2014年2月17日月曜日

建内宿禰・若子宿禰及び高麗神社(1)


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 《考古学&古代史の諸問題》 

 《参考:年表・資料》



 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦 

 建内宿禰・若子宿禰及び高麗神社(1)

 1.高麗(こま)神社〔全国神社名鑑〕

  埼玉県入間郡日高町新堀町[(現)日高市新堀]

  祭神 高麗王若光、猿田彦命、武内宿禰

  由緒:霊亀二年武蔵国に高麗郡の置かれた時、
   
     その首長である従五位下高麗王若光が

     郡中の繁栄を祈るため、

     日頃崇敬した猿田彦神と武内宿禰を祀り、

     白鬚神社と称したのが創始といわれる。

     若光が没してのち、従者らが霊廟を建て

     高麗明神と崇めた、やがて白鬚神社と合祀し、

     高麗大明神と名付け、同郡の総鎮守として

     人々の信仰が篤かった。〔霊亀二年:716年〕

 2.「続日本紀」文武天皇 大宝三年四月〔703年〕

    乙未(4日)従五位下高麗若光に王の性を賜ふ。

 3.「埼玉叢書」第六巻 御役所 〔明治期に記された〕

   武蔵國高麗郡高麗郷古傳

  続日本紀巻之七、元正天皇霊亀二年以<2>駿河・甲斐・相模・上総・下総・

  常陸・下野七國高麗人千七百九十九人<1>遷<2>于武蔵國<1>置<2>高麗郡<1>、

  土人傳ヘテ云フ、高麗王若光國亂ヲ避ケ親族重臣ト共ニ國家ニ帰化ス、

  諸ノ臣民之ニ従フ者相尋テ帰化ス。

  若光又孝清ト云フ、

  高麗郷ハ高麗王ト居ノ地タルヲ以テ親戚貴族多ク此ニ群居セリ、

  其後或ハ散シテ開墾ニ就ク、高麗王猿田彦大神ヲ崇敬シ郡中ノ榮盛ヲ祈リ、

  因テ一社ヲ建白鬚大神ト称シ、武内宿禰ヲ配祀ス、 

  神護著ク高麗王モ又善ク衆ヲ撫シテ衆人稍シ生計ヲ安ンズ。

  其没スルニ及テ貴賎相集リ其霊ヲ祭リテ高麗明神ト崇メ、

  遂ニ白髪神社ニ合祀ス、高麗神社之ナリ、【新堀村内字大宮ニ在リ】

  諸氏散シテ各村ヲ開ク者、白髪神社ヲ各地ニ遷スニ及テ、

  高麗神社ヲ大宮ト称シ又高麗惣社ト特称ス、【中古記スル者問ウ之アリ】

  郡中白鬚神社最多シ、中古二十一社ノ称アリ。

  高麗神社ハ往昔大宮山ノ巓字御殿ノ上ニ在リシヲ

  中古其東麓今ノ地ニ遷セリト云フ、…略…

  郷中著族ト雖高麗氏ヨリ出ル者ハ井上・駒井ノ二氏ナリ、

  高麗性ノ者井ニ釣瓶ヲ忌ムコト何ノ謂タルヲ知ラスト雖、

  井上氏ノ新堀村ニ在リ駒井氏ノ横手新堀村ニ在ル者皆之ヲ固守シ、

  汲ムニ柄杓ヲ以テシ、千古傳ヘテ家例ト云フ、

  駒井舊ト高麗井ト書ス、…略…

 4.高来神社〔神奈川県中郡大磯町高麗〕

  「筥根山縁起」

   次 神功皇后討<2>三韓<1>後有<2>武内大臣奏<1>云、

   奉<2>請異朝大神<1>而令レ祈<2>願天下長安寧<1>矢、

   即奉レ遷<2>百済明神于日州<1>、奉レ遷<2>新羅明神于江州<1>、

   奉レ移<2>高麗神和光于当州大磯聳峰<1>因名高麗寺

  ※武内[建内ッ宿禰が係わっていた

  ※「大礒」は「大磯」で町名であるが同地に

   「小磯」地区があることから「磯」地となる。

   この「磯」の漢字語義は岩石が露出している砂磯のない海岸[広辞苑]で、

   砂浜が続く湘南海岸にはふさわしくない地称である。

 ※「イソ[磯]」

   (Heb.)עשר,IShR,isher 財産、富。〇豊かさ、豊富◎「財」 をあらわす

   大磯町高麗の東境、平塚市との間を流れる

   川名が「金目川」で「財」に対応する。

   またその別称が「花水川」であるが「カスイ」は

   「高麗郡高麗郡古傳」がいう「若光」の別名「孝清[コウセイ]」に対応し、

   いわゆる「若光」が初め尾お磯町に居り、

   後の機に日高市の「高麗」へ遷ったことを表わしている。

   因みに大磯町大磯には「高麗王」の「王」によるとみられる「王城山」

   そして、その麓には「長者町」の字名が現在もある。

   「長者」とは財力を備え権勢をも持った者の呼称である。

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