古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(12)和人、倭人、縄文人、弥生人、古墳人の区別
その[高麗]は古くから鹿児島の南の海上にありました。
こう見てくると今もそこにある[宝島]が何を意味するかも、
その島を中心とする島々が
[吐喝喇(とから)列島]と呼ばれていることも
少しも不思議ではありません。
『魏書倭人章』には、
この高麗とよく似た国名の[高句麗]がありますが、
それによると紀元9年に
[前漢]を乗っ取って[新]という国名に変えた
王莽(オウモウ)が、
東胡を討つために高句麗人を動員したという記事が出ています。
高句麗が紀元前からあったことは間違いありません。
この国と高麗がどういう関係にあるか考えてみましょう。
高句麗は朝鮮語の発音では[コグリョ]と聞こえます。
また『日本書紀』では高句麗とは書かず、必ず高麗と書いてあります。
だから高麗と高句麗は同じ国だったのです。
中国語の[人]の発音は[リェン]に近く、
[カ人]は[カリェン]と聞こえます。
カリエンの人々は、
むかし中国で[夏・和=カ]と呼ばれた人たちで、
和人と倭人が同じだとされていた理由であり証拠でもあります。
しかし厳密にいうと[和人]は縄文時代から日本列島にいましたが、
[倭人]のほうは卑弥呼の時代にはじめて九州へきた
インドのアショカ仏教布教団が、
東アジアに広めた初期仏教信者のことで同じではありません。
[倭人]はいま古墳と呼ばれている記念物「ストゥーパ」を
日本に建て始めた人々です。
[和人]が縄文人なら、[倭人]は[古墳人]なのです。
<写真:銅鼓を叩くヤオ人>
鉢巻きをした男たちが戚努よく銅鼓を叩く。
中国四川省の少数民ヤオ人の祭り風俗だが、
大阪の八尾市にもよく似た「河内音頭」が残っている。
近畿は銅鐸文化圏の発展地であり、
この2種類の青銅楽器をもつ2つのヤオが、
同族であることは明らかである。
<写真:芝遺跡の神殿図?の蝸牛文>
1996年6月、
奈良県桜井市の芝遺跡の土器片に彫られた家屋図が、
同市教育委員会から発表された。
1世紀のものだというが、
それをよく観察すると家屋の下部に
多数の蝸牛文が丁寧に彫られている。
これは現在も東南アジアに広く分布している
ヤオ、アカ、カリエンなどの人々が崇拝している
縁起物の「カタツムリ=蝸牛」の象徴で、
銅鐸や銅剣などにも多く見られる弥生人の象徴である。
鉄器人である卑弥呼ら古墳人との区別点は明瞭。
※出典:加治木義博『日本人のルーツ』136頁
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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