『ひねもす至福の時』
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
※出典:Web漢文大系・史記
Web漢文大系・史記
【五帝本紀第一】
堯帝①
帝堯者,放勳。其仁如天,其知如神。就之如日,望之如雲。
富而不驕,貴而不舒。黃收純衣,彤車乘白馬。能明馴德,以親九族。
九族既睦,便章百姓。百姓昭明,合和萬國。
帝(てい)堯(ぎょう)は放勲(ほうくん)、その仁は天のごとく、
その知は神(しん)のごとく、これに就(つ)くこと日のごとく、
これを望むこと雲(くも)のごとし。
富めども驕(おご)らず、貴(たっと)けれども舒(あなど)らず。
黄収(こうしゅう)純衣(じゅんい)、
彤車(とうしゃ)にして白馬に乗る。
よく馴徳(じゅんとく)を明らかにし、
もって九族(きゅうぞく)を親しむ。
九族すでに睦(むつまじ)くして、
百姓(ひゃくせい)を便章(べんしょう)す。
百姓昭明(しょうめい)にして、万国を合和(ごうわ)す。
堯帝②
乃命羲、和,敬順昊天,數法日月星辰,敬授民時。
分命羲仲,居鬱夷,曰暘穀。敬道日出,便程東作。
日中,星鳥,以殷中春。其民析,鳥獸字微。
申命羲叔,居南交。便程南為,敬致。日永,星火,以正中夏。
其民因,鳥獸希革。申命和仲,居西土,曰昧穀。
敬道日入,便程西成。夜中,星虛,以正中秋。其民夷易,鳥獸毛毨。
申命和叔;居北方,曰幽都。便在伏物。
日短,星昴,以正中冬。其民燠,鳥獸氄毛。
歲三百六十六日,以閏月正四時。信飭百官,眾功皆興。
すなわち羲(ぎ)、和(か)に命じ、
敬(つつし)みて昊天(こうてん)に順(したが)い、
日月(じつげつ)星辰(せいしん)を数え法(のっと)り、
敬みて民に時を授(さずけ)しむ。
分(わか)ちて羲仲(ぎちゅう)に命じて、郁夷(いくい)におらしむ、
暘谷(ようこく)という。
敬(つつし)みて日の出(いず)るを道(みち)びき、
東作(とうさく)を便程(べんてい)す。
日(ひ)は中(ちゅう)、星は鳥(ちょう)、
もって中春(ちゅうしゅん)を殷ただす。
その民は析(わか)れ、鳥獣は字微(じび)す。
申(かさね)て羲叔(ぎしゅく)に命じて、南交なんこうにおらしむ。
南為なんいを便程(べんてい)し、敬(つつし)みて致す。
日は永(なが)く、星は火(か)、
もって中夏(ちゅうか)を正(ただ)す。
その民は因より、鳥獣は希革(きかく)す。
申(かさね)て和仲(わちゅう)に命じて、西土(せいど)におらしむ。
昧谷(まいこく)という。
敬(つつし)みて日の入いるを道(みち)びき、
西成(せいせい)を便程(べんてい)。
夜(よ)は中(ちゅう)、星は虚(きょ)、
もって中秋ちゅうしゅうを正ただす。
その民は夷易(いい)し、鳥獣は毛毨(もうせん)す。
申(かさね)て和叔(かしゅく)に命じて、北方(ほくほう)におらしむ。
幽都(ゆうと)という。
伏物(ふくぶつ)を便在(べんざい)す。
日は短く、星は昴(ぼう)、もって中冬(ちゅうとう)を正(ただ)す。
その民は燠(あたたま)り、鳥獣は氄毛(じょうもう)す。
歳(とし)三百六十六日、
閏月(じゅんげつ)をもって四時(しいじ)を正(ただ)す。
信(まこと)に百官(ひゃっかん)を飭(ととの)え、
衆功(しゅうこう)みな興(お)こる。
堯帝③
堯曰:「誰可順此事?」放齊曰:「嗣子丹硃開明。」
堯曰:「籲!頑凶,不用。」
堯又曰:「誰可者?」讙兜曰:「共工旁聚布功,可用。」
堯曰:「共工善言,其用僻,似恭漫天,不可。」
堯又曰:「嗟,四岳,湯湯洪水滔天,浩浩懷山襄陵,
下民其憂,有能使治者?」皆曰鯀可。
堯曰:「鯀負命毀族,不可。」
嶽曰:「異哉,試不可用而已。」
堯於是聽嶽用鯀。九歲,功用不成。
堯(ぎょう)曰く、たれかこの事ことに順(したが)うべき、と。
放斉(ほうせい)曰く、
嗣子(しし)丹朱(たんしゅ)開明(かいめい)なり、と。
堯曰く、吁(ああ)、頑凶(がんきょう)なり、用(もちい)られず、と。
堯(ぎょう)また曰く、たれか可なる者ぞ、と。
讙兜(かんとう)曰く、共工(きょうこう)は
旁(あまね)く聚(あつめ)て功(こう)を布しかん、
用(もち)うべし、と。
堯曰く、共工はよく言えども、その用うるや僻(へき)す。
恭(きょう)に似たれども天を漫(あなど)る。不可なり、と。
堯(ぎょう)また曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、
湯湯(しょうしょう)たる洪水(こうずい)天に滔(はびこ)り、
浩浩(こうこう)として山を懐(つつ)み陵(おか)に襄(のぼ)る、
下民それ憂う、よく治めしむる者あらんや、と。
みな曰く、鯀可(こんか)なり、と。
堯曰く、鯀(こん)は命に負(そむ)き族を毀(やぶ)る、不可なり、と。
岳がく曰く、异(あげ)んかな、
試みて用うべからずんば而(すなわち)已(やめ)ん、と。
堯ここにおいて岳(がく)に聴きて鯀(こん)を用もちう。
九歳まで功用(こうよう)成らず。
堯帝④
堯曰:「嗟!四嶽:朕在位七十載,汝能庸命,踐朕位?」
岳應曰:「鄙德忝帝位。」
堯曰:「悉舉貴戚及疏遠隱匿者。」
眾皆言於堯曰:「有矜在民間,曰虞舜。」
堯曰:「然,朕聞之。其何如?」
嶽曰:「盲者子。父頑,母嚚,弟傲,能和以孝,烝烝治,不至奸。」
堯曰:「吾其試哉。」於是堯妻之二女,觀其德於二女。
舜飭下二女於媯汭,如婦禮。堯善之,
堯(ぎょう)曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、朕(われ)、
位(くらい)にあること七十載(しちじっさい)、
なんじよく命を庸(もち)う、朕(わが)位を践(ふ)め、と。
岳(がく)応(こたえ)て曰く、鄙徳(ひとく)なり、
帝位を忝(はずかしめ)ん、と。
堯(ぎょう)曰く、ことごとく貴戚(きせき)および
疏遠(そえん)隠匿(いんとく)の者を挙(あげ)よ、と。
衆(みな)堯に言いて曰く、矜(やもめ)ありて民間にあり、
虞舜(ぐしゅん)という、と。
堯曰く、しかり、朕(われ)もこれを聞けり。それいかん。
岳曰く、盲者(もうしゃ)の子。
父は頑(がん)に、母は嚚(ぎん)に、弟は傲(ごう)なるも、
よく和(やわら)ぐるに孝をもってし、
烝烝(じょうじょう)として治めて
姦(かん)に至いたらしめず、と。
堯(ぎょう)曰く、われ、それ試(こころみ)んかな、と。
ここにおいて堯はこれに二女(にじょ)を妻(め)あわせ、
その徳の二女におけるを観みる。
舜(しゅん)、二女を媯汭(きぜい)に飭(ととの)え下し、
婦(ふの)礼のごとくす。
堯、これを善(よ)みす。
堯帝⑤
乃使舜慎和五典,五典能從。乃遍入百官,百官時序。
賓於四門,四門穆穆,諸侯遠方賓客皆敬。
堯使舜入山林川澤,暴風雷雨,舜行不迷。
堯以為聖,召舜曰:「女謀事至而言可績,三年矣。女登帝位。」
舜讓於德不懌。正月上日,舜受終於文祖。文祖者,堯大祖也。
於是帝堯老,命舜攝行天子之政,以觀天命。
すなわち舜(しゅん)をして慎(つつし)みて
五典(ごてん)を和(やわら)げしむ、五典よく従う。
すなわち徧(あまね)く百官(ひゃっかん)に入(い)らしむ、
百官時これ序(じょ)し、四門に賓(ひん)せしむ、
四門穆穆(ぼくぼく)たり、諸侯、遠方の賓客(ひんかく)、
みな敬す。
堯、舜をして山林・川沢(せんたく)に入らしむ、
暴風・雷雨にも、舜行(ゆ)きて迷わず。
堯もって聖となす、
舜を召して曰く、女(なんじ)、事を謀ること至れり、
しこうして言(げん)、績(せき)とすべきこと三年。
女(なんじ)、帝位に登れ、と。
舜、徳に譲り、懌(よろこ)ばず。正月上日(じょうじつ)、
舜、終(おわ)りを文祖(ぶんそ)に受く。
文祖とは堯の大祖(たいそ)なり。
ここにおいて帝(てい)堯老(ろう)し、
舜に命じて天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、
もって天命を観(み)る。
堯帝⑥
舜乃在璿璣玉衡,以齊七政。
遂類于上帝,禋于六宗,望於山川,辯於群神。
揖五瑞,擇吉月日,見四岳諸牧,班瑞。
歲二月,東巡狩,至於岱宗,祡,望秩於山川。
遂見東方君長,合時月正日,同律度量衡,
脩五禮五玉三帛二生一死為摯,如五器,卒乃複。
五月,南巡狩;八月,西巡狩;十一月,北巡狩:皆如初。
歸,至於祖禰廟,用特牛禮。五歲一巡狩,群後四朝。
遍告以言,明試以功,車服以庸。肇十有二州,決川。
象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,撲作教刑,金作贖刑。
眚災過,赦;怙終賊,刑。
欽哉,欽哉,惟刑之靜哉!讙兜進言共工,
堯曰不可而試之工師,共工果淫辟。
四岳舉鯀治鴻水,堯以為不可,嶽彊請試之,
試之而無功,故百姓不便。
三苗在江淮、荊州數為亂。於是舜歸而言於帝,請流共工於幽陵,
以變北狄;放驩兜於崇山,以變南蠻;遷三苗於三危,
以變西戎;殛鯀於羽山,以變東夷:四罪而天下鹹服。
舜(しゅん)すなわち璿璣(せんき)玉衡(ぎょくこう)を
在(あきら)かにし、もって七政(しちせい)を斉(ととの)う。
ついに上帝に類(るい)し、六宗(りくそう)に禋(いん)し、
山川に望(ぼう)し、群神(ぐんしん)に弁(べん)す。
五瑞(ごずい)を揖(おさ)め、吉月日(きつげつじつ)を択(えら)び、
四岳(しがく)・諸牧(しょぼく)を見、瑞を班(わか)つ。
歳(とし)の二月、東に巡狩(じゅんしゅ)し、
岱宗(たいそう)に至り、祡(さい)し、山川を望秩(ぼうちつ)す。
ついに東方の君長(くんちょう)を見、
時月(じげつ)を合わせ、日を正(ただ)しゅうし、
律(りつ)度量衡(どりょうこう)を同じゅうし、五礼を修め、
五玉・三帛(さんぱく)・二生・一死を摯(し)となし、
五器を如(ひとしゅう)し、卒(おわ)ればすなわち復(か)えす。
堯帝⑦
堯立七十年得舜,二十年而老,令舜攝行天子之政,薦之於天。
堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀,如喪父母。
三年,四方莫舉樂,以思堯。
堯知子丹硃之不肖,不足授天下,於是乃權授舜。
授舜,則天下得其利而丹硃病;授丹硃,則天下病而丹硃得其利。
堯曰「終不以天下之病而利一人」,而卒授舜以天下。
堯崩,三年之喪畢,舜讓辟丹硃於南河之南。
諸侯朝覲者不之丹硃而之舜,獄訟者不之丹硃而之舜,
謳歌者不謳歌丹硃而謳歌舜。
舜曰「天也」,夫而後之中國踐天子位焉,是為帝舜。
五月、南に巡狩(じゅんしゅ)し、八月、西に巡狩し、
十一月、北に巡狩す。みな初はじめのごとし。
帰りて祖禰(そでい)の廟(びょう)に至り、
特牛(とくぎゅう)の礼を用う。
五歳に一たび巡狩し、群后(ぐんこう)四たび朝(ちょう)す。
徧(あまねく)告ぐるに言をもってし、
明らかに試みるに功をもってし、
車服(しゃふく)は庸(よう)をもってす。
十有二州を肇はじめ、川を決(け)っす。
象(しょう)するに典刑(てんけい)をもってし、
流(りゅう)して五刑を宥(ゆる)し、鞭(むち)を官刑と作なし、
扑(ぼく)を教刑と作し、金を贖刑(とくけい)と作し、
眚(せい)、烖(さい)の過(あやま)ちは赦ゆるし、
怙終(こしゅう)の賊をば刑す。欽(つつ)しめよや、欽めよや、
これ刑をこれ静(しずか)にせんかな、と。
讙兜(かんとう)、共工(きょうこう)を進め言う、
堯(ぎょう)曰く、不可なり、と。
しこうしてこれを工師に試(こころ)む、
共工果はたして淫辟(いんぺき)なり。
四岳、鯀(こん)をあげて鴻水(こうずい)を治めしめんとす、
堯、もって不可となす、岳、彊(しい)てこれを試みんと請(こう)、
これを試みたれども功なし、ゆえに百姓、便とせず。
三苗(さんびょう)、江(こう)・淮(わい)・荊州(けいしゅう)にありて
しばしば乱をなす。
ここにおいて、舜帰りて帝(てい)に言い、
請(こう)て共工を幽陵(ゆうりょう)に流し、
もって北狄(ほくてき)に変じ、
驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に放ち、
もって南蛮(なんばん)に変じ、
三苗を三危(さんき)に遷(うつ)し、
もって西戎(せいじゅう)に変じ、
鯀(こん)を羽山(うざん)に殛(きょく)し、
もって東夷(とうい)に変ず、四辠(しざい)して天下みな服す。
堯帝⑧
堯立七十年得舜、二十年而老、令舜攝行天子之政、薦之於天。
堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀、如喪父母。」
三年、四方莫舉樂、以思堯。堯知子丹朱之不肖、不足授天下。
於是乃權授舜。
授舜、則天下得其利、而丹朱病、授丹朱、則天下病而丹朱得其利。
堯曰、終不以天下之病而利一人。而卒授舜以天下。
堯崩、三年之喪畢、舜讓辟丹朱於南河之南。
諸侯朝覲者不之丹朱而之舜、獄訟者不之丹朱而之舜、
謳歌者不謳歌丹朱而謳歌舜。
舜曰、天也夫。而後之中國踐天子位焉、是爲帝舜。
堯(ぎょう)立ちて七十年にして舜(しゅん)を得え、
二十年にして老(ろう)し、
舜をして天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、
これを天に薦(すす)む。
堯、位を辟(さ)けておよそ二十八年にして崩(ほう)ず。
百姓悲哀し、父母を喪(うしな)うがごとし。
三年、四方(しほう)、楽(がく)を挙ぐるなく、もって堯を思う。
堯、子の丹朱(たんしゅ)の不肖(ふしょう)にして、
天下を授(さず)くるに足らざるを知る。
ここにおいてすなわち権(はか)りて舜に授く。
舜に授くれば、すなわち天下その利を得て、
丹朱(たんしゅ)病(や)まん、丹朱に授くれば、
すなわち天下病みて丹朱(たんしゅ)その利を得ん。
堯曰く、ついに天下の病をもって一人を利(り)せじ、と。
しこうして卒(つい)に舜に授くるに天下をもってす。
堯崩(ほうじ)、三年の喪も畢(おわ)り、
舜、譲(ゆず)りて丹朱を南河の南に辟(さ)く。
諸侯の朝覲(ちょうきん)する者、
丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、獄訟(ごくしょう)する者、
丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、謳歌(おうか)する者、
丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、天なるかな、と。
しこうして後(のち)、中国に之(ゆ)き、天子の位を践(ふ)む、
これを帝(てい)舜となす。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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