2013年10月5日土曜日

倭姫命世記:倭姫命


 『伊勢神宮』
 遷宮
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 『倭姫命世記:倭姫命』

 五十八年[辛巳]、

 倭弥和乃御室嶺上宮(美和之御諸宮)に遷り、二年間奉斎。

 この時、豊鋤入姫命は、

 「吾、日足りぬ」といひ、姪の倭比売命に事を預け、御杖代と定めた。

 これより倭姫命が、天照大神を奉戴して行幸した

 〔相殿神は天児屋命 太玉命。
  
  御戸開闢神は天手力男神 拷幡姫命。

  御門神は 豊石窓 櫛石窓命。

  並びに五部伴神、相副って仕へ奉る〕。

 六十年[癸未]、

 大和国宇多秋宮(宇太阿貴宮)に遷り、四年間奉斎。

 この時、倭国造は、采女 香刀比売、地口・御田を進った。

 大神が倭姫命の夢に現はれ

 「高天の原に坐して吾が見し国に、吾を坐せ奉れ」と諭し教へた。

 倭姫命はここより東に向って乞ひ、

 うけひして言ふに、

 「我が心ざして往く処、吉きこと有れば、未嫁夫童女に相(逢)へ」と

 祈祷して幸行した。

 すると佐々波多が門(菟田筏幡)に、童女が現はれ参上したので、

 「汝は誰そ」と問ふと、

 「やつかれは天見通命の孫、八佐加支刀部〔一名は伊己呂比命〕が児、

 宇太乃大称奈」と申上げた。

 また「御共に従ひて仕へ奉らむや」と問へば「仕へ奉らむ」と申上げた。

 そして御共に従って仕へ奉る童女を大物忌と定めて、

 天の磐戸の鑰を領け賜はって、

 黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、

 左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、

 左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、

 太神に仕へ奉った。

 元を元とし、本を本にする所縁である。

 また弟大荒命も同じく仕へ奉った。

 宇多秋宮より幸行して、佐々波多宮に坐した。

 六十四年[丁亥]、

 伊賀国隠市守宮に遷幸した。

 二年間奉斎

 〔伊賀国は、天武天皇の庚辰歳七月に伊勢国の四郡を割いて彼国を立てた〕。

 六十六年[己丑]、

 同国の穴穂宮に遷り、四年間奉斎。

 伊賀国造は、箆山葛山戸、並びに地口・御田を進った。

 鮎(細鱗魚)取る淵・梁作る瀬など、

 朝御饌・夕御饌を供へ進った。


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