。
また昔の僧侶などが、
門(かど)づけをする際には鐘を叩いて鳴らしたが、
それを鐘叩きとはいわずに「鉢(はち)叩き」といった。
このハチもまたウッタラ時代のアーラムバチの遺物だとみられる。
こうみてくると植木鉢は銅鐸を逆さにした形と共通牲が多く、
鉢というのは底のある食器だけとは限らないことに気付く。
そして打楽器というものは
「打ったら鳴るが、打たねば鳴らない」
その「打ったら鳴る」銅鐸がウッタラの持ってきた聖器だったのだから、
「打ったら」という日本語の語源がこの「ウッタラ」に結びつく。
銅鐸以前には打楽器は見られないから、
これらの複数の日本語は、
ウッタラと銅鐸が残した言語遺物だったとみて無理はない。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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