2014年9月3日水曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(12)和人、倭人、縄文人、弥生人、古墳人の区別

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 銅鐸の古代呼称が判明した(12)和人、倭人、縄文人、弥生人、古墳人の区別

 その[高麗]は古くから鹿児島の南の海上にありました。

 こう見てくると今もそこにある[宝島]が何を意味するかも、

 その島を中心とする島々が

 [吐喝喇(とから)列島]と呼ばれていることも

 少しも不思議ではありません。

 『魏書倭人章』には、

 この高麗とよく似た国名の[高句麗]がありますが、

 それによると紀元9年に

 [前漢]を乗っ取って[新]という国名に変えた

 王莽(オウモウ)が、

 東胡を討つために高句麗人を動員したという記事が出ています。

 高句麗が紀元前からあったことは間違いありません。

 この国と高麗がどういう関係にあるか考えてみましょう。

 高句麗は朝鮮語の発音では[コグリョ]と聞こえます。

 また『日本書紀』では高句麗とは書かず、必ず高麗と書いてあります。

 だから高麗と高句麗は同じ国だったのです。

 中国語の[人]の発音は[リェン]に近く、

 [カ人]は[カリェン]と聞こえます。

 カリエンの人々は、

 むかし中国で[夏・和=カ]と呼ばれた人たちで、

 和人と倭人が同じだとされていた理由であり証拠でもあります。

 しかし厳密にいうと[和人]は縄文時代から日本列島にいましたが、

 [倭人]のほうは卑弥呼の時代にはじめて九州へきた

 インドのアショカ仏教布教団が、

 東アジアに広めた初期仏教信者のことで同じではありません。

 [倭人]はいま古墳と呼ばれている記念物「ストゥーパ」を

 日本に建て始めた人々です。

 [和人]が縄文人なら、[倭人]は[古墳人]なのです。

 <写真:銅鼓を叩くヤオ人

 鉢巻きをした男たちが戚努よく銅鼓を叩く。

 中国四川省の少数民ヤオ人の祭り風俗だが、

 大阪の八尾市にもよく似た「河内音頭」が残っている。

 近畿は銅鐸文化圏の発展地であり、

 この2種類の青銅楽器をもつ2つのヤオが、

 同族であることは明らかである。

 <写真:芝遺跡の神殿図?の蝸牛文

 1996年6月、

 奈良県桜井市の芝遺跡の土器片に彫られた家屋図が、

 同市教育委員会から発表された。

 1世紀のものだというが、

 それをよく観察すると家屋の下部に

 多数の蝸牛文が丁寧に彫られている。

 これは現在も東南アジアに広く分布している

 ヤオ、アカ、カリエンなどの人々が崇拝している

 縁起物の「カタツムリ=蝸牛」の象徴で、

 銅鐸や銅剣などにも多く見られる弥生人の象徴である。

 鉄器人である卑弥呼ら古墳人との区別点は明瞭。

 ※出典:加治木義博『日本人のルーツ』136頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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