2015年4月24日金曜日

封禅書(12)


 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦


 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書 第六)

 秦⑨

 〔方子の起こり〕

 斉の威王・宣王の時から、

 騶子(騶衍)の輩(ともがら)は

 五徳の運行を論じて書物を著していたが、

 秦の世になって、

 斉の国の人がこれを奏上したものだから、

 始皇帝は五行の説を採用したのである。

 ところで宋母忌・正伯僑・充・尚・羨門高・最後らは

 みな燕(河北省)の人で、仙人の術を行い、

 からだの形ををなくしたり、

 なにかにかえたりしてみせて、

 鬼神の仕業にかこつけた。

 また騶衍は陰陽主運の説

 (陰陽家の騶子という本に主運篇があったという)を

 ひっさげて、諸侯の間にかくれもない存在であった。

 ところが燕の地方や斉の海辺の方子たちは、

 その術を受け継いでいながら、

 それを自分のものにするだけの能力がなかった。

 さてそうなると、

 得体の知れないまが事をやって、

 おもねりへつらう輩が、

 この時から起こり、

 その数ははかり知れないばかりにのぼるである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年4月23日木曜日

封禅書(11)

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 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書 第六)

 秦⑧

 〔八神〕

  さて、始皇はそのまま東へ進み、海岸地帯を旅行するのであるが、

 自ら名山・大川および八神を礼をもってまつり、

 仙人の羨門といった輩をもとめたのであった。

 八神ということはずっと昔からいわれていたようであり、

 また『(斉)太公このかたいいだされた』という人もあるが、

 そのまつりは絶えてしまったので、

 いつ始まったものか知る人がない。

 その八神の第一は天主といって、天斉でおまつりをする。

 とは淵水のことで、

 臨菑(山東省臨淄県の北八里)の南郊の山の、

 最も低い所にあるものであり、

 斉の国がなぜ斉といわれるのかといえば、

 この天斉に因むからである。

 その第二は地主といって、泰山・梁父山でおまつりをする。

 というのは、天は陰を好むから、

 天をまつるには、

 必ず高い山の麓と小さい山の上とでするのであろう。

 〔そのまつりの場所を〕畤(じ)と呼ぶ。

 また地は陽を尊ぶから、

 地をまつるには必ず湿地帯の中の丸い丘でするのだ、とわれる。

 第三は兵主といって、

 蚩尤〔の冢は〕東平陸

 (漢のときの県名、山東省歴城県の東七十五里)の監郷にあって、

 斉の国の西境にあたる。

 第四は陰主といって、

 三山(漢書地理志の東莱郡曲成県にあるとみえる参山)

 でおまつりをする。

 第五は陽主といって、

 之罘山(山東省福山県東北三十五里)でおまつりをする。

 第六は月主といって、

 莱山(山東省黄県の東南二十里)でおまつりをする。

 いずれも斉の国の北部にあって渤海に沿ってならんでいる。

 第七は日主といって、

 成山(山東省栄成県の東三十里)でおまつりをする。

 成山は斗のような曲線をなして海に入っており、

 斉の国の東北のさいはてに位置し、

 日の出を迎える山だといわれる。

 第八は四畤主といって、

 琅邪(山東省諸城県の東南、琅邪山上に琅邪台がある。

 いまは海岸線)でおまつりをする。

 琅邪は斉の国の東方にある。

 つまり歳のはじまるところなのである。

 〔以上の八神をまつるには〕いずれもがそれぞれ

 牛・羊・豚の三牲を具備してまつる。

 もっとも〔まつりを司る〕巫祝の数には多少があり、

 〔神に捧げる〕たまと、幣とは、とりどりであって違いある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
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