古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(39)銅鐸のウッタラは位宮の祖父。平良が寺の語源
居世神はイセ神で伊勢神、沖縄発音だイシ神で石神・石上、
これに根をつけると大隈語でイスケンダラス=アレクサンドロス
(阿爾鉏高日子根(アレクサンダラス))大王の別名になる。
このダラスには垂水(ダラス)も当て字として有効だし、
垂仁(ダラジの)天皇という
漢風諡号(おくりな)にも関連が見えてくる。
南九州に鶴田とか水流(ツル)のつく地名や姓が多く、
鳥のツルの名がそれから生まれたのも、
やはり歴山大王のツルカルニン
(ソナカの別名ツヌガアラシトの語源)のせいだとお話しした。
垂水の南にある大根占もウッタラシメ=ウッタラ姫と読める。
これを壹與とみるとウッタラは位宮。
すると彼の名乗りの伊久米が「久米=水稲」で、
祖父の名が宮、位宮の位とは宮に似るという意味だと
『魏書高句麗章』にあった。
伊=位、久=宮たから銅鐸人のウッタラは祖父の宮だったのである。
久米=クマと読めば久米島のはかに鳩間(ハトま)島がある。
中国仏教の『三論宗』の始祖は遺産壷・汁。
鳩間はクマなのに、ハトマと読むのは、
「地名には好字をっけよ」という和銅官命が、
沖縄まで支配していた証拠である。
だが1つだけ変えてもダメで
狗国(クマ)、高天(クマ)、球磨(クマ)、熊本と
次第に拡大分布した地名には勝てない。
さらに高麗に発展して半島全域を傘下に収めた。
だがコマは小国(コマ)。
大国(ウマ)は馬=大島→種子島=百済のほうだった。
宮の都は宮古島。
首都は平良(ひらら)市。
平良(てら)は南九州語ではテラ=寺。
最も重要な仏教地名だ。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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