2015年5月5日火曜日

封禅書(13)

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書 第六)

 秦⑩

 〔三神山〕

  〔斉の〕威王・宣王、燕の昭王から、人をやって海に入り、

 蓬莱・方丈・瀛州〔という三つの神山〕を

 捜させるということが始まった。

 この三神山は、言伝えによれば、渤海のなかにあって、

 さほど遠いところではない。

 ただ、いまにも行き着くかと思うときに、

 船が風に引かれるままに離れてしまうのが、

 いかにも残念なのである。

 つまり、昔には行き着いた者がいたようで、

 そこにはもろもろの仙人たちもおれば、

 不死の薬もあって、そこにあるもの、
 
 鳥獣のまで白一色で、黄金と白銀とで宮殿を造っている。

 そこまで行かぬうちに遠く望めば雲のようであり、

 そこまで行って見ると三神山は返って水の下にあり、

 それを覗ききむと、決まって風が船を引いて離してしまい、

 結局、誰も行き着くことはできなかった、という。

 〔それだけに〕世に時めく人君たるもの、

 ここに思いをかけないものとてはないのである。

  秦の始皇帝が天下を併合して、海辺にまで来たとなると、

 このことを言上する方子たちは、数えきれぬばかりであったが、

 始皇自ら、海辺までは来ているものの、

 なかなか〔三神山へは〕行けそうもないぞ、と思ったので、

 使いのものに、

 なんと〔驚いたことには〕少年少女たちを供物として連れさせ、

 海に出て捜すように命じた。

 その船は沖で示し合わせ、口を揃えて風のことで

 言い逃れをすることにして、

 「到着できませんでしたけれど、遙か彼方に見えましてございます」

 と言った。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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