2013年10月18日金曜日

ミシャグチとソソウ神-1


 『武蔵一宮:氷川神社』

 Wikipedia:氷川神社

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 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

  出典:「諏訪信仰の発生と展開」130頁~141頁
     古部族研究会・永井出版企画
     「穴巣始と外来霊」

 『竪穴斎屋の原始性霊』

 ミシャグチとソソウ神-1

  複雑多岐にわたり混合して渦巻く神事を古層と新層に峻別し、

 その背景に政治的・社会的動向を見ようとする宮地氏のヴィジョンは的確である。

 ここから最古層として抽出された神原における冬季の御室神事と、

 四ヶ度の御狩神神事の実況に立ち入り、この神事全体の意味をたずねたい。

  私達が公開の『諏訪大明神画詞』(1356)から

 御室祭祀に近づくこうとする。

 すると「御體三所を入奉る其儀式おそれにあるによりて是を委くせず」とか、

 「誦文あり外人に聞かしめず」と強力な拒絶に合う。

 中世においても未だ秘密祭儀であることを示している。

 神長が祭儀の内容次第に関して詳しく覚書風に記していた非公開の

 神事ノートである『年内神事次第旧記』(室町初期)を援用しながら、

 秘儀の内容に近づいて行かねばならない。

  御室(みむろ)は、神原の一画、内御魂殿と前宮の間に

 冬十二月二十二日建てられる竪穴斎屋である。

 『画詞』は言う、

 「同日、御室に入る。大穴を掘りてその内に柱をたて、

  棟を高め、萱を葺きて、軒のタル木土をささえたり」と。

 萱で葺いた竪穴斎屋である。

 『旧記』は御室の建築用材を負担する郷役の事を記して言う。

 「一、むな木・上下桑原、栗林両條、

  一、東の柱・武井條、上桑原、

  一、北柱・下桑原、

  一、西柱・武井條、

  一、南柱・栗林両條、金子、

  一、北けた・上下桑原、

  一、西のけた(南のけたの間違いである)栗林、武井條、

  一、西のはり・武井條、下桑原、

  一、東のはり・くりばやし、上桑原、上原、金子」

 この建築用材から、御室の構造は理解出来る。

 しかし、高さ、広さ、深さなどは依然として判らない。

 宮地直一氏は、諏訪地方にいまだ残っている土室の例をあげた。

 昭和五年一月、

 玉川村神之原の原田清治氏の邸の前庭に

 設けられた土室を例に挙げて御室の参照にしている。

 これは十二月から来春四月に至る冬季用の藁仕事をする室である。

 それは間口二間、奥行三間の空間で、

 地表より垂直に三尺二寸位掘り下げた土室、その上に南を正面にして、

 切妻々入型の屋根で覆い、妻の一方に障子を立てて出入と採光に用いている。

 棟は北に向かうに従って低くなる。

 先端は葺卸で、全体を藁で葺いている。

 棟から床までが六尺位、床は土間の上に藁を敷わたしている。

  御室の構造を考え上で多くの参考になるものである、

 しかし、神事用の御室ととはまず広さの点でも大いに異なるようである。

 『旧記』は<村代神主の御室へまいらす節料>という項目で、

 竪穴の土間に敷かれる萱畳について述べている。

 それによれば、

 千野、吉田、矢崎、栗林、上原、下桑原、真志野の神主達が、
 
 それぞれ萱畳三條ずつ調達する。

 それに加えて、ひくさ湛の神主、とちの木湛神主、御作田神主が、

 萱畳一條ずつを調達」している、

 これを加えると二十四條になるから、

 最低限この土室の広さは十二坪あることになる。

 大室である。

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