2013年10月8日火曜日

瀧祭神社


 『伊勢神宮』
 遷宮
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 『神宮典略二 内宮宮社下 摂社』瀧祭神社

 此瀧祭は実に神社なけれど、儀式帳に挙たるによれり。

 同書に、瀧祭神社(在太神宮西川辺、無御殿)とあり。

 式に瀧祭の事見えざるは、朝廷より幣帛を奉納らるゝ定格なき故なるべし。

 (此書は朝廷朝廷の式のみを挙て神宮の事に預からぬ故なり。)
 
 かくて此瀧祭てふ地は、帳に西川辺とあるは、職掌(御巫女内人)の條に、

 種々罪事祓、即西川原仁互、禰宜内人物忌等、皆悉召集、

 而此従宮西方川相此川原仁各奴佐麻令持云々、

 とある地をさしいへるなるべし。

 古行事記に(建久を云、)六月晦祓の條に、先一鳥居前河端岸上、

 以南為上西向列居例所、瀧祭西淵端日ノ陰ルヲ相待テ、とあるを思ふに、

 川合淵の北今の世の瀧祭拝所の西に古は淵ありて、そを瀧祭の淵といひしなり。

 帳に西川辺といふにあへる地なれば此処ならんか。

 (弘安九年参詣記に、瀧祭とは申は一の鳥居のむかひに木むらあり。

  是は御殿もなくして、大地の底にをはしますよし申し伝たり。

  今此拝所は祓所の東南川の西涯にあるを、

  中古までは東の川原に森ありて其処に祭りしなるべし。

  後に洪水などによりて今の地に祭りしか、

  されば古跡は今川中となりしにこそ。)

  されば今云畠町の東にある淵を瀧祭淵といふは古名を伝へしのみにて、

  実は此淵にはあらじ。

  解に、今の瀧祭の拝所は川合淵の少し北川の東ノ涯なり。

  その神は川合淵より今の畠町の南、瀧祭の淵までの間にますなるべし、

  といへるは委しからず。

  すべて拝所は其神の在所をさして拝する例なれば、

  大むね方に違ふ事なきものなり。

  (今いふ瀧祭淵といふは大宮の西方北方に当りて西の川辺にあらず)

 -以下略-


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