2013年10月8日火曜日

風土記:伊勢國・伊勢國號 


 『伊勢神宮』
 遷宮
 『Google画像検索:伊勢神宮』
 『Yahoo画像検索:伊勢神宮』


 伊勢國

 伊勢國號 (萬葉集註釋 卷第一)

 伊勢の國の風土記に云はく、夫れ伊勢の國は、

 天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の十二世(とをまりふたつぎ)の孫、

 天日別命(あめのひわけのみこと)の平治(ことむ)けし所なり。

 天日別命は、神倭磐餘彦の天皇(神武天皇)、彼の西の宮より此の東の州(くに)を征ちたまひし時、

 天皇に隨ひて紀伊の國の熊野の村に到りき。

 時に、金(こがね)の烏の導きの隨(まにま)に中州(なかつくに)に入りて、菟田の下縣に到りき。

 天皇、大部(おほとも)の日臣命に勅りたまひしく、

 「逆ふる黨(ともがら)、膽駒(いこま)の長髓(ながすね)を早く征ち罰(きた)めよ」とのりたまひ、

 且(また)、天日別命に勅りたまひしく、

 「天津の方に國あり。其の國を平(ことむ)けよ」とのりたまひて、即ち標の劔を賜ひき。

 天日別命、勅を奉りて東に入ること數百里(いくももさと)なりき。

 其の邑に神あり、名を伊勢津彦と曰へり。

 天日別命、問ひけらく、

 「汝(いまし)の國を天孫(あめみま)に獻らむや」といへば、答へけらく、

 「吾、此の國を覔ぎて居住(す)むこと日久し。命を聞き敢へじ」とまをしき。

 天日別命、兵を發(おこ)して其の神を戮(ころ)さむとしき。

 時に、畏み伏して啓(まを)しけらく、

 「吾が國は悉に天孫に獻らむ。吾は敢へて居らじ」とまをしき。天日別命、問ひけらく、

 「汝の去らむ時は、何を以ちてか驗と為さむ」といへば、啓しけらく、

 「吾は今夜(こよひ)を以ちて、八風(やかぜ)を起して海水(うしほ)を吹き、

 波浪(なみ)に乘りて東に入らむ。此は則(すなは)ち吾が却る由なり」とまをしき。

 天日別命、兵を整へて窺ふに、中夜(よなか)に及る比、

 大風四もに起りて波瀾(なみ)を扇擧(うちあ)げ、

 光(てり)耀きて日の如く、陸(くが)も海も共に朗かに、遂に波に乘りて東にゆきき。

 古語(ふること)に、神風の伊勢の國、常世の浪寄する國と云へるは、蓋しくは此れ、

 これを謂ふなり。(伊勢津彦の神は、近く信濃の國に住ましむ。)天日別命、

 此の國を懷(なづ)け柔(やは)して、天皇に復命(かへりごと)まをしき。

 天皇、大く歡びて、詔りたまひしく、

 「國は宜しく國神(くにつかみ)の名を取りて、伊勢と號せよ」とのりたまひて、

 即(やが)て、天日別命の封地(よさしどころ)の國と為し、

 宅地(いへどころ)を大倭の耳梨(みみなし)の村に賜ひき。

 (或る本に曰はく、天日別命、詔を奉りて、熊野の村より直に伊勢の國に入り、

 荒ぶる神を殺戮し、遵(まつろ)はぬものを罰(きた)し平げて、

 山川を堺ひ、地邑(くにむら)を定め、然して後、橿原の宮に復命まをしき。)

 (今井似閑採択)

 《萬葉集註釋

 「萬葉集註釋

 《「風土記逸文」伊勢國

 「「風土記逸文」伊勢國

 
 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント:

コメントを投稿