2013年10月6日日曜日

倭姫命世記:飯野の高宮


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 遷宮
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 『倭姫命世記:飯野の高宮』

 二十二年[癸丑]、

 飯野の高宮に遷り、四年間奉斎。

 この時、飯高県造の祖の乙加豆知命に「汝が国の名は何そ」と問ふと、

 「いすひ 飯高国」と申上げて、神田・神戸を進った。

 倭姫命は「飯高しと白すこと貴し」と悦ばれた。

 次に、佐奈(佐那)県造の祖の弥志呂宿祢命に、「汝が国の名は何そ」と問ふと、

 「こもりく 志多備の国、まくさむ 毛佐向国(草向ふ国)」と申上げて、

 神田・神戸を進った。

 また大若子命に「汝が国の名は何そ」と問ふと、

 「百張蘇我の国、五百枝刺竹田の国」と申上げた。

 その処に(倭姫の)御櫛が落ちたので、

 その地を櫛田と名づけ、櫛田社を定められた。

 ここから御船に乗って幸行し、河後の江に到ると、

 魚が自然と寄り集って、御船に参ゐ乗った。

 倭姫命は、それを見て悦ばれ、魚見社を定められた。

 さらに幸行すると、御饗を奉れる神が現はれ参上したので、

 「汝が国の名は何そ」と問ふと、「白浜 真名胡国」と申上げた。

 その所に兵名胡神社を定められた。

 また乙若子命は、麻神・草霊等を倭姫命に進って、祓へとした。

 陪従の人に及ぶまで弓剱を留めて、兵と共に飯野高丘に入り座して、

 遂に五十鈴宮に向ふを得た。

 爾来、天皇の太子、斎宮、駅使・国司人等に至るまで、

 川辺で祓へをし、鈴声を止む。

 その儀の所縁である。

 さらに幸行して、佐々牟江に御船を泊め、
 
 そこに佐々牟江宮を造って遷座し、

 大若子命は「白鳥の真野国」と国寿き申上げた。

 そこに佐々牟江社を定められた。

 そこから幸行する間に、風浪は無く、

 海潮は大淀に淀んで御船が幸行できたので、

 倭姫命は、悦ばれて、その浜に大与度社を定められた。

 〔天照太神、倭姫命に教へてのたまふに

 「これ、神風の伊勢国は、即ち常世の浪の重浪かえす国なり、

  傍国の可怜国なり、この国に居らむと欲ふ」と。

  太神の教への随に、宮祠を伊勢国に立て、斎宮を五十鈴川上に興された。

  これを礒宮といふ。天照太神の始めて天より降りし処なり〕。

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