古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(45)ウッタラ仏教国だった証拠が充満する出雲
サカは釋迦族=塞族を意味し、
張政の国名・塞曹掾史もまた塞族係官を意味していた。
今それに新たに蘇我が加わったのである。
すると西端に出雲大社のある島根半島の東端にある
境港(さかいみなと)が
重要なサカイであることが決定的になる。
そこから中の海に入れば目の前に「大根(だいこん)島」がある。
それが大=ウッ・根=タラシ=「ウッタラ之(シ)」島だとわかると、
この県がなぜ「島根」という名を持っているのかもわかるし、
そこでいま市制が敷かれている大田(おおだ)市もまた
大=ウッ・田=タ・国=ラ=「ウッタラ」の名残だということもわかる。
この大田(おおだ)はそのまま「田=ダ=国(ラ)」だから「大国」、
その主は「大国主」の尊だということになる。
出雲の大国主は、
卑弥呼の伝承が伝わった八俣大蛇退治と関連したもののほかに、
5世紀や7世紀の大国(オオくに)主や、
紀元前の大国主(ウッタラ)だった可能性があるとはっきり見えてきた。
こうみてくると出雲には『記・紀』の「出雲神話」や、
『風土記』ていどのものではなく、
それだけでは解けない歴史が隠れていたとわかる。
それが今、ウッタラと銅鐸に関わる弥生文明に始まることまで解明できた。
少なくとも「なぜ出雲に銅鐸が…?」ではなく、
「出雲だから銅鐸があるのは当然だ」というところまでわかった。
我が国の『建国史』解明は、これでまた一大飛躍を遂げ、
出雲と『出雲神話』は全く新しい研究対象になったのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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