2015年5月28日木曜日

史記・五帝本紀第一④

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 ※出典:Web漢文大系・史記
 Web漢文大系・史記

 【五帝本紀第一】

  舜帝①
 
 虞舜者、名曰重華。重華父曰瞽叟、瞽叟父曰橋牛、橋牛父曰句望、

 句望父曰敬康、敬康父曰窮蝉、窮蝉父曰帝顓頊、顓頊父曰昌意。

 以至舜七世矣。自從窮蝉以至帝舜、皆微爲庶人。


  虞舜(ぐしゅん)は、名は重華(ちょうか)という。

 重華の父は瞽叟(こそう)といい、

 瞽叟の父は橋牛(きょうぎゅう)といい、

 橋牛の父は句望(こうぼう)といい、

 句望の父は敬康(けいこう)といい、

 敬康の父は窮蝉(きゅうせん)といい、

 窮蝉の父は帝(てい)顓頊(せんぎょく)といい、

 顓頊の父は昌意(しょうい)という。

 もって舜に至るまで七世(しちせい)なり。

 窮蝉(きゅうせん)自従よりもって帝(てい)舜に至るまで、

 みな微びにして庶人(しょじん)たり。

  舜帝②

  舜父瞽叟盲、而舜母死、瞽叟更娶妻而生象、象傲。

 瞽叟愛後妻子、常欲殺舜。舜避逃。

 及有小過、則受罪。順事父及後母與弟、日以篤謹、匪有解。


  舜の父瞽叟(こそう)は盲(もう)にして、舜の母死し、

 瞽叟、更に妻を娶(めと)りて象(しょう)を生む、象傲(おご)る。

 瞽叟、後妻(こうさい)の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。

 舜、避(さ)け逃(のが)る。

 小過(しょうか)あるに及べば、すなわち罪を受く。

 父および後母(こうぼ)と弟とに順事(じゅんじ)すること、

 日にもって篤謹(とくきん)にして、解(おこ)たることあらず。


  舜帝③

  舜、冀州之人也。舜耕歴山、漁雷澤、陶河濱、

 作什器於壽丘、就時於負夏。

 舜父瞽叟頑、母嚚、弟象傲、皆欲殺舜。舜順適不失子道。

 兄弟孝慈、欲殺不可得。即求嘗在側。

  舜は冀州(きしゅう)の人なり。

 舜、歴山(れきざん)に耕(たがや)し、雷沢(らいたく)に漁(ぎょ)し、

 河浜(かひん)に陶(とう)し、

 什器(じゅうき)を寿丘(じゅきゅう)に作り、

 時に負夏(ふか)に就く。

 舜の父瞽叟(こそう)は頑(がん)に、

 母は嚚(ぎん)に、弟(おとうと)象(しょう)は傲(おご)り、

 みな舜を殺さんと欲す。

 舜、順適(じゅんてき)して子道(しどう)を失(うしな)わず。

 兄弟(けいてい)孝慈(こうじ)、

 殺さんと欲すれども得(う)べからず。

 即(もし)求むれば嘗(つね)に側(かたわらに)あり。


  舜帝④

  舜年二十以孝聞。三十而帝堯問可用者。四嶽咸薦虞舜曰、可。

 於是堯乃以二女妻舜、以觀其内、使九男與處、以觀其外。

 舜居媯汭、内行彌謹。


 堯二女不敢以貴驕事舜親戚、甚有婦道。堯九男皆益篤。

 舜耕歴山、歴山之人皆讓畔。

 漁雷澤、雷澤上人皆讓居。陶河濱、河濱器皆不苦窳。

 一年而所居成聚、二年成邑、三年成都。

 堯乃賜舜絺衣、與琴、爲築倉廩、予牛羊。


 瞽叟尚復欲殺之、使舜上塗廩、瞽叟從下縱火焚廩。

 舜乃以兩笠、自扞而下去、得不死。後瞽叟又使舜穿井。

 舜穿井爲匿空旁出。舜既入深。瞽叟與象共下土實井。

 舜從匿空出去。瞽叟、象喜、以舜爲已死。

 象曰、本謀者象。象與其父母分。

 於是曰、舜妻堯二女、與琴、象取之。牛羊倉廩予父母。

 象乃止舜宮居、鼓其琴。舜往見之。象鄂不懌曰、我思舜正鬱陶。

 舜曰、然、爾其庶矣。舜復事瞽叟愛弟彌謹。

 於是堯乃試舜五典百官。皆治。

  舜、年とし二十にして孝をもって聞(き)こゆ。

 三十にして帝(てい)堯、用(もち)うべき者を問う。

 四岳、咸(みな)虞舜(ぐしゅん)を薦(すすめ)て曰く、可なり、と。

 ここにおいて、堯すなわち二女(にじょを)もって舜に妻(め)あわせ、

 もってその内を観み、九男(きゅうだん)をしてともに処(お)らしめ、

 もってその外を観(み)る。

 舜、媯汭(きぜいに)おり、内行(ないこう)いよいよ謹む。

 堯の二女、あえて貴(たっと)きをもって

 舜の親戚に驕事(きょうじ)せず、はなはだ婦道(ふどう)あり。

 堯の九男(きゅうだん)みなますます篤(あつ)し。

 舜、歴山れきざんに耕す、歴山の人みな畔(あぜ)を譲る。

 雷沢(らいたく)に漁(ぎょ)す、

 雷沢の上(ほとり)の人みな居(きょ)を譲る。

 河浜(かひん)に陶(とう)す、河浜の器(き)みな苦窳(こゆ)せず。

 一年にしておるところ聚(しゅう)をなし、

 二年にして邑(ゆう)をなし、三年にして都とをなす。

 堯、すなわち舜に絺衣(ちい)と琴(きん)とを賜(たま)い、

 ために倉廩(そうりん)を築(きず)き、

 牛羊(ぎゅうよう)を予(あた)う。

 瞽叟(こそう)、なおまたこれを殺さんと欲し、

 舜をして上りて廩(りん)を塗ぬらしめ、

 瞽叟(こそう)下より火を縦(はな)ちて廩(りん)を焚(や)く。

 舜、すなわち両笠(りょうりゅう)をもって、

 みずから扞(ふせ)ぎ下(くだ)り去り、死せざるを得たり。

 のち、瞽叟また舜をして井(い)を穿(うが)たしむ。

 舜、井を穿ち、

 匿空(とくこう)の旁出(ぼうしゅつ)せるを為(つ)くる。

 舜すでに入(い)ること深し。

 瞽叟、象(しょう)とともに土を下し井に実たす。

 舜、匿空(とくこう)より出で去る。

 瞽叟・象(しょう)喜び、舜をもってすでに死せりとなす。

 象曰く、もと謀はかる者は象なり、と。

 象、その父母とともに分たんとす。

 ここにおいて曰く、

 舜の妻(つま)なる堯の二女(にじょ)と琴(きん)とは象これを取らん。

 牛羊(ぎゅうよう)倉廩(そうりん)は父母に予(あたえ)ん、と。

 象すなわち舜の宮(きゅうに止まりおりて、その琴を鼓(こ)す。

 舜往(ゆ)きてこれを見る。

 象、鄂(がく)として懌(よろこ)ばずして曰く、

 われ舜を思い、まさに鬱陶うっとう()たり、と。

 舜曰く、しかり、なんじそれ庶(ちか)し、と。

 舜、また瞽叟に事つかえ、弟を愛していよいよ謹めり。

 ここにおいて、

 堯すなわち舜を五典(ごてん)百官(ひゃっかん)に試こころむ。

 みな治まれり。


  舜帝⑤

  昔高陽氏有才子八人。世得其利、謂之八愷。高辛氏有才子八人。

 世謂之八元。此十六族者、世濟其美、不隕其名至於堯。

 堯未能舉。舜舉八愷、使主后土、以揆百事。莫不時序。

 舉八元、使布五教于四方。

 父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内平外成。


  昔(むかし)、高陽氏(こうようし)に才子(さいし)八人あり。

 世(よ)、その利を得(う)、これを八愷(はちがい)という。

 高辛氏(こうしんし)に才子(さいし)八人あり。

 世、これを八元(はちげん)という。

 この十六族の者、世々(よよ)その美を済(な)し、

 その名を隕(おと)さずして堯に至る。

 堯、いまだ挙(あ)ぐることあたわず。

 舜、八愷(はちがい)を挙げ、后土(こうど)を主(つかさ)どらしめ、

 もって百事(ひゃくじ)を揆(はか)る。

 時に序(ついで)ざるはなし。

 八元(はちげん)を挙げ、五教を四方(しほう)に布しかしむ。

 父は義、母は慈(じ)、兄は友(ゆう)、弟は恭(きょう)、

 子は孝、内(うち)平(たいらか)に外(そと)なる。


  舜帝⑥

  昔帝鴻氏有不才子。掩義隱賊、好行凶慝。天下謂之渾沌。

 少皞氏有不才子。毀信惡忠、崇飾惡言。天下謂之窮奇。

 顓頊氏有不才子。不可教訓。不知話言。天下謂之檮杌。

 此三族世憂之、至于堯。堯未能去。縉雲氏有不才子。

 貪于飲食、冒于貨賄。天下謂之饕餮。天下惡之、比之三凶。

 舜賓於四門、乃流四凶族、遷于四裔、以御螭魅。

 於是四門辟。言毋凶人也。


  昔(むかし)、帝鴻氏(ていこうし)に不才子(ふさいし)あり。

 義を掩(おお)い賊を隠し、好みて凶慝(きょうとく)を行なう。

 天下、これを渾沌(こんとん)という。

 少皞氏(しょうこうし)に不才子にあり。

 信を毀(やぶ)り忠を悪(にく)み、悪言を崇飾(すうしょく)す。

 天下、これを窮奇(きゅうき)という。

 顓頊氏(せんぎょくし)に不才子あり。教訓すべからず。

 話言(かいげん)を知らず。

 天下、これを檮杌(とうこつ)という。

 これ三族は世々(よよ)これを憂え、堯に至る。

 堯いまだ去ることあたわず。縉雲氏(しんうんし)に不才子あり。

 飲食を貪(むさぼ)り、貨賄(かかい)を冒(むさぼ)る。

 天下、これを饕餮(とうてつ)という。

 天下、これを悪(にく)み、これを三凶(さんきょう)に比(ひ)す。

 舜、四門に賓(ひん)し、

 すなわち四凶族(しきょうぞく)を流(りゅう)して、

 四裔(しえい)に遷(うつ)し、もって螭魅(ちみ)を御(ふせ)ぐ。

 ここにおいて四門辟(ひら)く。

 凶人(きょうじん)なきをいうなり。


  舜帝⑦

  舜入于大麓、烈風雷雨不迷。堯乃知舜之足授天下。

 堯老、使舜攝行天子政、巡狩。

 舜得舉用事二十年、而堯使攝政。攝政八年而堯崩。

 三年喪畢、讓丹朱。天下歸舜。

 而禹、皋陶、契、后稷、伯夷、夔、龍、倕、益、彭祖、

 自堯時而皆舉用、未有分職。

 於是舜乃至於文祖、謀于四嶽、辟四門、明通四方耳目。命十二牧。

 論帝徳、行厚徳、遠佞人、則蠻夷率服。

 舜謂四嶽曰、有能奮庸美堯之事者、使居官相事。

 皆曰、伯禹爲司空、可帝功。

 舜曰、嗟、然、禹、汝平水土。維是勉哉。

 禹拜稽首、讓於稷、契與皋陶。舜曰、然、往矣。

 舜曰、弃、黎民始飢、汝后稷播時百穀。

 舜曰、契、百姓不親。五品不馴。

 汝爲司徒、而敬敷五教、在寛。

 舜曰、皋陶、蠻夷猾夏、寇賊姦軌。

 汝作士、五刑有服、五服三就、五流有度、五度三居。

 維明能信。舜曰、誰能馴予工。皆曰垂可。

 於是以垂爲共工。舜曰、誰能馴予上下草木鳥獸、皆曰益可。

 於是以益爲朕虞。益拜稽首、讓于諸臣朱虎、熊羆。

 舜曰、往矣、汝諧。遂以朱虎、熊羆爲佐。

 舜曰、嗟、四嶽、有能典朕三禮。皆曰伯夷可。

 舜曰、嗟、伯夷、以汝爲秩宗。夙夜維敬、直哉。

 維靜絜。伯夷讓夔、龍。

 舜曰、然。以夔爲典樂、教穉子。

 直而温、寛而栗、剛而毋虐、簡而毋傲。

 詩言意、歌長言、聲依永、律和聲。

 八音能諧、毋相奪倫、神人以和。

 夔曰、於、予撃石拊石、百獸率舞。

 舜曰、龍、朕畏忌讒説殄僞、振驚朕衆。命汝爲納言。

 夙夜出入朕命、惟信。

 舜曰、嗟、女二十有二人、敬哉、惟時相天事。

 三歳一考功、三考絀陟。遠近衆功咸興。分北三苗。


  舜、大麓(たいろく)に入(い)り、烈風・雷雨にも迷わず。

 堯すなわち舜の天下を授(さず)くるに足るを知る。

 堯老(おい)、舜をして天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)し、

 巡狩(じゅんしゅ)せしむ。

 舜、挙(あげ)らるるを得え、事を用(もち)うること二十年にして、

 堯、政(まつりごと)を摂(せっ)せしむ。

 政を摂すること八年にして堯崩(ほう)ず。

 三年の喪も畢(おわ)り、丹朱(たんしゅ)に譲ゆずる。

 天下、舜に帰す。

 しこうして禹(う)・皐陶(こうよう)、契(せつ)、后稷(こうしょく)、

 伯夷(はくい)、夔(き)、龍(りょう)、倕(すい)、益(えき)、

 彭祖(ほうそ)、堯のときよりみな挙用(きょよう)せられたれども、

 いまだ分職(ぶんしょく)あらず。

 ここにおいて舜すなわち文祖(ぶんそ)に至り、

 四岳に謀(はか)り、四門を辟(ひら)き、

 明らかに四方の耳目(じもく)を通ず。

 十二牧(じゅうにぼく)に命ず。

 帝徳を論じ、厚徳を行ない、佞人(ねいじん)を遠ざくるときは、

 すなわち蛮夷(ばんい)率(ひきい)て服(ふく)せん、と。

 舜、四岳に謂いて曰く、よく庸(よう)を奮(ふん)にし、

 堯の事を美(よ)くする者あらば、

 官に居り、事を相たすけしめん、と。

 みな曰く、伯禹(はくう)、司空(しこう)とならば、

 帝(てい)の功を美(よ)くすべし。

 舜曰く、嗟(ああ)、然(しかり)、禹(う)、

 なんじ水土(すいど)を平(たいら)にせよ。

 これこれ勉めよや、と。

 禹(う)拝稽首(はいけいしゅ)し、

 稷(しょく)・契(せつ)と皐陶(こうよう)とに譲る。

 舜曰く、然り、往(ゆ)けよ、と。

 舜曰く、弃(き)、黎民(れいみん)はじめて飢(う)う、

 なんじ稷(しょく)に后(きみ)となり、

 ときに百穀(ひゃくこく)を播(ま)け、と。

 舜曰く、契(せつ)、百姓親(したし)まず。

 五品馴(したが)わず。

 なんじ司徒(しと)となりて、

 敬(つつし)みて五教を敷(し)き、寛(かん)にあれ、と。

 舜曰く、皐陶(こうよう)、蛮夷(ばんい)、夏を猾(みだ)り、

 寇賊(こうぞく)姦軌(かんき)あり。

 なんじ士となり、五刑は服あり、五服は三就(さんしゅう)し、

 五流は度(たく)あり、五度(ごたく)は三居し、

 これ明らかによく信なれ。

 舜曰く、たれかよく予(よ)が工(こう)に馴(したが)わん、と。

 みな曰く、垂(すい)可(か)なり、と。

 ここにおいて垂をもって共工(きょうこう)となす。

 舜曰く、

 たれかよく予が上下(しょうか)の草木鳥獣に馴(したが)わん、と、

 みな曰く、益(えき)可なり、と。

 ここにおいて益をもって朕(わが)虞ぐとなす。

 益、拝稽首(けいしゅ)し、諸臣(しょしん)、

 朱虎(しゅこ)・熊羆(ゆうひ)に譲(ゆ)ずる。

 舜曰く、往(ゆ)け、なんじ諧(やわら)げよ、と。

 ついに朱虎・熊羆をもって佐(さ)となす。

 舜曰く、嗟(ああ)、

 四岳、よく朕(わが)三礼を典(つかさど)るものあらんか、と。

 みな曰く、伯夷(はくい)可なり、と。

 舜曰く、嗟ああ、伯夷、なんじをもって秩宗(ちつそう)となす。

 夙夜(しゅくや)これ敬(つつし)み、直(な)れや。

 これ静絜(せいけつ)なれ、と。

 伯夷、夔(き)・龍(りょう)に譲る。

 舜曰く、然り、と。

 夔(き)をもって典楽となし、稚子(ちし)を教えしむ。

 直(ちょく)にしてしかも温、寛にしてしかも栗(りつ)、

 剛にしてしかも虐(ぎゃく)するなく、

 簡にしてしかも傲(おご)るなかれ。

 詩は意をいい、歌は言(げん)を長くし、

 声は永(ながき)により、律は声を和わす。

 八音はちいんよく諧やわらぎ、倫りんをあい奪うことなくんば、

 神人(しんじん)もって和せん、と。

 夔(き)曰く、於(ああ)、予われ、石せきを撃ち石を拊うてば、

 百獣率ひきいて舞まわん、と。

 舜曰く、龍(りょう)、

 朕(われ)讒説(ざんせつ)の偽(い)を殄(た)ち、

 朕(わが)衆を振驚(しんけい)するを畏忌(いき)す。

 なんじに命じて納言(のうげん)となす。

 夙夜(しゅくや)朕(わが)命を出入して、これ信なれ、と。

 舜曰く、嗟(ああ)、なんじ二十有二人、敬(つつし)めよや、

 これ時これ天事を相たすけよ、と。

 三歳に一たび功を考え、三考して絀陟(ちゅつちょく)す。

 遠近の衆功みな興(お)こる。

 三苗(さんびょう)を分北(ぶんばい)す。


  舜帝⑧

  此二十二人咸成厥功。皋陶爲大理平、民各伏得其實。

 伯夷主禮、上下咸讓。垂主工師、百工致功。

 益主虞、山澤辟。弃主稷、百穀時茂。契主司徒、百姓親和。

 龍主賓客、遠人至。十二牧行而九州莫敢辟違。唯禹之功爲大。


 披九山、通九澤、決九河、定九州。各以其職來貢、不失厥宜。

 方五千里、至于荒服、南撫交阯、北發、西戎、析枝、渠廋、氐羌、

 北山戎、發、息慎、東長、鳥夷、四海之内咸戴帝舜之功。

 於是禹乃興九招之樂、致異物、鳳皇來翔。天下明徳、皆自虞帝始。

  この二十二人、みなその功をなす。

 皐陶(こうよう)、大理(たいり)となり平(たいら)かに、

 民おのおの伏してその実(じつ)を得(う)。

 伯夷(はくい)、礼を主(つかさど)り、

 上下(しょうか)みな譲(ゆ)ずる。

 垂(すい)、工師を主(つかさど)り、百工(ひゃくこう)功を致す。

 益、虞(ぐ)を主(つかさど)り、山沢辟(ひら)く。

 弃(き)、稷(しょく)を主(つかさど)り、

 百穀(ひゃくこく)ときに茂る。契(せつ)、

 司徒を主(つかさど)り、百姓(ひゃくせい)親和す。

 龍(りょう)、賓客(ひんかく)主(つかさど)り、

 遠人(えんじん)至る。

 十二牧(じゅうにぼく)行きて、九州あえて辟違ひいするものなし。

 ただ禹(う)の功を大なりとなす。

 九山を披(ひら)き、九沢(きゅうたく)を通じ、

 九河(きゅうか)を決し、九州を定む。

 おのおのその職をもって来貢(らいこう)し、

 その宜(よろし)きを失わず。

 方(ほう)五千里、荒服に至るまで、

 南は交阯(こうし)・北発(ほくはつ)、西は戎(じゅう)・

 析枝(せっし)・渠廋(きょしゅう)・ 氐羌(ていきょう)、

 北は山戎(さんじゅう)・発(はつ)・息慎(そくしん)、

 東は長(ちょう)・鳥夷(ちょうい)を撫(ぶ)し、

 四海のうち、みな帝(てい)舜の功を戴いただく。

 ここにおいて禹(う)すなわち

 九招(きゅうしょう)の楽(がく)を興(おこ)し、

 異物を致し、鳳皇(ほうおう)来たり翔かける。

 天下徳を明らかにする、みな虞帝(ぐてい)より始まる。


  舜帝⑨

  舜年二十以孝聞、年三十堯舉之、年五十攝行天子事。

 年五十八堯崩、年六十一代堯踐帝位。

 踐帝位三十九年、南巡狩、崩於蒼梧之野。葬於江南九疑。

 是爲零陵。舜之踐帝位、載天子旗、往朝父瞽叟。

 夔夔唯謹、如子道。封弟象爲諸侯。舜子商均亦不肖。

 舜乃豫薦禹於天。十七年而崩。

 三年喪畢、禹亦乃讓舜子、如舜讓堯子。諸侯歸之。然後禹踐天子位。
 堯子丹朱、舜子商均、皆有彊土、以奉先祀。

 服其服、禮樂如之、以客見天子。天子弗臣、示不敢專也。

  舜、年とし二十にして孝をもって聞え、

 年三十にして堯これを挙(あげ)、

 年五十にして天子の事(こと)を摂行(せっこう)す。

 年五十八にして堯崩(ほう)ず。

 年六十一にして堯に代りて帝位を践(ふ)む。

 帝位を践(ふ)むこと三十九年、南に巡狩(じゅんしゅ)し、

 蒼梧(そうご)の野(や)に崩(ほう)ず。

 江南の九疑(きゅうぎ)に葬(ほうむ)る。

 これを零陵(れいりょう)となす。

 舜、帝位を践(ふ)むや、

 天子の旗を載(の)せ、往(ゆ)きて

 父瞽叟(こそう)に朝(ちょう)す。

 夔夔(きき)としてただ謹み、子(こ)の道のごとくす。

 弟の象(しょう)を封(ほう)じて諸侯となす。

 舜の子商均(しょうきん)もまた不肖(ふしょう)なり。

 舜すなわち豫(あらかじめ)禹(う)を天に薦(すす)む。

 十七年にして崩(ほう)ず。

 三年の喪も畢(おわ)り、

 禹(う)もまたすなわち舜の子に譲(ゆ)ずること、

 舜の堯の子に譲(ゆず)れるがごとくす。


 諸侯これに帰す。

 しかるのち禹(う)天子の位を践(ふ)む。

 堯の子丹朱(たんしゅ)、舜の子商均(しょうきん)、

 みな彊土(きょうど)を有(たも)ち、

 もって先祀(せんし)を奉(ほう)ず。

 その服を服し、礼楽(れいがく)かくのごとくし、

 客(かく)をもって天子に見(まみ)ゆ。

 天子、臣とせざるは、

 あえて専もっぱらにせざるを示(しめす)なり。


  舜帝⑩

  自黄帝至舜、禹、皆同姓。而異其國號、以章明徳。

 故黄帝爲有熊、帝顓頊爲高陽、帝嚳爲高辛、

 帝堯爲陶唐、帝舜爲有虞、帝禹爲夏后。而別氏、姓姒氏。

 契爲商、姓子氏。弃爲周、姓姫氏。


  黄帝より舜・禹(う)に至るまで、みな同姓なり。

 しこうしてその国号を異(こと)にし、

 もって明徳を章(あきらか)にす。

 ゆえに黄帝を有熊(ゆうゆう)となし、

 帝(てい)顓頊(せんぎょく)を高陽となし、

 帝(てい)嚳(こく)を高辛となし、

 帝堯を陶唐(とうとう)となし、帝舜を有虞(ゆうぐ)となし、

 帝禹(う)を夏后(かこう)となす。

 しこうして氏(し)を別って、姓は姒氏(じし)。

 契(せつ)を商となす、姓は子氏(しし)。

 弃(き)を周となす、姓は姫氏(きし)。


  太史公曰、學者多稱五帝尚矣。然尚書獨載堯以來。

 而百家言黄帝、其文不雅馴。薦紳先生難言之。

 孔子所傳宰予問五帝徳及帝繫姓、儒者或不傳。

 余嘗西至空桐、北過涿鹿、東漸於海、南浮江淮矣。

 至長老皆各往往稱黄帝、堯、舜之處、風教固殊焉。

 總之、不離古文者近是。

 予觀春秋、國語、其發明五帝徳、帝繫姓章矣。顧弟弗深考。

 其所表見皆不虚。書缺有閒矣。其軼乃時時見於他説。

 非好學深思、心知其意、固難爲淺見寡聞道也。

 余并論次、擇其言尤雅者、故著爲本紀書首。

  太史公(たいしこう)曰く、

 学者多く五帝を称(しょう)すること尚(ひさし)。

 しかるに尚書はひとり堯以来を載のするのみ。

 しこうして百家の黄帝を言うもの、その文雅馴がじゅんならず。

 薦紳(しんしん)・先生これを言うを難(はばか)る。

 孔子の伝うるところの宰予問(さいよもん)五帝徳(ごていとく)、

 および帝繫姓(ていけいせい)は、儒者あるいは伝えず。

 余(われ)かつて西のかた空桐(くうとう)に至り、

 北のかた涿鹿(たくろく)を過ぎ、

 東のかた海に漸(いた)り、

 南のかた江淮(こうわい)に浮(う)かぶ。

 長老みなおのおの往往(おうおう)黄帝・堯・舜を

 称するのところに至るに、

 風教(ふうきょう)固(まこと)に殊(こと)なり。

 これを総(すぶ)るに、古文を離れざる者是ぜなるに近し。

 予(われ)、春秋・国語を観るに、

 その五帝徳(ごていとく)・帝繫姓(ていけいせい)を

 発明すること章(あきらか)なり。

 顧(おもう)に弟ただ深く考えざるのみ。

 その表見(ひょうけん)するところ、

 みな虚(きょ)ならず。書缺(かけ)て間(かん)あり。

 その軼(いつ)せるはすなわち時時(じじ)他説に見(み)ゆ。

 学を好み思おもいを深くし、心にその意を知るものにあらずんば、

 固(まこと)に浅見(せんけん)・寡聞(かぶん)のために

 道いいがたきなり。

 余(われ)、并(あわせ)て論次(ろんじ)し、

 その言のもっとも雅(が)なる者を択(えら)び、

 故(ことさら)に著わして本紀の書の首(はじめ)となす。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

史記・五帝本紀第一③

 浦和レッズレディース
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 ※出典:Web漢文大系・史記
 Web漢文大系・史記

 【五帝本紀第一】

 堯帝①

  帝堯者,放勳。其仁如天,其知如神。就之如日,望之如雲。

 富而不驕,貴而不舒。黃收純衣,彤車乘白馬。能明馴德,以親九族。

 九族既睦,便章百姓。百姓昭明,合和萬國。


  帝(てい)堯(ぎょう)は放勲(ほうくん)、その仁は天のごとく、

 その知は神(しん)のごとく、これに就(つ)くこと日のごとく、

 これを望むこと雲(くも)のごとし。

 富めども驕(おご)らず、貴(たっと)けれども舒(あなど)らず。

 黄収(こうしゅう)純衣(じゅんい)、

 彤車(とうしゃ)にして白馬に乗る。

 よく馴徳(じゅんとく)を明らかにし、

 もって九族(きゅうぞく)を親しむ。

 九族すでに睦(むつまじ)くして、

 百姓(ひゃくせい)を便章(べんしょう)す。

 百姓昭明(しょうめい)にして、万国を合和(ごうわ)す。


 堯帝②

  乃命羲、和,敬順昊天,數法日月星辰,敬授民時。

 分命羲仲,居鬱夷,曰暘穀。敬道日出,便程東作。

 日中,星鳥,以殷中春。其民析,鳥獸字微。

 申命羲叔,居南交。便程南為,敬致。日永,星火,以正中夏。

 其民因,鳥獸希革。申命和仲,居西土,曰昧穀。

 敬道日入,便程西成。夜中,星虛,以正中秋。其民夷易,鳥獸毛毨。

 申命和叔;居北方,曰幽都。便在伏物。

 日短,星昴,以正中冬。其民燠,鳥獸氄毛。

 歲三百六十六日,以閏月正四時。信飭百官,眾功皆興。


  すなわち羲(ぎ)、和(か)に命じ、

 敬(つつし)みて昊天(こうてん)に順(したが)い、

 日月(じつげつ)星辰(せいしん)を数え法(のっと)り、

 敬みて民に時を授(さずけ)しむ。

 分(わか)ちて羲仲(ぎちゅう)に命じて、郁夷(いくい)におらしむ、

 暘谷(ようこく)という。

 敬(つつし)みて日の出(いず)るを道(みち)びき、

 東作(とうさく)を便程(べんてい)す。

 日(ひ)は中(ちゅう)、星は鳥(ちょう)、

 もって中春(ちゅうしゅん)を殷ただす。


 その民は析(わか)れ、鳥獣は字微(じび)す。

 申(かさね)て羲叔(ぎしゅく)に命じて、南交なんこうにおらしむ。

 南為なんいを便程(べんてい)し、敬(つつし)みて致す。

 日は永(なが)く、星は火(か)、

 もって中夏(ちゅうか)を正(ただ)す。

 その民は因より、鳥獣は希革(きかく)す。

 申(かさね)て和仲(わちゅう)に命じて、西土(せいど)におらしむ。

 昧谷(まいこく)という。

 敬(つつし)みて日の入いるを道(みち)びき、

 西成(せいせい)を便程(べんてい)。

 夜(よ)は中(ちゅう)、星は虚(きょ)、

 もって中秋ちゅうしゅうを正ただす。

 その民は夷易(いい)し、鳥獣は毛毨(もうせん)す。

 申(かさね)て和叔(かしゅく)に命じて、北方(ほくほう)におらしむ。

 幽都(ゆうと)という。

 伏物(ふくぶつ)を便在(べんざい)す。

 日は短く、星は昴(ぼう)、もって中冬(ちゅうとう)を正(ただ)す。

 その民は燠(あたたま)り、鳥獣は氄毛(じょうもう)す。

 歳(とし)三百六十六日、

 閏月(じゅんげつ)をもって四時(しいじ)を正(ただ)す。

 信(まこと)に百官(ひゃっかん)を飭(ととの)え、

 衆功(しゅうこう)みな興(お)こる。


 堯帝③

  堯曰:「誰可順此事?」放齊曰:「嗣子丹硃開明。」

 堯曰:「籲!頑凶,不用。」

 堯又曰:「誰可者?」讙兜曰:「共工旁聚布功,可用。」

 堯曰:「共工善言,其用僻,似恭漫天,不可。」

 堯又曰:「嗟,四岳,湯湯洪水滔天,浩浩懷山襄陵,

 下民其憂,有能使治者?」皆曰鯀可。

 堯曰:「鯀負命毀族,不可。」

 嶽曰:「異哉,試不可用而已。」

 堯於是聽嶽用鯀。九歲,功用不成。


  堯(ぎょう)曰く、たれかこの事ことに順(したが)うべき、と。

 放斉(ほうせい)曰く、

 嗣子(しし)丹朱(たんしゅ)開明(かいめい)なり、と。

 堯曰く、吁(ああ)、頑凶(がんきょう)なり、用(もちい)られず、と。

 堯(ぎょう)また曰く、たれか可なる者ぞ、と。

 讙兜(かんとう)曰く、共工(きょうこう)は

 旁(あまね)く聚(あつめ)て功(こう)を布しかん、

 用(もち)うべし、と。

 堯曰く、共工はよく言えども、その用うるや僻(へき)す。

 恭(きょう)に似たれども天を漫(あなど)る。不可なり、と。

 堯(ぎょう)また曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、

 湯湯(しょうしょう)たる洪水(こうずい)天に滔(はびこ)り、

 浩浩(こうこう)として山を懐(つつ)み陵(おか)に襄(のぼ)る、

 下民それ憂う、よく治めしむる者あらんや、と。

 みな曰く、鯀可(こんか)なり、と。

 堯曰く、鯀(こん)は命に負(そむ)き族を毀(やぶ)る、不可なり、と。

 岳がく曰く、异(あげ)んかな、

 試みて用うべからずんば而(すなわち)已(やめ)ん、と。

 堯ここにおいて岳(がく)に聴きて鯀(こん)を用もちう。

 九歳まで功用(こうよう)成らず。


 堯帝④

  堯曰:「嗟!四嶽:朕在位七十載,汝能庸命,踐朕位?」

 岳應曰:「鄙德忝帝位。」

 堯曰:「悉舉貴戚及疏遠隱匿者。」

 眾皆言於堯曰:「有矜在民間,曰虞舜。」

 堯曰:「然,朕聞之。其何如?」

 嶽曰:「盲者子。父頑,母嚚,弟傲,能和以孝,烝烝治,不至奸。」

 堯曰:「吾其試哉。」於是堯妻之二女,觀其德於二女。

 舜飭下二女於媯汭,如婦禮。堯善之,


  堯(ぎょう)曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、朕(われ)、

 位(くらい)にあること七十載(しちじっさい)、

 なんじよく命を庸(もち)う、朕(わが)位を践(ふ)め、と。

 岳(がく)応(こたえ)て曰く、鄙徳(ひとく)なり、

 帝位を忝(はずかしめ)ん、と。

 堯(ぎょう)曰く、ことごとく貴戚(きせき)および


 疏遠(そえん)隠匿(いんとく)の者を挙(あげ)よ、と。

 衆(みな)堯に言いて曰く、矜(やもめ)ありて民間にあり、

 虞舜(ぐしゅん)という、と。

 堯曰く、しかり、朕(われ)もこれを聞けり。それいかん。

 岳曰く、盲者(もうしゃ)の子。

 父は頑(がん)に、母は嚚(ぎん)に、弟は傲(ごう)なるも、

 よく和(やわら)ぐるに孝をもってし、

 烝烝(じょうじょう)として治めて

 姦(かん)に至いたらしめず、と。

 堯(ぎょう)曰く、われ、それ試(こころみ)んかな、と。

 ここにおいて堯はこれに二女(にじょ)を妻(め)あわせ、

 その徳の二女におけるを観みる。

 舜(しゅん)、二女を媯汭(きぜい)に飭(ととの)え下し、

 婦(ふの)礼のごとくす。

 堯、これを善(よ)みす。


 堯帝⑤

  乃使舜慎和五典,五典能從。乃遍入百官,百官時序。

 賓於四門,四門穆穆,諸侯遠方賓客皆敬。

 堯使舜入山林川澤,暴風雷雨,舜行不迷。

 堯以為聖,召舜曰:「女謀事至而言可績,三年矣。女登帝位。」

 舜讓於德不懌。正月上日,舜受終於文祖。文祖者,堯大祖也。

 於是帝堯老,命舜攝行天子之政,以觀天命。


  すなわち舜(しゅん)をして慎(つつし)みて

 五典(ごてん)を和(やわら)げしむ、五典よく従う。

 すなわち徧(あまね)く百官(ひゃっかん)に入(い)らしむ、

 百官時これ序(じょ)し、四門に賓(ひん)せしむ、

 四門穆穆(ぼくぼく)たり、諸侯、遠方の賓客(ひんかく)、

 みな敬す。

 堯、舜をして山林・川沢(せんたく)に入らしむ、

 暴風・雷雨にも、舜行(ゆ)きて迷わず。

 堯もって聖となす、

 舜を召して曰く、女(なんじ)、事を謀ること至れり、

 しこうして言(げん)、績(せき)とすべきこと三年。

 女(なんじ)、帝位に登れ、と。

 舜、徳に譲り、懌(よろこ)ばず。正月上日(じょうじつ)、

 舜、終(おわ)りを文祖(ぶんそ)に受く。

 文祖とは堯の大祖(たいそ)なり。

 ここにおいて帝(てい)堯老(ろう)し、

 舜に命じて天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、

 もって天命を観(み)る。


 堯帝⑥

  舜乃在璿璣玉衡,以齊七政。

 遂類于上帝,禋于六宗,望於山川,辯於群神。

 揖五瑞,擇吉月日,見四岳諸牧,班瑞。

 歲二月,東巡狩,至於岱宗,祡,望秩於山川。

 遂見東方君長,合時月正日,同律度量衡,

 脩五禮五玉三帛二生一死為摯,如五器,卒乃複。

 五月,南巡狩;八月,西巡狩;十一月,北巡狩:皆如初。

 歸,至於祖禰廟,用特牛禮。五歲一巡狩,群後四朝。

 遍告以言,明試以功,車服以庸。肇十有二州,決川。

 象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,撲作教刑,金作贖刑。

 眚災過,赦;怙終賊,刑。

 欽哉,欽哉,惟刑之靜哉!讙兜進言共工,

 堯曰不可而試之工師,共工果淫辟。

 四岳舉鯀治鴻水,堯以為不可,嶽彊請試之,

 試之而無功,故百姓不便。

 三苗在江淮、荊州數為亂。於是舜歸而言於帝,請流共工於幽陵,

 以變北狄;放驩兜於崇山,以變南蠻;遷三苗於三危,

 以變西戎;殛鯀於羽山,以變東夷:四罪而天下鹹服。


  舜(しゅん)すなわち璿璣(せんき)玉衡(ぎょくこう)を

 在(あきら)かにし、もって七政(しちせい)を斉(ととの)う。

 ついに上帝に類(るい)し、六宗(りくそう)に禋(いん)し、

 山川に望(ぼう)し、群神(ぐんしん)に弁(べん)す。

 五瑞(ごずい)を揖(おさ)め、吉月日(きつげつじつ)を択(えら)び、

 四岳(しがく)・諸牧(しょぼく)を見、瑞を班(わか)つ。

 歳(とし)の二月、東に巡狩(じゅんしゅ)し、

 岱宗(たいそう)に至り、祡(さい)し、山川を望秩(ぼうちつ)す。

 ついに東方の君長(くんちょう)を見、

 時月(じげつ)を合わせ、日を正(ただ)しゅうし、

 律(りつ)度量衡(どりょうこう)を同じゅうし、五礼を修め、

 五玉・三帛(さんぱく)・二生・一死を摯(し)となし、


 五器を如(ひとしゅう)し、卒(おわ)ればすなわち復(か)えす。


 堯帝⑦

  堯立七十年得舜,二十年而老,令舜攝行天子之政,薦之於天。

 堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀,如喪父母。

 三年,四方莫舉樂,以思堯。

 堯知子丹硃之不肖,不足授天下,於是乃權授舜。

 授舜,則天下得其利而丹硃病;授丹硃,則天下病而丹硃得其利。

 堯曰「終不以天下之病而利一人」,而卒授舜以天下。

 堯崩,三年之喪畢,舜讓辟丹硃於南河之南。

 諸侯朝覲者不之丹硃而之舜,獄訟者不之丹硃而之舜,

 謳歌者不謳歌丹硃而謳歌舜。

 舜曰「天也」,夫而後之中國踐天子位焉,是為帝舜。


  五月、南に巡狩(じゅんしゅ)し、八月、西に巡狩し、

 十一月、北に巡狩す。みな初はじめのごとし。

 帰りて祖禰(そでい)の廟(びょう)に至り、

 特牛(とくぎゅう)の礼を用う。

 五歳に一たび巡狩し、群后(ぐんこう)四たび朝(ちょう)す。

 徧(あまねく)告ぐるに言をもってし、

 明らかに試みるに功をもってし、

 車服(しゃふく)は庸(よう)をもってす。

 十有二州を肇はじめ、川を決(け)っす。

 象(しょう)するに典刑(てんけい)をもってし、

 流(りゅう)して五刑を宥(ゆる)し、鞭(むち)を官刑と作なし、

 扑(ぼく)を教刑と作し、金を贖刑(とくけい)と作し、

 眚(せい)、烖(さい)の過(あやま)ちは赦ゆるし、

 怙終(こしゅう)の賊をば刑す。欽(つつ)しめよや、欽めよや、

 これ刑をこれ静(しずか)にせんかな、と。

 讙兜(かんとう)、共工(きょうこう)を進め言う、

 堯(ぎょう)曰く、不可なり、と。

 しこうしてこれを工師に試(こころ)む、

 共工果はたして淫辟(いんぺき)なり。

 四岳、鯀(こん)をあげて鴻水(こうずい)を治めしめんとす、

 堯、もって不可となす、岳、彊(しい)てこれを試みんと請(こう)、

 これを試みたれども功なし、ゆえに百姓、便とせず。

 三苗(さんびょう)、江(こう)・淮(わい)・荊州(けいしゅう)にありて

 しばしば乱をなす。

 ここにおいて、舜帰りて帝(てい)に言い、

 請(こう)て共工を幽陵(ゆうりょう)に流し、

 もって北狄(ほくてき)に変じ、

 驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に放ち、

 もって南蛮(なんばん)に変じ、

 三苗を三危(さんき)に遷(うつ)し、

 もって西戎(せいじゅう)に変じ、

 鯀(こん)を羽山(うざん)に殛(きょく)し、

 もって東夷(とうい)に変ず、四辠(しざい)して天下みな服す。


 堯帝⑧

  堯立七十年得舜、二十年而老、令舜攝行天子之政、薦之於天。

 堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀、如喪父母。」
 
 三年、四方莫舉樂、以思堯。堯知子丹朱之不肖、不足授天下。

 於是乃權授舜。

 授舜、則天下得其利、而丹朱病、授丹朱、則天下病而丹朱得其利。

 堯曰、終不以天下之病而利一人。而卒授舜以天下。

 堯崩、三年之喪畢、舜讓辟丹朱於南河之南。

 諸侯朝覲者不之丹朱而之舜、獄訟者不之丹朱而之舜、

 謳歌者不謳歌丹朱而謳歌舜。

 舜曰、天也夫。而後之中國踐天子位焉、是爲帝舜。


  堯(ぎょう)立ちて七十年にして舜(しゅん)を得え、

 二十年にして老(ろう)し、

 舜をして天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、

 これを天に薦(すす)む。

 堯、位を辟(さ)けておよそ二十八年にして崩(ほう)ず。

 百姓悲哀し、父母を喪(うしな)うがごとし。

 三年、四方(しほう)、楽(がく)を挙ぐるなく、もって堯を思う。

 堯、子の丹朱(たんしゅ)の不肖(ふしょう)にして、

 天下を授(さず)くるに足らざるを知る。

 ここにおいてすなわち権(はか)りて舜に授く。

 舜に授くれば、すなわち天下その利を得て、

 丹朱(たんしゅ)病(や)まん、丹朱に授くれば、

 すなわち天下病みて丹朱(たんしゅ)その利を得ん。

 堯曰く、ついに天下の病をもって一人を利(り)せじ、と。

 しこうして卒(つい)に舜に授くるに天下をもってす。

 堯崩(ほうじ)、三年の喪も畢(おわ)り、

 舜、譲(ゆず)りて丹朱を南河の南に辟(さ)く。

 諸侯の朝覲(ちょうきん)する者、

 丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、獄訟(ごくしょう)する者、

 丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、謳歌(おうか)する者、

 丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、天なるかな、と。

 しこうして後(のち)、中国に之(ゆ)き、天子の位を践(ふ)む、

 これを帝(てい)舜となす。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年5月27日水曜日

史記・五帝本紀第一②

 浦和レッズレディース
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 《課題》 孔子は和人〔倭人〕の社会習性を理想とした
     ―堯舜の賢政は和人の思想―

 【五帝本紀第一】

 黄帝①

 黃帝者,少典之子,姓公孫,名曰軒轅。生而神靈,弱而能言,

 幼而徇齊,長而敦敏,成而聰明。軒轅之時,神農氏世衰。

 諸侯相侵伐,暴虐百姓,而神農氏弗能征。於是軒轅乃慣用干戈,

 以征不享,諸侯咸來賓從。而蚩尤最為暴,莫能伐。

 炎帝欲侵陵諸侯,諸侯咸歸軒轅。

 軒轅乃修德振兵,治五氣,五種,撫萬民,度四方,

 教熊羆貔貅貙虎,以與炎帝戰於阪泉之野。三戰,然後得其志。

 蚩尤作亂,不用帝命。

 於是黃帝乃徵師諸侯,與蚩尤戰於涿鹿之野,遂禽殺蚩尤。

 而諸侯咸尊軒轅為天子,代神農氏,是為黃帝。


  黄帝(こうてい)は少典の子なり。

 姓は公孫(こうそん)、名は軒轅(けんえん)という。

 生まれて神霊(しんれい)、弱(じゃく)にしてよく言い、

 幼(よう)にして徇斉(じゅんせい)、長じて敦敏(とんびん)、

 成(ひととな)りて聡明(そうめい)なり。

 軒轅(けんえん)のとき、神農氏(しんのうし)の世(よ)衰(おとろ)う。

 諸侯あい侵(おか)し伐(う)ち、

 百姓(ひゃくせい)を暴虐(ぼうぎゃく)す。

 しこうして神農氏征(せい)するあたわず。

 ここにおいて軒轅(けんえん)すなわち干戈(かんか)を

 用うることを習い、もって不享(ふきょう)を征(せい)す。

 諸侯咸(みな)来(き)たりて賓従(ひんじゅう)す。

 しかして蚩尤(しゆう)もっとも暴をなすも、よく伐(う)つものなし。

 炎帝(えんてい)諸侯を侵陵(しんりょう)せんと欲す。

 諸侯みな軒轅(けんえん)に帰す。

 軒轅(けんえん)すなわち徳を修め兵を振(ととの)え、五気を治め、

 五種を蓺(うえ)、万民を撫(な)で、四方を度(はかり)、

 熊(ゆう)・羆(ひ)・貔(ひ)・貅(きゅう)・貙(ちゅ)・虎(こ)に教え、

 もって炎帝と阪泉(はんせん)の野やに戦う。

 三(み)たび戦いて、しかる後(のち)その志を得う。

 蚩尤(しゆう)乱を作なし、帝(てい)の命を用いず。

 ここにおいて黄帝すなわち師を諸侯に徴(ちょう)し、

 蚩尤(しゆう)と涿鹿(たくろく)の野に戦い、

 ついに蚩尤を禽殺(きんさつ)す。

 しこうして諸侯咸(みな)軒轅を尊びて天子となす。

 神農氏(しんのうし)に代わる。

 これを黄帝(こうてい)となす。

 黄帝②

  天下有不順者,黃帝從而征之,平者去之,披山通道,未嘗甯居。

 東至於海,登丸山,及岱宗。西至於空桐,登雞頭。

 南至於江,登熊、湘。北逐葷粥,合符釜山,而邑于涿鹿之阿。

 遷徙往來無常處,以師兵為營衛。官名皆以雲命,為雲師。

 置左右大監,監于萬國。萬國和,而鬼神山川封禪與為多焉。

 獲寶鼎,迎日推筴。舉風後、力牧、常先、大鴻以治民。

 順天地之紀,幽明之占,死生之說,存亡之難。時播百穀草木,

 淳化鳥獸蟲蛾,旁羅日月星辰水波土石金玉,勞勤心力耳目,

 節用水火材物。有土德之瑞,故號黃帝。


  天下に順(したが)わざる者あれば、黄帝従ってこれを征し、

 平(たいら)げばこれを去る。

 山を披(ひら)きて道を通じ、いまだかつて寧居(ねいきょ)せず。

 東は海に至り、丸山(がんざん)に登り、岱宗(たいそう)に及ぶ。

 西は空桐(くうとう)に至り、雞頭(けいとう)に登る。

 南は江(こう)に至り、熊(ゆう)・湘(しょう)に登る。

 北は葷粥(くんいく)を逐(お)い、

 符(ふ)を釜山(ふざん)に合わせて、

 涿鹿(たくろく)の阿(くま)に邑(ゆう)す。

 遷徙(せんし)往来して常処(じょうしょ)なく、

 師兵(しへい)をもって営衛(えいえい)となす。

 官の名はみな雲をもって命じ、雲師(うんし)となす。

 左右(さゆう)大監(たいかん)を置き、万国を監(かん)せしむ。

 万国和(やわら)ぎ、

 しこうして鬼神(きしん)山川(さんせん)の封禅(ほうぜん)は

 与(ゆる)して多(た)なりとなす。

 宝鼎(ほうてい)を獲え、日を迎え筴(さく)を推(お)す。

 風后(ふうこう)・力牧(りょくぼく)・常先(じょうせん)・

 大鴻(たいこう)を挙げ、もって民を治めしむ。

 天地の紀(き)、幽明(ゆうめい)の占(せん)、死生(しせい)の説、

 存亡(そんぼう)の難に順(したが)う。

 時に百穀(ひゃっこく)草木を播(し)き、

 鳥獣蟲蛾(ちゅうが)を淳化(じゅんか)し、

 日月・星辰・水波・土石・金玉を旁羅(ほうら)し、

 心力耳目を労勤(ろうきん)し、水火材物を節用(せつよう)す。

 土徳(どとく)の瑞(ずい)あり、ゆえに黄帝と号(ごう)す。


 黄帝③

  黃帝二十五子,其得姓者十四人。黃帝居軒轅之丘,

 而娶於西陵之女,是為嫘祖。嫘祖為黃帝正妃,生二子,

 其後皆有天下:其一曰玄囂,是為青陽,

 青陽降居江水;其二曰昌意,降居若水。

 昌意娶蜀山氏女,曰昌僕,生高陽,高陽有聖德焉。

 黃帝崩,葬橋山。其孫昌意之子高陽立,是為帝顓頊也。


  黄帝二十五子あり、その姓を得たる者十四人。

 黄帝、軒轅(けんえん)の丘におりて、

 西陵氏の女(じょ)を娶(めと)り、これを嫘祖(るいそ)となす。

 嫘祖(るいそ)は黄帝の正妃(せいひ)たり、二子(にし)を生む、

 その後のちみな天下を有(たも)つ。

 その一(いつ)を玄囂(げんごう)という、

 これを青陽(せいよう)となす、青陽は降(くだ)りて江水におる。

 その二を昌意(しょうい)という、

 降(くだ)りて若水(じゃくすい)におる。

 昌意(しょうい)、蜀山氏(しょくざんし)の女(じょ)を娶(めと)る、

 昌僕(しょうぼく)という、高陽(こうよう)を生む、

 高陽、聖徳(せいとく)あり。

 黄帝崩(ほう)ず、橋山(きょうざん)に葬(ほうむ)る。

 その孫(まご)、昌意の子なる高陽立つ、

 これを帝(てい)顓頊(せんぎょく)となす。


 顓頊

  帝顓頊高陽者,黃帝之孫而昌意之子也。

 靜淵以有謀,疏通而知事;養材以任地,載時以象天,

 依鬼神以制義,治氣以教化,絜誠以祭祀。

 北至於幽陵,南至於交阯,西至於流沙,東至於蟠木。

 動靜之物,大小之神,日月所照,莫不砥屬。帝顓頊生子曰窮蟬。

 顓頊崩,而玄囂之孫高辛立,是為帝嚳。


  帝(てい)顓頊(せんぎょく)高陽(こうよう)は、

 黄帝(こうてい)の孫にして、昌意(しょうい)の子なり。

 静淵(せいえん)にしてもって謀(はか)りごとあり、

 疏通(そつう)にして事ことを知り、材を養いてもって地に任じ、

 時を載(おこな)いてもって天に象(かたど)り、

 鬼神(きしん)に依りてもって義を制し、気を治めてもって教化し、

 潔誠(けっせい)にしてもって祭祀(さいし)す。

 北のかた幽陵(ゆうりょう)に至いたり、

 南のかた交阯(こうし)に至り

 、西のかた流沙(りゅうさ)に至り、

 東のかた蟠木(はんぼく)に至(いた)る。

 動静(どうせい)の物、大小の神(かみ)、日月(じつげつ)の照す所、

 砥属(しぞく)せざるはなし。

 帝(てい)顓頊(せんぎょく)子を生む、窮蝉(きゅうせん)という。

 顓頊(せんぎょく)崩(ほう)ず。

 而(しこう)して玄囂(げんごう)の孫(まご)高辛(こうしん)立つ。

 是(これ)を帝(てい)嚳(こく)となす。


 高辛

  帝嚳高辛者,黃帝之曾孫也。

 高辛父曰蟜極,蟜極父曰玄囂,玄囂父曰黃帝。

 自玄囂與蟜極皆不得在位,至高辛即帝位。高辛於顓頊為族子。

 高辛生而神靈,自言其名。普施利物,不於其身。

 聰以知遠,明以察微。順天之義,知民之急。

 仁而威,惠而信,脩身而天下服。

 取地之財而節用之,撫教萬民而利誨之,曆日月而迎送之,

 明鬼神而敬事之。其色鬱鬱,其德嶷嶷。其動也時,其服也士。

 帝嚳溉執中而遍天下,日月所照,風雨所至,莫不從服。

 帝嚳娶陳鋒氏女,生放勳。娶娵訾氏女,生摯。

 帝嚳崩,而摯代立。帝摯立,不善,而弟放勳立,是為帝堯。


  高辛生れて神霊(しんれい)なり、みずからその名を言う。

 あまねく施(ほどこ)して物を利(り)し、その身においてせず。

 聡(そう)にしてもって遠きを知り、

 明(めい)にしてもって微なるを察し、天の義に順(したが)い、

 民の急を知り、仁にして威(い)あり、恵にして信あり、

 身を脩(おさめ)て天下服(ふく)す。

 地(ち)の財(ざい)を取りてこれを節用(せつよう)し、

 万民を撫教(ぶきょう)してこれを利誨(りかい)し、

 日月(じつげつ)を暦(れき)にしてこれを迎送(げいそう)し、

 鬼神を明らかにしてこれに敬事(けいじ)す。

 その色は郁郁(いくいく)たり、その徳は嶷嶷(ぎょくぎょく)たり。

 その動くや時(とき)あり、その服や士(し)なり。

 帝(てい)嚳(こく)、

 漑(すで)に中(ちゅう)を執(と)りて天下に徧(あまねく)、

 日月(じつげつ)の照す所、風雨(ふうう)の至る所、

 従服(じゅうふく)せざるなし。

 帝(てい)嚳(こく)、陳鋒氏(ちんほうし)の女(じょ)を娶(めと)り、

 放勛(ほうくん)を生む。

 娵訾氏(しゅしし)の女(じょ)を娶(めと)り、摯(し)を生む。

 帝(てい)嚳(こく)崩(ほう)じて、摯(し)代(かわ)りて立つ。

 帝(てい)摯(し)立ちて、不善(ふぜん)なり。崩(ほう)ず。

 しこうして弟(おとうと)放勳(ほうくん)立つ、

 これを帝(てい)堯(ぎょう)となす。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ