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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―
司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書 第六)
秦⑨
〔方子の起こり〕
斉の威王・宣王の時から、
騶子(騶衍)の輩(ともがら)は
五徳の運行を論じて書物を著していたが、
秦の世になって、
斉の国の人がこれを奏上したものだから、
始皇帝は五行の説を採用したのである。
ところで宋母忌・正伯僑・充・尚・羨門高・最後らは
みな燕(河北省)の人で、仙人の術を行い、
からだの形ををなくしたり、
なにかにかえたりしてみせて、
鬼神の仕業にかこつけた。
また騶衍は陰陽主運の説
(陰陽家の騶子という本に主運篇があったという)を
ひっさげて、諸侯の間にかくれもない存在であった。
ところが燕の地方や斉の海辺の方子たちは、
その術を受け継いでいながら、
それを自分のものにするだけの能力がなかった。
さてそうなると、
得体の知れないまが事をやって、
おもねりへつらう輩が、
この時から起こり、
その数ははかり知れないばかりにのぼるである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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