2013年10月7日月曜日

倭姫命世記:五百野皇女、日本武尊


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 『倭姫命世記:五百野皇女、日本武尊』

 大足彦忍代別天皇の二十年[庚寅]、

 倭姫命、

 「歳既に老いぬ、仕ふること能はず、吾足りぬ」と宣ひて、

 斎内親王に仕奉るべき物部八十氏の人々を定め給ひて、

 十二司寮官等をば五百野皇女久須姫命に移し奉る。

 即ち春二月[辛巳]朔[甲申]、

 五百野皇女を遣して、御杖代とて、多気宮を造り奉りて、

 斎ひ慎しみ侍らしめ給ひき。

 伊勢斎宮群行の始、是なり。

 ここに倭姫命、宇治の機殿の礒宮に坐し給へり。

 日神を祀奉ること倦きことなし。

 二十八年[戊戌]春二月、

 暴神多に起りて、東国安からず。

 冬十月[壬子]朔[癸丑]、

 日本武尊路を発ち、戊午、枉道して、伊勢神宮を拝み、

 仍ち倭姫命に辞りて曰さく、

 「今天皇の命を被りて、東に征き謀叛者を誅さむとす。故、辞る」と。

 是に倭姫命、草薙の剱を取りて日本武尊に授けて宣はく、

 「慎め、莫怠りそ」と。

 是の歳、

 日本武尊、初めて駿河に至り野中に入りて、野火の愁に遭ふ。

 王の佩かせる剱叢雲、自ら抽けて王の傍草を薙ぎ攘ふ。

 是に因り免れること得。

 故、其の剱を号けて草薙と曰ふなり。

 日本武尊、既に東虜を平らげ、尾張国に還り至りて、

 宮簀媛を納れ、淹く留りて月を踰え、剱を解きて宅に置く。

 徒行に胆吹山に登り、毒に中りて薨りぬ。

 其の草薙の剱は今 尾張国熱田社に在るなり。


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