2015年5月28日木曜日

史記・五帝本紀第一③

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 《参考:年表・資料》
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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 ※出典:Web漢文大系・史記
 Web漢文大系・史記

 【五帝本紀第一】

 堯帝①

  帝堯者,放勳。其仁如天,其知如神。就之如日,望之如雲。

 富而不驕,貴而不舒。黃收純衣,彤車乘白馬。能明馴德,以親九族。

 九族既睦,便章百姓。百姓昭明,合和萬國。


  帝(てい)堯(ぎょう)は放勲(ほうくん)、その仁は天のごとく、

 その知は神(しん)のごとく、これに就(つ)くこと日のごとく、

 これを望むこと雲(くも)のごとし。

 富めども驕(おご)らず、貴(たっと)けれども舒(あなど)らず。

 黄収(こうしゅう)純衣(じゅんい)、

 彤車(とうしゃ)にして白馬に乗る。

 よく馴徳(じゅんとく)を明らかにし、

 もって九族(きゅうぞく)を親しむ。

 九族すでに睦(むつまじ)くして、

 百姓(ひゃくせい)を便章(べんしょう)す。

 百姓昭明(しょうめい)にして、万国を合和(ごうわ)す。


 堯帝②

  乃命羲、和,敬順昊天,數法日月星辰,敬授民時。

 分命羲仲,居鬱夷,曰暘穀。敬道日出,便程東作。

 日中,星鳥,以殷中春。其民析,鳥獸字微。

 申命羲叔,居南交。便程南為,敬致。日永,星火,以正中夏。

 其民因,鳥獸希革。申命和仲,居西土,曰昧穀。

 敬道日入,便程西成。夜中,星虛,以正中秋。其民夷易,鳥獸毛毨。

 申命和叔;居北方,曰幽都。便在伏物。

 日短,星昴,以正中冬。其民燠,鳥獸氄毛。

 歲三百六十六日,以閏月正四時。信飭百官,眾功皆興。


  すなわち羲(ぎ)、和(か)に命じ、

 敬(つつし)みて昊天(こうてん)に順(したが)い、

 日月(じつげつ)星辰(せいしん)を数え法(のっと)り、

 敬みて民に時を授(さずけ)しむ。

 分(わか)ちて羲仲(ぎちゅう)に命じて、郁夷(いくい)におらしむ、

 暘谷(ようこく)という。

 敬(つつし)みて日の出(いず)るを道(みち)びき、

 東作(とうさく)を便程(べんてい)す。

 日(ひ)は中(ちゅう)、星は鳥(ちょう)、

 もって中春(ちゅうしゅん)を殷ただす。


 その民は析(わか)れ、鳥獣は字微(じび)す。

 申(かさね)て羲叔(ぎしゅく)に命じて、南交なんこうにおらしむ。

 南為なんいを便程(べんてい)し、敬(つつし)みて致す。

 日は永(なが)く、星は火(か)、

 もって中夏(ちゅうか)を正(ただ)す。

 その民は因より、鳥獣は希革(きかく)す。

 申(かさね)て和仲(わちゅう)に命じて、西土(せいど)におらしむ。

 昧谷(まいこく)という。

 敬(つつし)みて日の入いるを道(みち)びき、

 西成(せいせい)を便程(べんてい)。

 夜(よ)は中(ちゅう)、星は虚(きょ)、

 もって中秋ちゅうしゅうを正ただす。

 その民は夷易(いい)し、鳥獣は毛毨(もうせん)す。

 申(かさね)て和叔(かしゅく)に命じて、北方(ほくほう)におらしむ。

 幽都(ゆうと)という。

 伏物(ふくぶつ)を便在(べんざい)す。

 日は短く、星は昴(ぼう)、もって中冬(ちゅうとう)を正(ただ)す。

 その民は燠(あたたま)り、鳥獣は氄毛(じょうもう)す。

 歳(とし)三百六十六日、

 閏月(じゅんげつ)をもって四時(しいじ)を正(ただ)す。

 信(まこと)に百官(ひゃっかん)を飭(ととの)え、

 衆功(しゅうこう)みな興(お)こる。


 堯帝③

  堯曰:「誰可順此事?」放齊曰:「嗣子丹硃開明。」

 堯曰:「籲!頑凶,不用。」

 堯又曰:「誰可者?」讙兜曰:「共工旁聚布功,可用。」

 堯曰:「共工善言,其用僻,似恭漫天,不可。」

 堯又曰:「嗟,四岳,湯湯洪水滔天,浩浩懷山襄陵,

 下民其憂,有能使治者?」皆曰鯀可。

 堯曰:「鯀負命毀族,不可。」

 嶽曰:「異哉,試不可用而已。」

 堯於是聽嶽用鯀。九歲,功用不成。


  堯(ぎょう)曰く、たれかこの事ことに順(したが)うべき、と。

 放斉(ほうせい)曰く、

 嗣子(しし)丹朱(たんしゅ)開明(かいめい)なり、と。

 堯曰く、吁(ああ)、頑凶(がんきょう)なり、用(もちい)られず、と。

 堯(ぎょう)また曰く、たれか可なる者ぞ、と。

 讙兜(かんとう)曰く、共工(きょうこう)は

 旁(あまね)く聚(あつめ)て功(こう)を布しかん、

 用(もち)うべし、と。

 堯曰く、共工はよく言えども、その用うるや僻(へき)す。

 恭(きょう)に似たれども天を漫(あなど)る。不可なり、と。

 堯(ぎょう)また曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、

 湯湯(しょうしょう)たる洪水(こうずい)天に滔(はびこ)り、

 浩浩(こうこう)として山を懐(つつ)み陵(おか)に襄(のぼ)る、

 下民それ憂う、よく治めしむる者あらんや、と。

 みな曰く、鯀可(こんか)なり、と。

 堯曰く、鯀(こん)は命に負(そむ)き族を毀(やぶ)る、不可なり、と。

 岳がく曰く、异(あげ)んかな、

 試みて用うべからずんば而(すなわち)已(やめ)ん、と。

 堯ここにおいて岳(がく)に聴きて鯀(こん)を用もちう。

 九歳まで功用(こうよう)成らず。


 堯帝④

  堯曰:「嗟!四嶽:朕在位七十載,汝能庸命,踐朕位?」

 岳應曰:「鄙德忝帝位。」

 堯曰:「悉舉貴戚及疏遠隱匿者。」

 眾皆言於堯曰:「有矜在民間,曰虞舜。」

 堯曰:「然,朕聞之。其何如?」

 嶽曰:「盲者子。父頑,母嚚,弟傲,能和以孝,烝烝治,不至奸。」

 堯曰:「吾其試哉。」於是堯妻之二女,觀其德於二女。

 舜飭下二女於媯汭,如婦禮。堯善之,


  堯(ぎょう)曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、朕(われ)、

 位(くらい)にあること七十載(しちじっさい)、

 なんじよく命を庸(もち)う、朕(わが)位を践(ふ)め、と。

 岳(がく)応(こたえ)て曰く、鄙徳(ひとく)なり、

 帝位を忝(はずかしめ)ん、と。

 堯(ぎょう)曰く、ことごとく貴戚(きせき)および


 疏遠(そえん)隠匿(いんとく)の者を挙(あげ)よ、と。

 衆(みな)堯に言いて曰く、矜(やもめ)ありて民間にあり、

 虞舜(ぐしゅん)という、と。

 堯曰く、しかり、朕(われ)もこれを聞けり。それいかん。

 岳曰く、盲者(もうしゃ)の子。

 父は頑(がん)に、母は嚚(ぎん)に、弟は傲(ごう)なるも、

 よく和(やわら)ぐるに孝をもってし、

 烝烝(じょうじょう)として治めて

 姦(かん)に至いたらしめず、と。

 堯(ぎょう)曰く、われ、それ試(こころみ)んかな、と。

 ここにおいて堯はこれに二女(にじょ)を妻(め)あわせ、

 その徳の二女におけるを観みる。

 舜(しゅん)、二女を媯汭(きぜい)に飭(ととの)え下し、

 婦(ふの)礼のごとくす。

 堯、これを善(よ)みす。


 堯帝⑤

  乃使舜慎和五典,五典能從。乃遍入百官,百官時序。

 賓於四門,四門穆穆,諸侯遠方賓客皆敬。

 堯使舜入山林川澤,暴風雷雨,舜行不迷。

 堯以為聖,召舜曰:「女謀事至而言可績,三年矣。女登帝位。」

 舜讓於德不懌。正月上日,舜受終於文祖。文祖者,堯大祖也。

 於是帝堯老,命舜攝行天子之政,以觀天命。


  すなわち舜(しゅん)をして慎(つつし)みて

 五典(ごてん)を和(やわら)げしむ、五典よく従う。

 すなわち徧(あまね)く百官(ひゃっかん)に入(い)らしむ、

 百官時これ序(じょ)し、四門に賓(ひん)せしむ、

 四門穆穆(ぼくぼく)たり、諸侯、遠方の賓客(ひんかく)、

 みな敬す。

 堯、舜をして山林・川沢(せんたく)に入らしむ、

 暴風・雷雨にも、舜行(ゆ)きて迷わず。

 堯もって聖となす、

 舜を召して曰く、女(なんじ)、事を謀ること至れり、

 しこうして言(げん)、績(せき)とすべきこと三年。

 女(なんじ)、帝位に登れ、と。

 舜、徳に譲り、懌(よろこ)ばず。正月上日(じょうじつ)、

 舜、終(おわ)りを文祖(ぶんそ)に受く。

 文祖とは堯の大祖(たいそ)なり。

 ここにおいて帝(てい)堯老(ろう)し、

 舜に命じて天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、

 もって天命を観(み)る。


 堯帝⑥

  舜乃在璿璣玉衡,以齊七政。

 遂類于上帝,禋于六宗,望於山川,辯於群神。

 揖五瑞,擇吉月日,見四岳諸牧,班瑞。

 歲二月,東巡狩,至於岱宗,祡,望秩於山川。

 遂見東方君長,合時月正日,同律度量衡,

 脩五禮五玉三帛二生一死為摯,如五器,卒乃複。

 五月,南巡狩;八月,西巡狩;十一月,北巡狩:皆如初。

 歸,至於祖禰廟,用特牛禮。五歲一巡狩,群後四朝。

 遍告以言,明試以功,車服以庸。肇十有二州,決川。

 象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,撲作教刑,金作贖刑。

 眚災過,赦;怙終賊,刑。

 欽哉,欽哉,惟刑之靜哉!讙兜進言共工,

 堯曰不可而試之工師,共工果淫辟。

 四岳舉鯀治鴻水,堯以為不可,嶽彊請試之,

 試之而無功,故百姓不便。

 三苗在江淮、荊州數為亂。於是舜歸而言於帝,請流共工於幽陵,

 以變北狄;放驩兜於崇山,以變南蠻;遷三苗於三危,

 以變西戎;殛鯀於羽山,以變東夷:四罪而天下鹹服。


  舜(しゅん)すなわち璿璣(せんき)玉衡(ぎょくこう)を

 在(あきら)かにし、もって七政(しちせい)を斉(ととの)う。

 ついに上帝に類(るい)し、六宗(りくそう)に禋(いん)し、

 山川に望(ぼう)し、群神(ぐんしん)に弁(べん)す。

 五瑞(ごずい)を揖(おさ)め、吉月日(きつげつじつ)を択(えら)び、

 四岳(しがく)・諸牧(しょぼく)を見、瑞を班(わか)つ。

 歳(とし)の二月、東に巡狩(じゅんしゅ)し、

 岱宗(たいそう)に至り、祡(さい)し、山川を望秩(ぼうちつ)す。

 ついに東方の君長(くんちょう)を見、

 時月(じげつ)を合わせ、日を正(ただ)しゅうし、

 律(りつ)度量衡(どりょうこう)を同じゅうし、五礼を修め、

 五玉・三帛(さんぱく)・二生・一死を摯(し)となし、


 五器を如(ひとしゅう)し、卒(おわ)ればすなわち復(か)えす。


 堯帝⑦

  堯立七十年得舜,二十年而老,令舜攝行天子之政,薦之於天。

 堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀,如喪父母。

 三年,四方莫舉樂,以思堯。

 堯知子丹硃之不肖,不足授天下,於是乃權授舜。

 授舜,則天下得其利而丹硃病;授丹硃,則天下病而丹硃得其利。

 堯曰「終不以天下之病而利一人」,而卒授舜以天下。

 堯崩,三年之喪畢,舜讓辟丹硃於南河之南。

 諸侯朝覲者不之丹硃而之舜,獄訟者不之丹硃而之舜,

 謳歌者不謳歌丹硃而謳歌舜。

 舜曰「天也」,夫而後之中國踐天子位焉,是為帝舜。


  五月、南に巡狩(じゅんしゅ)し、八月、西に巡狩し、

 十一月、北に巡狩す。みな初はじめのごとし。

 帰りて祖禰(そでい)の廟(びょう)に至り、

 特牛(とくぎゅう)の礼を用う。

 五歳に一たび巡狩し、群后(ぐんこう)四たび朝(ちょう)す。

 徧(あまねく)告ぐるに言をもってし、

 明らかに試みるに功をもってし、

 車服(しゃふく)は庸(よう)をもってす。

 十有二州を肇はじめ、川を決(け)っす。

 象(しょう)するに典刑(てんけい)をもってし、

 流(りゅう)して五刑を宥(ゆる)し、鞭(むち)を官刑と作なし、

 扑(ぼく)を教刑と作し、金を贖刑(とくけい)と作し、

 眚(せい)、烖(さい)の過(あやま)ちは赦ゆるし、

 怙終(こしゅう)の賊をば刑す。欽(つつ)しめよや、欽めよや、

 これ刑をこれ静(しずか)にせんかな、と。

 讙兜(かんとう)、共工(きょうこう)を進め言う、

 堯(ぎょう)曰く、不可なり、と。

 しこうしてこれを工師に試(こころ)む、

 共工果はたして淫辟(いんぺき)なり。

 四岳、鯀(こん)をあげて鴻水(こうずい)を治めしめんとす、

 堯、もって不可となす、岳、彊(しい)てこれを試みんと請(こう)、

 これを試みたれども功なし、ゆえに百姓、便とせず。

 三苗(さんびょう)、江(こう)・淮(わい)・荊州(けいしゅう)にありて

 しばしば乱をなす。

 ここにおいて、舜帰りて帝(てい)に言い、

 請(こう)て共工を幽陵(ゆうりょう)に流し、

 もって北狄(ほくてき)に変じ、

 驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に放ち、

 もって南蛮(なんばん)に変じ、

 三苗を三危(さんき)に遷(うつ)し、

 もって西戎(せいじゅう)に変じ、

 鯀(こん)を羽山(うざん)に殛(きょく)し、

 もって東夷(とうい)に変ず、四辠(しざい)して天下みな服す。


 堯帝⑧

  堯立七十年得舜、二十年而老、令舜攝行天子之政、薦之於天。

 堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀、如喪父母。」
 
 三年、四方莫舉樂、以思堯。堯知子丹朱之不肖、不足授天下。

 於是乃權授舜。

 授舜、則天下得其利、而丹朱病、授丹朱、則天下病而丹朱得其利。

 堯曰、終不以天下之病而利一人。而卒授舜以天下。

 堯崩、三年之喪畢、舜讓辟丹朱於南河之南。

 諸侯朝覲者不之丹朱而之舜、獄訟者不之丹朱而之舜、

 謳歌者不謳歌丹朱而謳歌舜。

 舜曰、天也夫。而後之中國踐天子位焉、是爲帝舜。


  堯(ぎょう)立ちて七十年にして舜(しゅん)を得え、

 二十年にして老(ろう)し、

 舜をして天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、

 これを天に薦(すす)む。

 堯、位を辟(さ)けておよそ二十八年にして崩(ほう)ず。

 百姓悲哀し、父母を喪(うしな)うがごとし。

 三年、四方(しほう)、楽(がく)を挙ぐるなく、もって堯を思う。

 堯、子の丹朱(たんしゅ)の不肖(ふしょう)にして、

 天下を授(さず)くるに足らざるを知る。

 ここにおいてすなわち権(はか)りて舜に授く。

 舜に授くれば、すなわち天下その利を得て、

 丹朱(たんしゅ)病(や)まん、丹朱に授くれば、

 すなわち天下病みて丹朱(たんしゅ)その利を得ん。

 堯曰く、ついに天下の病をもって一人を利(り)せじ、と。

 しこうして卒(つい)に舜に授くるに天下をもってす。

 堯崩(ほうじ)、三年の喪も畢(おわ)り、

 舜、譲(ゆず)りて丹朱を南河の南に辟(さ)く。

 諸侯の朝覲(ちょうきん)する者、

 丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、獄訟(ごくしょう)する者、

 丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、謳歌(おうか)する者、

 丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、天なるかな、と。

 しこうして後(のち)、中国に之(ゆ)き、天子の位を践(ふ)む、

 これを帝(てい)舜となす。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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