『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『明星院・広島県歴史&地名他』
『Yahoo!天気・災害』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
※出典:Web漢文大系・史記
Web漢文大系・史記
【五帝本紀第一】
舜帝①
虞舜者、名曰重華。重華父曰瞽叟、瞽叟父曰橋牛、橋牛父曰句望、
句望父曰敬康、敬康父曰窮蝉、窮蝉父曰帝顓頊、顓頊父曰昌意。
以至舜七世矣。自從窮蝉以至帝舜、皆微爲庶人。
虞舜(ぐしゅん)は、名は重華(ちょうか)という。
重華の父は瞽叟(こそう)といい、
瞽叟の父は橋牛(きょうぎゅう)といい、
橋牛の父は句望(こうぼう)といい、
句望の父は敬康(けいこう)といい、
敬康の父は窮蝉(きゅうせん)といい、
窮蝉の父は帝(てい)顓頊(せんぎょく)といい、
顓頊の父は昌意(しょうい)という。
もって舜に至るまで七世(しちせい)なり。
窮蝉(きゅうせん)自従よりもって帝(てい)舜に至るまで、
みな微びにして庶人(しょじん)たり。
舜帝②
舜父瞽叟盲、而舜母死、瞽叟更娶妻而生象、象傲。
瞽叟愛後妻子、常欲殺舜。舜避逃。
及有小過、則受罪。順事父及後母與弟、日以篤謹、匪有解。
舜の父瞽叟(こそう)は盲(もう)にして、舜の母死し、
瞽叟、更に妻を娶(めと)りて象(しょう)を生む、象傲(おご)る。
瞽叟、後妻(こうさい)の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。
舜、避(さ)け逃(のが)る。
小過(しょうか)あるに及べば、すなわち罪を受く。
父および後母(こうぼ)と弟とに順事(じゅんじ)すること、
日にもって篤謹(とくきん)にして、解(おこ)たることあらず。
舜帝③
舜、冀州之人也。舜耕歴山、漁雷澤、陶河濱、
作什器於壽丘、就時於負夏。
舜父瞽叟頑、母嚚、弟象傲、皆欲殺舜。舜順適不失子道。
兄弟孝慈、欲殺不可得。即求嘗在側。
舜は冀州(きしゅう)の人なり。
舜、歴山(れきざん)に耕(たがや)し、雷沢(らいたく)に漁(ぎょ)し、
河浜(かひん)に陶(とう)し、
什器(じゅうき)を寿丘(じゅきゅう)に作り、
時に負夏(ふか)に就く。
舜の父瞽叟(こそう)は頑(がん)に、
母は嚚(ぎん)に、弟(おとうと)象(しょう)は傲(おご)り、
みな舜を殺さんと欲す。
舜、順適(じゅんてき)して子道(しどう)を失(うしな)わず。
兄弟(けいてい)孝慈(こうじ)、
殺さんと欲すれども得(う)べからず。
即(もし)求むれば嘗(つね)に側(かたわらに)あり。
舜帝④
舜年二十以孝聞。三十而帝堯問可用者。四嶽咸薦虞舜曰、可。
於是堯乃以二女妻舜、以觀其内、使九男與處、以觀其外。
舜居媯汭、内行彌謹。
堯二女不敢以貴驕事舜親戚、甚有婦道。堯九男皆益篤。
舜耕歴山、歴山之人皆讓畔。
漁雷澤、雷澤上人皆讓居。陶河濱、河濱器皆不苦窳。
一年而所居成聚、二年成邑、三年成都。
堯乃賜舜絺衣、與琴、爲築倉廩、予牛羊。
瞽叟尚復欲殺之、使舜上塗廩、瞽叟從下縱火焚廩。
舜乃以兩笠、自扞而下去、得不死。後瞽叟又使舜穿井。
舜穿井爲匿空旁出。舜既入深。瞽叟與象共下土實井。
舜從匿空出去。瞽叟、象喜、以舜爲已死。
象曰、本謀者象。象與其父母分。
於是曰、舜妻堯二女、與琴、象取之。牛羊倉廩予父母。
象乃止舜宮居、鼓其琴。舜往見之。象鄂不懌曰、我思舜正鬱陶。
舜曰、然、爾其庶矣。舜復事瞽叟愛弟彌謹。
於是堯乃試舜五典百官。皆治。
舜、年とし二十にして孝をもって聞(き)こゆ。
三十にして帝(てい)堯、用(もち)うべき者を問う。
四岳、咸(みな)虞舜(ぐしゅん)を薦(すすめ)て曰く、可なり、と。
ここにおいて、堯すなわち二女(にじょを)もって舜に妻(め)あわせ、
もってその内を観み、九男(きゅうだん)をしてともに処(お)らしめ、
もってその外を観(み)る。
舜、媯汭(きぜいに)おり、内行(ないこう)いよいよ謹む。
堯の二女、あえて貴(たっと)きをもって
舜の親戚に驕事(きょうじ)せず、はなはだ婦道(ふどう)あり。
堯の九男(きゅうだん)みなますます篤(あつ)し。
舜、歴山れきざんに耕す、歴山の人みな畔(あぜ)を譲る。
雷沢(らいたく)に漁(ぎょ)す、
雷沢の上(ほとり)の人みな居(きょ)を譲る。
河浜(かひん)に陶(とう)す、河浜の器(き)みな苦窳(こゆ)せず。
一年にしておるところ聚(しゅう)をなし、
二年にして邑(ゆう)をなし、三年にして都とをなす。
堯、すなわち舜に絺衣(ちい)と琴(きん)とを賜(たま)い、
ために倉廩(そうりん)を築(きず)き、
牛羊(ぎゅうよう)を予(あた)う。
瞽叟(こそう)、なおまたこれを殺さんと欲し、
舜をして上りて廩(りん)を塗ぬらしめ、
瞽叟(こそう)下より火を縦(はな)ちて廩(りん)を焚(や)く。
舜、すなわち両笠(りょうりゅう)をもって、
みずから扞(ふせ)ぎ下(くだ)り去り、死せざるを得たり。
のち、瞽叟また舜をして井(い)を穿(うが)たしむ。
舜、井を穿ち、
匿空(とくこう)の旁出(ぼうしゅつ)せるを為(つ)くる。
舜すでに入(い)ること深し。
瞽叟、象(しょう)とともに土を下し井に実たす。
舜、匿空(とくこう)より出で去る。
瞽叟・象(しょう)喜び、舜をもってすでに死せりとなす。
象曰く、もと謀はかる者は象なり、と。
象、その父母とともに分たんとす。
ここにおいて曰く、
舜の妻(つま)なる堯の二女(にじょ)と琴(きん)とは象これを取らん。
牛羊(ぎゅうよう)倉廩(そうりん)は父母に予(あたえ)ん、と。
象すなわち舜の宮(きゅうに止まりおりて、その琴を鼓(こ)す。
舜往(ゆ)きてこれを見る。
象、鄂(がく)として懌(よろこ)ばずして曰く、
われ舜を思い、まさに鬱陶うっとう()たり、と。
舜曰く、しかり、なんじそれ庶(ちか)し、と。
舜、また瞽叟に事つかえ、弟を愛していよいよ謹めり。
ここにおいて、
堯すなわち舜を五典(ごてん)百官(ひゃっかん)に試こころむ。
みな治まれり。
舜帝⑤
昔高陽氏有才子八人。世得其利、謂之八愷。高辛氏有才子八人。
世謂之八元。此十六族者、世濟其美、不隕其名至於堯。
堯未能舉。舜舉八愷、使主后土、以揆百事。莫不時序。
舉八元、使布五教于四方。
父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内平外成。
昔(むかし)、高陽氏(こうようし)に才子(さいし)八人あり。
世(よ)、その利を得(う)、これを八愷(はちがい)という。
高辛氏(こうしんし)に才子(さいし)八人あり。
世、これを八元(はちげん)という。
この十六族の者、世々(よよ)その美を済(な)し、
その名を隕(おと)さずして堯に至る。
堯、いまだ挙(あ)ぐることあたわず。
舜、八愷(はちがい)を挙げ、后土(こうど)を主(つかさ)どらしめ、
もって百事(ひゃくじ)を揆(はか)る。
時に序(ついで)ざるはなし。
八元(はちげん)を挙げ、五教を四方(しほう)に布しかしむ。
父は義、母は慈(じ)、兄は友(ゆう)、弟は恭(きょう)、
子は孝、内(うち)平(たいらか)に外(そと)なる。
舜帝⑥
昔帝鴻氏有不才子。掩義隱賊、好行凶慝。天下謂之渾沌。
少皞氏有不才子。毀信惡忠、崇飾惡言。天下謂之窮奇。
顓頊氏有不才子。不可教訓。不知話言。天下謂之檮杌。
此三族世憂之、至于堯。堯未能去。縉雲氏有不才子。
貪于飲食、冒于貨賄。天下謂之饕餮。天下惡之、比之三凶。
舜賓於四門、乃流四凶族、遷于四裔、以御螭魅。
於是四門辟。言毋凶人也。
昔(むかし)、帝鴻氏(ていこうし)に不才子(ふさいし)あり。
義を掩(おお)い賊を隠し、好みて凶慝(きょうとく)を行なう。
天下、これを渾沌(こんとん)という。
少皞氏(しょうこうし)に不才子にあり。
信を毀(やぶ)り忠を悪(にく)み、悪言を崇飾(すうしょく)す。
天下、これを窮奇(きゅうき)という。
顓頊氏(せんぎょくし)に不才子あり。教訓すべからず。
話言(かいげん)を知らず。
天下、これを檮杌(とうこつ)という。
これ三族は世々(よよ)これを憂え、堯に至る。
堯いまだ去ることあたわず。縉雲氏(しんうんし)に不才子あり。
飲食を貪(むさぼ)り、貨賄(かかい)を冒(むさぼ)る。
天下、これを饕餮(とうてつ)という。
天下、これを悪(にく)み、これを三凶(さんきょう)に比(ひ)す。
舜、四門に賓(ひん)し、
すなわち四凶族(しきょうぞく)を流(りゅう)して、
四裔(しえい)に遷(うつ)し、もって螭魅(ちみ)を御(ふせ)ぐ。
ここにおいて四門辟(ひら)く。
凶人(きょうじん)なきをいうなり。
舜帝⑦
舜入于大麓、烈風雷雨不迷。堯乃知舜之足授天下。
堯老、使舜攝行天子政、巡狩。
舜得舉用事二十年、而堯使攝政。攝政八年而堯崩。
三年喪畢、讓丹朱。天下歸舜。
而禹、皋陶、契、后稷、伯夷、夔、龍、倕、益、彭祖、
自堯時而皆舉用、未有分職。
於是舜乃至於文祖、謀于四嶽、辟四門、明通四方耳目。命十二牧。
論帝徳、行厚徳、遠佞人、則蠻夷率服。
舜謂四嶽曰、有能奮庸美堯之事者、使居官相事。
皆曰、伯禹爲司空、可帝功。
舜曰、嗟、然、禹、汝平水土。維是勉哉。
禹拜稽首、讓於稷、契與皋陶。舜曰、然、往矣。
舜曰、弃、黎民始飢、汝后稷播時百穀。
舜曰、契、百姓不親。五品不馴。
汝爲司徒、而敬敷五教、在寛。
舜曰、皋陶、蠻夷猾夏、寇賊姦軌。
汝作士、五刑有服、五服三就、五流有度、五度三居。
維明能信。舜曰、誰能馴予工。皆曰垂可。
於是以垂爲共工。舜曰、誰能馴予上下草木鳥獸、皆曰益可。
於是以益爲朕虞。益拜稽首、讓于諸臣朱虎、熊羆。
舜曰、往矣、汝諧。遂以朱虎、熊羆爲佐。
舜曰、嗟、四嶽、有能典朕三禮。皆曰伯夷可。
舜曰、嗟、伯夷、以汝爲秩宗。夙夜維敬、直哉。
維靜絜。伯夷讓夔、龍。
舜曰、然。以夔爲典樂、教穉子。
直而温、寛而栗、剛而毋虐、簡而毋傲。
詩言意、歌長言、聲依永、律和聲。
八音能諧、毋相奪倫、神人以和。
夔曰、於、予撃石拊石、百獸率舞。
舜曰、龍、朕畏忌讒説殄僞、振驚朕衆。命汝爲納言。
夙夜出入朕命、惟信。
舜曰、嗟、女二十有二人、敬哉、惟時相天事。
三歳一考功、三考絀陟。遠近衆功咸興。分北三苗。
舜、大麓(たいろく)に入(い)り、烈風・雷雨にも迷わず。
堯すなわち舜の天下を授(さず)くるに足るを知る。
堯老(おい)、舜をして天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)し、
巡狩(じゅんしゅ)せしむ。
舜、挙(あげ)らるるを得え、事を用(もち)うること二十年にして、
堯、政(まつりごと)を摂(せっ)せしむ。
政を摂すること八年にして堯崩(ほう)ず。
三年の喪も畢(おわ)り、丹朱(たんしゅ)に譲ゆずる。
天下、舜に帰す。
しこうして禹(う)・皐陶(こうよう)、契(せつ)、后稷(こうしょく)、
伯夷(はくい)、夔(き)、龍(りょう)、倕(すい)、益(えき)、
彭祖(ほうそ)、堯のときよりみな挙用(きょよう)せられたれども、
いまだ分職(ぶんしょく)あらず。
ここにおいて舜すなわち文祖(ぶんそ)に至り、
四岳に謀(はか)り、四門を辟(ひら)き、
明らかに四方の耳目(じもく)を通ず。
十二牧(じゅうにぼく)に命ず。
帝徳を論じ、厚徳を行ない、佞人(ねいじん)を遠ざくるときは、
すなわち蛮夷(ばんい)率(ひきい)て服(ふく)せん、と。
舜、四岳に謂いて曰く、よく庸(よう)を奮(ふん)にし、
堯の事を美(よ)くする者あらば、
官に居り、事を相たすけしめん、と。
みな曰く、伯禹(はくう)、司空(しこう)とならば、
帝(てい)の功を美(よ)くすべし。
舜曰く、嗟(ああ)、然(しかり)、禹(う)、
なんじ水土(すいど)を平(たいら)にせよ。
これこれ勉めよや、と。
禹(う)拝稽首(はいけいしゅ)し、
稷(しょく)・契(せつ)と皐陶(こうよう)とに譲る。
舜曰く、然り、往(ゆ)けよ、と。
舜曰く、弃(き)、黎民(れいみん)はじめて飢(う)う、
なんじ稷(しょく)に后(きみ)となり、
ときに百穀(ひゃくこく)を播(ま)け、と。
舜曰く、契(せつ)、百姓親(したし)まず。
五品馴(したが)わず。
なんじ司徒(しと)となりて、
敬(つつし)みて五教を敷(し)き、寛(かん)にあれ、と。
舜曰く、皐陶(こうよう)、蛮夷(ばんい)、夏を猾(みだ)り、
寇賊(こうぞく)姦軌(かんき)あり。
なんじ士となり、五刑は服あり、五服は三就(さんしゅう)し、
五流は度(たく)あり、五度(ごたく)は三居し、
これ明らかによく信なれ。
舜曰く、たれかよく予(よ)が工(こう)に馴(したが)わん、と。
みな曰く、垂(すい)可(か)なり、と。
ここにおいて垂をもって共工(きょうこう)となす。
舜曰く、
たれかよく予が上下(しょうか)の草木鳥獣に馴(したが)わん、と、
みな曰く、益(えき)可なり、と。
ここにおいて益をもって朕(わが)虞ぐとなす。
益、拝稽首(けいしゅ)し、諸臣(しょしん)、
朱虎(しゅこ)・熊羆(ゆうひ)に譲(ゆ)ずる。
舜曰く、往(ゆ)け、なんじ諧(やわら)げよ、と。
ついに朱虎・熊羆をもって佐(さ)となす。
舜曰く、嗟(ああ)、
四岳、よく朕(わが)三礼を典(つかさど)るものあらんか、と。
みな曰く、伯夷(はくい)可なり、と。
舜曰く、嗟ああ、伯夷、なんじをもって秩宗(ちつそう)となす。
夙夜(しゅくや)これ敬(つつし)み、直(な)れや。
これ静絜(せいけつ)なれ、と。
伯夷、夔(き)・龍(りょう)に譲る。
舜曰く、然り、と。
夔(き)をもって典楽となし、稚子(ちし)を教えしむ。
直(ちょく)にしてしかも温、寛にしてしかも栗(りつ)、
剛にしてしかも虐(ぎゃく)するなく、
簡にしてしかも傲(おご)るなかれ。
詩は意をいい、歌は言(げん)を長くし、
声は永(ながき)により、律は声を和わす。
八音はちいんよく諧やわらぎ、倫りんをあい奪うことなくんば、
神人(しんじん)もって和せん、と。
夔(き)曰く、於(ああ)、予われ、石せきを撃ち石を拊うてば、
百獣率ひきいて舞まわん、と。
舜曰く、龍(りょう)、
朕(われ)讒説(ざんせつ)の偽(い)を殄(た)ち、
朕(わが)衆を振驚(しんけい)するを畏忌(いき)す。
なんじに命じて納言(のうげん)となす。
夙夜(しゅくや)朕(わが)命を出入して、これ信なれ、と。
舜曰く、嗟(ああ)、なんじ二十有二人、敬(つつし)めよや、
これ時これ天事を相たすけよ、と。
三歳に一たび功を考え、三考して絀陟(ちゅつちょく)す。
遠近の衆功みな興(お)こる。
三苗(さんびょう)を分北(ぶんばい)す。
舜帝⑧
此二十二人咸成厥功。皋陶爲大理平、民各伏得其實。
伯夷主禮、上下咸讓。垂主工師、百工致功。
益主虞、山澤辟。弃主稷、百穀時茂。契主司徒、百姓親和。
龍主賓客、遠人至。十二牧行而九州莫敢辟違。唯禹之功爲大。
披九山、通九澤、決九河、定九州。各以其職來貢、不失厥宜。
方五千里、至于荒服、南撫交阯、北發、西戎、析枝、渠廋、氐羌、
北山戎、發、息慎、東長、鳥夷、四海之内咸戴帝舜之功。
於是禹乃興九招之樂、致異物、鳳皇來翔。天下明徳、皆自虞帝始。
この二十二人、みなその功をなす。
皐陶(こうよう)、大理(たいり)となり平(たいら)かに、
民おのおの伏してその実(じつ)を得(う)。
伯夷(はくい)、礼を主(つかさど)り、
上下(しょうか)みな譲(ゆ)ずる。
垂(すい)、工師を主(つかさど)り、百工(ひゃくこう)功を致す。
益、虞(ぐ)を主(つかさど)り、山沢辟(ひら)く。
弃(き)、稷(しょく)を主(つかさど)り、
百穀(ひゃくこく)ときに茂る。契(せつ)、
司徒を主(つかさど)り、百姓(ひゃくせい)親和す。
龍(りょう)、賓客(ひんかく)主(つかさど)り、
遠人(えんじん)至る。
十二牧(じゅうにぼく)行きて、九州あえて辟違ひいするものなし。
ただ禹(う)の功を大なりとなす。
九山を披(ひら)き、九沢(きゅうたく)を通じ、
九河(きゅうか)を決し、九州を定む。
おのおのその職をもって来貢(らいこう)し、
その宜(よろし)きを失わず。
方(ほう)五千里、荒服に至るまで、
南は交阯(こうし)・北発(ほくはつ)、西は戎(じゅう)・
析枝(せっし)・渠廋(きょしゅう)・ 氐羌(ていきょう)、
北は山戎(さんじゅう)・発(はつ)・息慎(そくしん)、
東は長(ちょう)・鳥夷(ちょうい)を撫(ぶ)し、
四海のうち、みな帝(てい)舜の功を戴いただく。
ここにおいて禹(う)すなわち
九招(きゅうしょう)の楽(がく)を興(おこ)し、
異物を致し、鳳皇(ほうおう)来たり翔かける。
天下徳を明らかにする、みな虞帝(ぐてい)より始まる。
舜帝⑨
舜年二十以孝聞、年三十堯舉之、年五十攝行天子事。
年五十八堯崩、年六十一代堯踐帝位。
踐帝位三十九年、南巡狩、崩於蒼梧之野。葬於江南九疑。
是爲零陵。舜之踐帝位、載天子旗、往朝父瞽叟。
夔夔唯謹、如子道。封弟象爲諸侯。舜子商均亦不肖。
舜乃豫薦禹於天。十七年而崩。
三年喪畢、禹亦乃讓舜子、如舜讓堯子。諸侯歸之。然後禹踐天子位。
堯子丹朱、舜子商均、皆有彊土、以奉先祀。
服其服、禮樂如之、以客見天子。天子弗臣、示不敢專也。
舜、年とし二十にして孝をもって聞え、
年三十にして堯これを挙(あげ)、
年五十にして天子の事(こと)を摂行(せっこう)す。
年五十八にして堯崩(ほう)ず。
年六十一にして堯に代りて帝位を践(ふ)む。
帝位を践(ふ)むこと三十九年、南に巡狩(じゅんしゅ)し、
蒼梧(そうご)の野(や)に崩(ほう)ず。
江南の九疑(きゅうぎ)に葬(ほうむ)る。
これを零陵(れいりょう)となす。
舜、帝位を践(ふ)むや、
天子の旗を載(の)せ、往(ゆ)きて
父瞽叟(こそう)に朝(ちょう)す。
夔夔(きき)としてただ謹み、子(こ)の道のごとくす。
弟の象(しょう)を封(ほう)じて諸侯となす。
舜の子商均(しょうきん)もまた不肖(ふしょう)なり。
舜すなわち豫(あらかじめ)禹(う)を天に薦(すす)む。
十七年にして崩(ほう)ず。
三年の喪も畢(おわ)り、
禹(う)もまたすなわち舜の子に譲(ゆ)ずること、
舜の堯の子に譲(ゆず)れるがごとくす。
諸侯これに帰す。
しかるのち禹(う)天子の位を践(ふ)む。
堯の子丹朱(たんしゅ)、舜の子商均(しょうきん)、
みな彊土(きょうど)を有(たも)ち、
もって先祀(せんし)を奉(ほう)ず。
その服を服し、礼楽(れいがく)かくのごとくし、
客(かく)をもって天子に見(まみ)ゆ。
天子、臣とせざるは、
あえて専もっぱらにせざるを示(しめす)なり。
舜帝⑩
自黄帝至舜、禹、皆同姓。而異其國號、以章明徳。
故黄帝爲有熊、帝顓頊爲高陽、帝嚳爲高辛、
帝堯爲陶唐、帝舜爲有虞、帝禹爲夏后。而別氏、姓姒氏。
契爲商、姓子氏。弃爲周、姓姫氏。
黄帝より舜・禹(う)に至るまで、みな同姓なり。
しこうしてその国号を異(こと)にし、
もって明徳を章(あきらか)にす。
ゆえに黄帝を有熊(ゆうゆう)となし、
帝(てい)顓頊(せんぎょく)を高陽となし、
帝(てい)嚳(こく)を高辛となし、
帝堯を陶唐(とうとう)となし、帝舜を有虞(ゆうぐ)となし、
帝禹(う)を夏后(かこう)となす。
しこうして氏(し)を別って、姓は姒氏(じし)。
契(せつ)を商となす、姓は子氏(しし)。
弃(き)を周となす、姓は姫氏(きし)。
太史公曰、學者多稱五帝尚矣。然尚書獨載堯以來。
而百家言黄帝、其文不雅馴。薦紳先生難言之。
孔子所傳宰予問五帝徳及帝繫姓、儒者或不傳。
余嘗西至空桐、北過涿鹿、東漸於海、南浮江淮矣。
至長老皆各往往稱黄帝、堯、舜之處、風教固殊焉。
總之、不離古文者近是。
予觀春秋、國語、其發明五帝徳、帝繫姓章矣。顧弟弗深考。
其所表見皆不虚。書缺有閒矣。其軼乃時時見於他説。
非好學深思、心知其意、固難爲淺見寡聞道也。
余并論次、擇其言尤雅者、故著爲本紀書首。
太史公(たいしこう)曰く、
学者多く五帝を称(しょう)すること尚(ひさし)。
しかるに尚書はひとり堯以来を載のするのみ。
しこうして百家の黄帝を言うもの、その文雅馴がじゅんならず。
薦紳(しんしん)・先生これを言うを難(はばか)る。
孔子の伝うるところの宰予問(さいよもん)五帝徳(ごていとく)、
および帝繫姓(ていけいせい)は、儒者あるいは伝えず。
余(われ)かつて西のかた空桐(くうとう)に至り、
北のかた涿鹿(たくろく)を過ぎ、
東のかた海に漸(いた)り、
南のかた江淮(こうわい)に浮(う)かぶ。
長老みなおのおの往往(おうおう)黄帝・堯・舜を
称するのところに至るに、
風教(ふうきょう)固(まこと)に殊(こと)なり。
これを総(すぶ)るに、古文を離れざる者是ぜなるに近し。
予(われ)、春秋・国語を観るに、
その五帝徳(ごていとく)・帝繫姓(ていけいせい)を
発明すること章(あきらか)なり。
顧(おもう)に弟ただ深く考えざるのみ。
その表見(ひょうけん)するところ、
みな虚(きょ)ならず。書缺(かけ)て間(かん)あり。
その軼(いつ)せるはすなわち時時(じじ)他説に見(み)ゆ。
学を好み思おもいを深くし、心にその意を知るものにあらずんば、
固(まこと)に浅見(せんけん)・寡聞(かぶん)のために
道いいがたきなり。
余(われ)、并(あわせ)て論次(ろんじ)し、
その言のもっとも雅(が)なる者を択(えら)び、
故(ことさら)に著わして本紀の書の首(はじめ)となす。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
0 件のコメント:
コメントを投稿