2014年2月28日金曜日

建内宿禰・若子宿禰及び高麗神社(10)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦 

 建内宿禰・若子宿禰及び高麗神社(10)

 16.相武國造〔先代旧事本紀「國造本紀」〕と伊勢都彦命

    志賀高穴穂朝、武刺國造祖神伊勢都彦命・三世孫弟武彦命定賜國造

  相武國造神社:(現)神奈川県平塚市万田

  「ソウム〔相武〕」

   (阿曇語)seg-mah 〔雨-大きい〕大雨

  「イセハラ〔伊勢原〕」

   (阿曇語)eš-hal 〔雨-配る〕雨を降らす

  「アフリ〔阿夫利〕」<大山にある神社名>

   (阿曇語)a-hal 〔水-配る〕水(雨)を降らす

  「アウ〔大<山>〕」

   (阿曇語)a-u₁₄ 〔水-嵐(雷)〕嵐の雨(水)

  ※大山の阿夫利神社は「雨乞い」の神社

 「伊勢國風土記」逸文:伊勢國號

  其の邑に神あり。名を伊勢津彦と曰へり。天日別命問ひけらく、

  「汝の國を天孫に献らむやと」いへば、答へけらく~.

  「吾が國は悉に天孫に献らむ。吾は敢へて居らじ」とまをしき。~

  「吾は今夜を以ちて、八風を起して海水を吹き、波浪に乗りて東に入らむ。

   此は即ち吾が却る由なり」とまをしき。」~中夜に至る比(ころ)、

  「大風四(しも)に起りて波瀾(なみ)を扇挙げ、光耀きて日の如く、

   陸も海も共に朗らかに、遂に波に乗りて東にゆきき。

   古語に神風の伊勢の国、常世の浪寄する國と云へるには、

   著しくは此れ、これを謂ふなり。」

 ※伊勢都彦命は伊勢より東の「相武」へ遷って来たのであり、

  その名を負うのは「伊勢原」である。

  浅間山[平塚市万田の西隣り高根と大磯町との境界の山名]

   浅間山《朝熊山[あさま山:伊勢市]

  その地は「大風」と「光耀」の地であり」、「猿田彦神」信仰の地であった。

  伊勢都彦命は「神風」を起させた神性を持つ。

  つまり、「猿田彦神」が遷座したことになる。

 ※天白神「天・パク・神」

  (阿曇語)bugin 泉:"天の泉(雲)の神"

  高根[平塚市:浅間山の山麓]

  (阿曇語)dug-ni [甕-高い(上の)](水を)溜めている天の壺:雲

 17.江野財臣一族の「猿田彦神」信仰

  ※「江野」は「泉」の語義

    (Heb.)ֶיִנ,IYN,eyin 泉[井戸]

   同族は大和国忍海郡で金の鋳造に係わり、

   砂金を採るなどには清い「泉の水」が必要であった。

  ※ヘブライ系の同族にとっては、

   旧約聖書「出エジプト記」がホレブ山の岩石を杖で突いて

   水を湧き出させた「モーセ」は信仰の対象とするのに絶大である。

   しかもモーセは白髪[毛]となったと記されている。

   さらには彼は彼の族類をエジプトから脱出させる際

   神助けによって「嵐」を起させた。

   つまり「白髪」の"神"とされているのである〔白鬚神〕。

   博西神社〔奈良県葛城郡寺口.(旧)大和国忍海郡寺口〕

   「ハクセイ〔博西〕」

    (Heb.)הִכהֶסִפ,HKhSYP,hikhesip (髪が) 白くなる

 ※江野財臣の後裔は「泉」と供に「白髪[鬚]神」を、

  しかも「風雨の神」猿田彦神をその祭神として崇敬し、

  武蔵國高麗郡の高麗神社の祭神として祀るようになったのである。

  埼玉県高麗郡周辺などにある白鬚神社では

  「猿田彦神」の石像が多く像られ、境内に安置されているが、

  その多くは「杖」を持ち、

  「頭髪」及び「鬚」が風に吹かれて横様になっている。
 
  この像影は明らかに「モーセ」の姿である。

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