2015年5月21日木曜日

史記・五帝本紀第一①

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 《課題》 孔子は和人〔倭人〕の社会習性を理想とした
     ―堯舜の賢政は和人の思想―

 【五帝本紀第一】

  太史公言う。学者が五帝の事績を論ずるのは久しいことだが、

 尚書にはただ帝堯以来のことを記してあるだけで、

 黄帝のことを記したのは百家の書である。

 しかし、百家の書は文章が典雅穏当でなく、

 貴顕・学者には妄誕すぎるので、口にするのもはばかられる。

 孔子の伝えた宰予問や五帝徳・帝繁姓は、」

 経伝に記されていないので、

 漢の儒者は聖人の言ではないとして多く伝え学ばない。

 わたしは、かつて旅行を試み、西は空桐に行き、北は涿鹿を訪ね、

 東は海に到り、南は江淮に浮かんだが、長者老人が、

 往々黄帝や堯・舜を語る地方に行くと、

 風俗がほかの地方と違っていた。

 総じて古文を離れないものが真実に近く、

 わたしが春秋や国語を読むと、

 五帝徳や帝繁姓の記述で明らかに発明するところがある。

 想うに、ただ深く考えぬだけのこと、

 記されていることはけっして虚言ではない。

 書経は一部分が欠けているが、散逸した部分は、

 往々他の書物に記されている。

 学問を好み、深く思い、心にその意を知るものでなければ、

 浅見寡聞の者には、かようなことを言ってもむだであろう。

 わたしはこれらの説を検討し、

 ことばのもっとも典雅なものをえらんで、

 この篇を著し、本紀の書のはじめとした。

 ≪黃帝

  黃帝者,少典之子,姓公孫,名曰軒轅。

 生而神靈,弱而能言,幼而徇齊,長而敦敏,成而聰明。

 軒轅之時,神農氏世衰。諸侯相侵伐,暴虐百姓,而神農氏弗能征。

 於是軒轅乃習用干戈,以征不享,諸侯咸來賓從。

 而蚩尤最為暴,莫能伐。炎帝欲侵陵諸侯,諸侯咸歸軒轅。

 軒轅乃修德振兵,治五氣,蓺五種,撫萬民,度四方,教熊羆貔貅貙虎,

 以與炎帝戰於阪泉之野。三戰,然後得其志。蚩尤作亂,不用帝命。

 於是黃帝乃徵師諸侯,與蚩尤戰於涿鹿之野,遂禽殺蚩尤。

 而諸侯咸尊軒轅為天子,代神農氏,是為黃帝。


  黃帝は少典の子なり。姓は公孫,名は軒轅と曰ふ。

 生れて神靈、弱にして能く言ひ、幼にして徇齊、長じて敦敏、

 成りて聰明なり。

 軒轅の時、神農氏の世衰ふ。

 諸侯相侵し伐ち、百姓を暴虐す。

 而して神農氏征する能はず。

 是に於て軒轅乃ち干戈を用ふることを習ひ、以って不享を征す。

 諸侯咸來りて賓從す。

 而して蚩尤最も暴を為すも、能く伐つもの莫し。

 炎帝諸侯を侵陵せんと欲す。諸侯咸軒轅に歸す。

 軒轅乃ち德を修め兵を振へ、五氣を治め、五種を蓺え、

 萬民を撫で、四方を度り、熊・羆・貔・貅・貙・虎に教へ、

 以て炎帝と阪泉の野に戰ふ。三たび戰ひて、然る後其の志を得。

 蚩尤亂を作し、帝の命を用ひず。

 是に於て黃帝乃ち師を諸侯に徵し、蚩尤と涿鹿の野に戰ひ、

 遂に蚩尤を禽殺す。

 而して諸侯咸軒轅を尊びて天子と為す、神農氏に代る。

 是に黃帝と為す。


 天下有不順者,黃帝從而征之,平者去之,披山通道,未嘗甯居。

 東至於海,登丸山,及岱宗。西至於空桐,登雞頭。

 南至於江,登熊湘。北逐葷粥,

 合符釜山,而邑於涿鹿之阿。遷徙往來無常處,以師兵為營衛。

 官名皆以雲,命為雲師。置左右大監,監於萬國。

 萬國和,而鬼神山川封禪,與為多焉。獲寶鼎,迎日推筴。

 舉風後、力牧、常先、大鴻以治民。

 順天地之紀,幽明之占,死生之說,存亡之難。

 時播百穀草木,淳化鳥獸蟲蛾,旁羅日月星辰水波土石金玉,

 勞勤心力耳目,節用水火材物。

 有土德之瑞,故號黃帝。


 天下不順はざる者有れば、黃帝從って之を征し、平がば之を去る。

 山を披きて道を通じ、未だ嘗て甯居せず。

 東は海に至り、丸山に登り、岱宗に及び、

 西は空桐に至り、雞頭に登り。

 南は江に至り、熊湘に登り、北は葷粥を逐ふ。

 符を釜山に合はせて、涿鹿の阿に邑す。

 遷徙往來して常處無く、師兵を以て營衛と為す。

 官の名は皆雲を以て、命じて雲師と為す。左右大監を置き、

 萬國を監せしむ。

 萬國和ぐ。而して鬼神山川の封禪は、與して多なりと為す。

 寶鼎を獲、日を迎へ筴を推す。

 風後・力牧・常先・大鴻を舉げ、以て民を治めしむ。

 天地の紀・幽明の占・死生の說,存亡の難に順ふ。

 時に百穀草木を播き、鳥獸蟲蛾を淳化し、

 日月・星辰・水波・土石・金玉を旁羅し、

 心力耳目を勞勤し、水火材物を節用す。

 土德の瑞有り、故に黃帝と號す。


 自黄帝至舜、禹、皆同姓。而異其國號、以章明徳。

 故黄帝爲有熊、帝顓頊爲高陽、帝嚳爲高辛、帝堯爲陶唐、帝舜爲有虞、

 帝禹爲夏后。而別氏、姓姒氏。契爲商、姓子氏。弃爲周、姓姫氏。


 黄帝より舜・禹(う)に至るまで、みな同姓なり。

 しこうしてその国号を異(こと)にし、もって明徳を章(あきら)かにす。

 ゆえに黄帝を有熊(ゆうゆうと)なし、

 帝(てい)顓頊(せんぎょく)を高陽となし、

 帝(てい)嚳(こく)を高辛となし、

 帝堯を陶唐(とうとう)となし、帝舜を有虞(ゆうぐ)となし、

 帝禹(う)を夏后(かこう)となす。

 しこうして氏(し)を別って、姓は姒氏(じし)。

 契(せつ)を商となす、姓は子氏(しし)。

 弃(き)を周となす、姓は姫氏(きし)。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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