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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
《課題》 孔子は和人〔倭人〕の社会習性を理想とした
―堯舜の賢政は和人の思想―
【五帝本紀第一】
黄帝①
黃帝者,少典之子,姓公孫,名曰軒轅。生而神靈,弱而能言,
幼而徇齊,長而敦敏,成而聰明。軒轅之時,神農氏世衰。
諸侯相侵伐,暴虐百姓,而神農氏弗能征。於是軒轅乃慣用干戈,
以征不享,諸侯咸來賓從。而蚩尤最為暴,莫能伐。
炎帝欲侵陵諸侯,諸侯咸歸軒轅。
軒轅乃修德振兵,治五氣,五種,撫萬民,度四方,
教熊羆貔貅貙虎,以與炎帝戰於阪泉之野。三戰,然後得其志。
蚩尤作亂,不用帝命。
於是黃帝乃徵師諸侯,與蚩尤戰於涿鹿之野,遂禽殺蚩尤。
而諸侯咸尊軒轅為天子,代神農氏,是為黃帝。
黄帝(こうてい)は少典の子なり。
姓は公孫(こうそん)、名は軒轅(けんえん)という。
生まれて神霊(しんれい)、弱(じゃく)にしてよく言い、
幼(よう)にして徇斉(じゅんせい)、長じて敦敏(とんびん)、
成(ひととな)りて聡明(そうめい)なり。
軒轅(けんえん)のとき、神農氏(しんのうし)の世(よ)衰(おとろ)う。
諸侯あい侵(おか)し伐(う)ち、
百姓(ひゃくせい)を暴虐(ぼうぎゃく)す。
しこうして神農氏征(せい)するあたわず。
ここにおいて軒轅(けんえん)すなわち干戈(かんか)を
用うることを習い、もって不享(ふきょう)を征(せい)す。
諸侯咸(みな)来(き)たりて賓従(ひんじゅう)す。
しかして蚩尤(しゆう)もっとも暴をなすも、よく伐(う)つものなし。
炎帝(えんてい)諸侯を侵陵(しんりょう)せんと欲す。
諸侯みな軒轅(けんえん)に帰す。
軒轅(けんえん)すなわち徳を修め兵を振(ととの)え、五気を治め、
五種を蓺(うえ)、万民を撫(な)で、四方を度(はかり)、
熊(ゆう)・羆(ひ)・貔(ひ)・貅(きゅう)・貙(ちゅ)・虎(こ)に教え、
もって炎帝と阪泉(はんせん)の野やに戦う。
三(み)たび戦いて、しかる後(のち)その志を得う。
蚩尤(しゆう)乱を作なし、帝(てい)の命を用いず。
ここにおいて黄帝すなわち師を諸侯に徴(ちょう)し、
蚩尤(しゆう)と涿鹿(たくろく)の野に戦い、
ついに蚩尤を禽殺(きんさつ)す。
しこうして諸侯咸(みな)軒轅を尊びて天子となす。
神農氏(しんのうし)に代わる。
これを黄帝(こうてい)となす。
黄帝②
天下有不順者,黃帝從而征之,平者去之,披山通道,未嘗甯居。
東至於海,登丸山,及岱宗。西至於空桐,登雞頭。
南至於江,登熊、湘。北逐葷粥,合符釜山,而邑于涿鹿之阿。
遷徙往來無常處,以師兵為營衛。官名皆以雲命,為雲師。
置左右大監,監于萬國。萬國和,而鬼神山川封禪與為多焉。
獲寶鼎,迎日推筴。舉風後、力牧、常先、大鴻以治民。
順天地之紀,幽明之占,死生之說,存亡之難。時播百穀草木,
淳化鳥獸蟲蛾,旁羅日月星辰水波土石金玉,勞勤心力耳目,
節用水火材物。有土德之瑞,故號黃帝。
天下に順(したが)わざる者あれば、黄帝従ってこれを征し、
平(たいら)げばこれを去る。
山を披(ひら)きて道を通じ、いまだかつて寧居(ねいきょ)せず。
東は海に至り、丸山(がんざん)に登り、岱宗(たいそう)に及ぶ。
西は空桐(くうとう)に至り、雞頭(けいとう)に登る。
南は江(こう)に至り、熊(ゆう)・湘(しょう)に登る。
北は葷粥(くんいく)を逐(お)い、
符(ふ)を釜山(ふざん)に合わせて、
涿鹿(たくろく)の阿(くま)に邑(ゆう)す。
遷徙(せんし)往来して常処(じょうしょ)なく、
師兵(しへい)をもって営衛(えいえい)となす。
官の名はみな雲をもって命じ、雲師(うんし)となす。
左右(さゆう)大監(たいかん)を置き、万国を監(かん)せしむ。
万国和(やわら)ぎ、
しこうして鬼神(きしん)山川(さんせん)の封禅(ほうぜん)は
与(ゆる)して多(た)なりとなす。
宝鼎(ほうてい)を獲え、日を迎え筴(さく)を推(お)す。
風后(ふうこう)・力牧(りょくぼく)・常先(じょうせん)・
大鴻(たいこう)を挙げ、もって民を治めしむ。
天地の紀(き)、幽明(ゆうめい)の占(せん)、死生(しせい)の説、
存亡(そんぼう)の難に順(したが)う。
時に百穀(ひゃっこく)草木を播(し)き、
鳥獣蟲蛾(ちゅうが)を淳化(じゅんか)し、
日月・星辰・水波・土石・金玉を旁羅(ほうら)し、
心力耳目を労勤(ろうきん)し、水火材物を節用(せつよう)す。
土徳(どとく)の瑞(ずい)あり、ゆえに黄帝と号(ごう)す。
黄帝③
黃帝二十五子,其得姓者十四人。黃帝居軒轅之丘,
而娶於西陵之女,是為嫘祖。嫘祖為黃帝正妃,生二子,
其後皆有天下:其一曰玄囂,是為青陽,
青陽降居江水;其二曰昌意,降居若水。
昌意娶蜀山氏女,曰昌僕,生高陽,高陽有聖德焉。
黃帝崩,葬橋山。其孫昌意之子高陽立,是為帝顓頊也。
黄帝二十五子あり、その姓を得たる者十四人。
黄帝、軒轅(けんえん)の丘におりて、
西陵氏の女(じょ)を娶(めと)り、これを嫘祖(るいそ)となす。
嫘祖(るいそ)は黄帝の正妃(せいひ)たり、二子(にし)を生む、
その後のちみな天下を有(たも)つ。
その一(いつ)を玄囂(げんごう)という、
これを青陽(せいよう)となす、青陽は降(くだ)りて江水におる。
その二を昌意(しょうい)という、
降(くだ)りて若水(じゃくすい)におる。
昌意(しょうい)、蜀山氏(しょくざんし)の女(じょ)を娶(めと)る、
昌僕(しょうぼく)という、高陽(こうよう)を生む、
高陽、聖徳(せいとく)あり。
黄帝崩(ほう)ず、橋山(きょうざん)に葬(ほうむ)る。
その孫(まご)、昌意の子なる高陽立つ、
これを帝(てい)顓頊(せんぎょく)となす。
顓頊
帝顓頊高陽者,黃帝之孫而昌意之子也。
靜淵以有謀,疏通而知事;養材以任地,載時以象天,
依鬼神以制義,治氣以教化,絜誠以祭祀。
北至於幽陵,南至於交阯,西至於流沙,東至於蟠木。
動靜之物,大小之神,日月所照,莫不砥屬。帝顓頊生子曰窮蟬。
顓頊崩,而玄囂之孫高辛立,是為帝嚳。
帝(てい)顓頊(せんぎょく)高陽(こうよう)は、
黄帝(こうてい)の孫にして、昌意(しょうい)の子なり。
静淵(せいえん)にしてもって謀(はか)りごとあり、
疏通(そつう)にして事ことを知り、材を養いてもって地に任じ、
時を載(おこな)いてもって天に象(かたど)り、
鬼神(きしん)に依りてもって義を制し、気を治めてもって教化し、
潔誠(けっせい)にしてもって祭祀(さいし)す。
北のかた幽陵(ゆうりょう)に至いたり、
南のかた交阯(こうし)に至り
、西のかた流沙(りゅうさ)に至り、
東のかた蟠木(はんぼく)に至(いた)る。
動静(どうせい)の物、大小の神(かみ)、日月(じつげつ)の照す所、
砥属(しぞく)せざるはなし。
帝(てい)顓頊(せんぎょく)子を生む、窮蝉(きゅうせん)という。
顓頊(せんぎょく)崩(ほう)ず。
而(しこう)して玄囂(げんごう)の孫(まご)高辛(こうしん)立つ。
是(これ)を帝(てい)嚳(こく)となす。
高辛
帝嚳高辛者,黃帝之曾孫也。
高辛父曰蟜極,蟜極父曰玄囂,玄囂父曰黃帝。
自玄囂與蟜極皆不得在位,至高辛即帝位。高辛於顓頊為族子。
高辛生而神靈,自言其名。普施利物,不於其身。
聰以知遠,明以察微。順天之義,知民之急。
仁而威,惠而信,脩身而天下服。
取地之財而節用之,撫教萬民而利誨之,曆日月而迎送之,
明鬼神而敬事之。其色鬱鬱,其德嶷嶷。其動也時,其服也士。
帝嚳溉執中而遍天下,日月所照,風雨所至,莫不從服。
帝嚳娶陳鋒氏女,生放勳。娶娵訾氏女,生摯。
帝嚳崩,而摯代立。帝摯立,不善,而弟放勳立,是為帝堯。
高辛生れて神霊(しんれい)なり、みずからその名を言う。
あまねく施(ほどこ)して物を利(り)し、その身においてせず。
聡(そう)にしてもって遠きを知り、
明(めい)にしてもって微なるを察し、天の義に順(したが)い、
民の急を知り、仁にして威(い)あり、恵にして信あり、
身を脩(おさめ)て天下服(ふく)す。
地(ち)の財(ざい)を取りてこれを節用(せつよう)し、
万民を撫教(ぶきょう)してこれを利誨(りかい)し、
日月(じつげつ)を暦(れき)にしてこれを迎送(げいそう)し、
鬼神を明らかにしてこれに敬事(けいじ)す。
その色は郁郁(いくいく)たり、その徳は嶷嶷(ぎょくぎょく)たり。
その動くや時(とき)あり、その服や士(し)なり。
帝(てい)嚳(こく)、
漑(すで)に中(ちゅう)を執(と)りて天下に徧(あまねく)、
日月(じつげつ)の照す所、風雨(ふうう)の至る所、
従服(じゅうふく)せざるなし。
帝(てい)嚳(こく)、陳鋒氏(ちんほうし)の女(じょ)を娶(めと)り、
放勛(ほうくん)を生む。
娵訾氏(しゅしし)の女(じょ)を娶(めと)り、摯(し)を生む。
帝(てい)嚳(こく)崩(ほう)じて、摯(し)代(かわ)りて立つ。
帝(てい)摯(し)立ちて、不善(ふぜん)なり。崩(ほう)ず。
しこうして弟(おとうと)放勳(ほうくん)立つ、
これを帝(てい)堯(ぎょう)となす。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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