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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―
司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書 第六)
秦⑩
〔三神山〕
〔斉の〕威王・宣王、燕の昭王から、人をやって海に入り、
蓬莱・方丈・瀛州〔という三つの神山〕を
捜させるということが始まった。
この三神山は、言伝えによれば、渤海のなかにあって、
さほど遠いところではない。
ただ、いまにも行き着くかと思うときに、
船が風に引かれるままに離れてしまうのが、
いかにも残念なのである。
つまり、昔には行き着いた者がいたようで、
そこにはもろもろの仙人たちもおれば、
不死の薬もあって、そこにあるもの、
鳥獣のまで白一色で、黄金と白銀とで宮殿を造っている。
そこまで行かぬうちに遠く望めば雲のようであり、
そこまで行って見ると三神山は返って水の下にあり、
それを覗ききむと、決まって風が船を引いて離してしまい、
結局、誰も行き着くことはできなかった、という。
〔それだけに〕世に時めく人君たるもの、
ここに思いをかけないものとてはないのである。
秦の始皇帝が天下を併合して、海辺にまで来たとなると、
このことを言上する方子たちは、数えきれぬばかりであったが、
始皇自ら、海辺までは来ているものの、
なかなか〔三神山へは〕行けそうもないぞ、と思ったので、
使いのものに、
なんと〔驚いたことには〕少年少女たちを供物として連れさせ、
海に出て捜すように命じた。
その船は沖で示し合わせ、口を揃えて風のことで
言い逃れをすることにして、
「到着できませんでしたけれど、遙か彼方に見えましてございます」
と言った。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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