2013年10月5日土曜日
倭姫命世記要約
『伊勢神宮』
遷宮
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『倭姫命世記要約』
『倭姫命世紀』では、
伊勢神宮には祓戸大神の三神が祀られていると記している。
瀬織津姫尊………伊勢神宮内宮・荒祭官(天照大神の荒魂として祭る)
速秋津姫尊………伊勢神宮内宮・滝沢宮並宮
気吹戸主尊………伊勢神宮外宮・多賀宮(豊受大神の荒魂として祭る)
荒祭宮一座〔皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり〕
一名、瀬織津比咩神、是也、御形は鏡に座す。
天照の荒御魂で伊邪那岐が生んだ神、名は八十禍津日神。
一名に瀬織津比咩神という。
御形は鏡に鎮座しておられる。
『倭姫命世記』とは、
崇神天皇に宮中から出されたの天照御霊代が各地を変遷し、
伊勢神宮に奉祀されるまでの遍歴を記したもの。
『倭姫命世記』によれば、
伊勢神宮に定着するまでに27ヶ所も変遷しているが、
そのうち12ヶ所が伊勢国内を転々としており、
『伊勢国風土記』を読むと、
変遷の実体は各地を平定した順路ではないかと想像できる。
『伊勢国風土記』
伊勢には伊勢津彦という地主神がいたが、神武天皇の配下が来て、
伊勢の国を献上しろと迫った。
伊勢津彦は「この国は私が長年統治してきたのだ」と拒否したので、
武天皇の配下は兵を率いて伊勢津彦を殺そうとした。
伊勢津彦は
「この国を献上します。
私は大風を起し、その海の荒波に乗って東国へ行きます」と降伏した。
この後、伊勢津彦は逃れて信濃の国に行ったと伝える。
この国を平定したことを武天皇に報告すると、
武天皇は喜んで、
「国名は元の神の名を取って、伊勢と言うがよい」と言った。
この物語が、既述した有鹿社と鈴鹿明神の伝承に関連すると思われる。
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