2013年10月5日土曜日

倭姫命世記:阿佐加藤方片樋宮


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 『倭姫命世記:阿佐加藤方片樋宮』

 十八年[己酉]、

 阿佐加の藤方片樋宮に遷坐し、四年間奉斎。

 この時、阿佐加の嶺に坐していつ速ふる神は、

 百人往く人を五十人取り殺し、

 四十人往く人を二十人取り殺した。

 かく、いつ速ふる時に、

 倭比売命は、朝廷に大若子を進上して、その神の事を奏上すると、

 (天皇は)

 「種々の大手津物を彼の神に進り、柔はししづめ平げ奉れ」と詔して、

 遣はし下された。

 そこで、阿佐加の山嶺に社を作り定めて、

 その神を柔はししづめ上げ奉り、労ぎ祀った。

 神は「うれし」と詔ったので、そこを名づけて「宇礼志」といふ。

 その地を渡り坐す時に、

 阿佐加の加多なる多気連等の祖、宇加乃日子の子、吉志比女、

 次に吉彦の二人が現はれ参上したので、

 「汝らがあさる物は何そ」と問へば、

 「皇太神の御贄のはやし奉り上げむと、

 きさ(赤貝)をあさる」と申上げた。

 「白すこと恐し」と詔して、そのきさを太神の御贄に進らせて、

 佐々牟の木枝を割き取りて、生燧きに うけ燧きらせると、

 その火燧り出でて、采女忍比売が作った天の平瓮八十枚を、

 伊波比戸に仕へ奉った。

 吉志比女は、地口・御田・麻園を進った。

 一書に曰く、

 天照太神、美濃国より廻り、安濃藤方片樋宮に到りて座す。

 時に安佐賀山に荒神有り、

 百往く人は五十人亡し、四十往ひ人は二十人亡す。

 茲に因り、倭姫命、

 度会郡宇遅村五十鈴川上の宮に入坐さず、藤方片樋宮に奉斎す。

 時に安佐賀荒悪神の為行を、

 倭姫命は、

 中臣大鹿嶋命・伊勢大若子命・忌部玉櫛命を遣して天皇に奏聞し、天皇詔す。

 「其の国は、大若子命の先祖天日別命の平げし山なり。

  大若子命、其の神を祭り平げ、倭姫命を五十鈴宮に入り奉らしめよ。

  即ち種々の幣を賜ひて大若子命を返遣して其の神を祭らしむ。

  已に保く平げ、即ち社を安佐駕に定め、以ちて祭る。

  而後、倭姫命即ち入坐すこと得。

  但し其の渡物は敢へて返取らず。」


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