「古代史ブログ講座」開講にあたって
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
調神社
調神社
調神社(埼玉県さいたま市浦和区)
調神社と岸:さいたま市浦和区
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
調神社と岸:さいたま市浦和区(6)
「続日本紀」巻三十一 光仁天皇 宝亀二年(716年)十月
己卯<廿七>。
太政官奏。
武蔵國雖属山道。
兼承海道行使繁多。
ネ+弖供難堪。
東山驛路。
従上野新田驛。
達下野國足利驛。
此便道也。
而枉従上野國邑樂郡。
經五ヶ驛。
到武蔵國事畢去日。
又取同道向下野國。
今東海道者。
従相模國夷参驛。
達下総國。
其間四驛。
往還便近。
而去此就彼損害極多。
臣等商量。
改東山道。
属東海道。
公私得所。
人馬有息。
奏可。
◎掘津郷 「和名類聚抄正」武蔵國足立郡 「発度」
※同郷は当地のこと、(現)白幡沼、別所沼」と「沼」名になっている
この「系流」はかって荒川へと繋がる「堀」であったと推測され、
調神社の根元域に船着場、つまり「津」が設けられ、
そこから調宮の「蔵」で集荷・収納された物品「調」が
舟によって運ばれた時期があったことを示している。
睦神社[浦和区白幡]
「ムツ」「ムツノ」 medoh 支配者、 medou 守護する、支配する
※この神社の地所に「調」を管理監督する役目の「支配者」が居た
白幡番場、「番場」は「番所」と同義
根岸[浦和区、睦神社の近く、白幡の東隣り]
ネ[根] nau 船、ネ岸 ここに船着場があった
堀津の「津」は、"みなと"つまり「船着場」の語義
※岸町の西方に「西堀」の町名がある。
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