2014年9月2日火曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(11)手焙り土器の正体

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 銅鐸の古代呼称が判明した(11)手焙り土器の正体

 インド系の信仰が、

 どういう事情で縄文時代以後、

 日本に入り続けてきたかがわかってみると、

 『日本人のルーツ』29ページでみた

 「手焙り土器」の写真が強い印象をもちはじめる。

 その土器は日本とフィリピンに分布し、インドに達するが、

 インドでは現在でもまだ生きて使われているからである。

 考古学者がつけた

 「手焙り」という名は形が手焙りという現代の道具に似ているためで、

 正しい用途は全く不明であった。

 ところがインドの同型の土器は、

 それが金属加工用の風炉(ふうろ)であることを、

 生きた多くの実例で教えてくれたのである。

 なぜインドには弥生時代の技術がそのまま生きていたのだろう。

 インドにはまだカーストと呼ばれる身分世襲制の、

 名残があるため、父から息子へと同じ職業がうけつがれている。

 だから需要がある限りその仕事は、

 昔のままの形で永続しているのである。

 インドは生きた古代の宝庫なのだ。

 カレン人は手焙り土器は作らないし、

 それを使う金属細工もしない。

 弥生時代のこの土器は、

 やはりインドのカーストに属した技術者が、

 父祖伝来の秘伝の技術で金属加工をした際に使ったもの、

 とみる以外に考えようがない。

 これまで日本でこの土器が出土したのは銅鐸分布地域の中だけである。

 銅鐸を作るには鋳造用の道具がいり、

 装身具用に使われている風炉は役に立たない。

 が、どちらも金属加工であり、

 インドには今も原始的なドクラ青銅器の鋳造者などがいる。

 手焙り土器は銅鐸の謎とも無関係ではない。

 手焙り土器

 ※出典:加治木義博『日本人のルーツ』136頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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