2014年9月11日木曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(28)銅鐸は多目的の仏教用具&稲作教科書

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 古代史ブログ講座

 銅鐸の古代呼称が判明した(28)銅鐸は多目的の仏教用具&稲作教科書

 弥生時代の銅剣型祭器の分布はその後、

 四国西端から瀬戸内沿岸、中国地方へと広がって、

 中国以東の銅鐸分布圏とぶつかり次第に重なって行く。

 大学抗議録21の28頁で少しお話ししたが

 銅鐸も弥生時代の画期的な祭器で、

 ギリシャ教とは別の宗教が、

 やはり「冥界=銅」という思想を受け継いでいたものとみる必要がある。

 すると当時そんなことが可能だった存在は、

 インドでギリシャ文化に洗礼された

 仏教宣布団のウッタラ長老達しかなく、

 どう視点を変えても銅鐸は彼等が考案した仏教用具、

 「初期の釣鐘(つりがね)」だったとみる以外ない。

 銅鐸の絵画を分析すると

 「トカゲ、蛙、トンボ、カマキリ、クモは稲の害虫を食う益虫で、

  ヘビ、魚はそれを食う敵、

  サギや鶴は魚を食べる益鳥、

  鹿や猪は稲を荒らす敵、

  敵は生物であっても道具で補え、

  犬や弓矢で退治て食べてもいい。

  稲は高倉に蓄えて、臼と杵で搗(つ)いて食べる。

  こうした文明は私たちが敵と戦いながら、

  船で苦労して運んできたものだ」と解け、

 すでに明かになった歴史と、

 インドと周辺諸国での仏教用具発達史とを総合して考えると、

 最終的結論は、

 ギリシャ信仰から仏教へ人々の信仰を変えさせた流れに合わせて、
 
 ウッタラ達が工夫した

 「読経祈祷用の伴奏楽器」

 兼

 「水稲稲作教育用具=生物連鎖の重要牲を教える輪廻転生、殺生戒教育用具」

 兼

 「音響通信器具」だったというのが最も正しい結論だ。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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