2014年2月10日月曜日

調神社と岸:さいたま市浦和区(6)

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 調神社
 調神社
 調神社(埼玉県さいたま市浦和区)
 調神社と岸:さいたま市浦和区

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 調神社と岸:さいたま市浦和区(6)

 「続日本紀」巻三十一 光仁天皇 宝亀二年(716年)十月

 己卯<廿七>。

 太政官奏。

  武蔵國雖属山道。

  兼承海道行使繁多。

  ネ+弖供難堪。

  東山驛路。

  従上野新田驛。

  達下野國足利驛。

  此便道也。

  而枉従上野國邑樂郡。

  經五ヶ驛。

  到武蔵國事畢去日。

  又取同道向下野國。

  今東海道者。

  従相模國夷参驛。

  達下総國。

  其間四驛。

  往還便近。

  而去此就彼損害極多。

  臣等商量。

  改東山道。

  属東海道。

  公私得所。

  人馬有息。

  奏可。

  ◎掘津郷 「和名類聚抄正」武蔵國足立郡 「発度」

   ※同郷は当地のこと、(現)白幡沼、別所沼」と「沼」名になっている

    この「系流」はかって荒川へと繋がる「堀」であったと推測され、

    調神社の根元域に船着場、つまり「津」が設けられ、

    そこから調宮の「蔵」で集荷・収納された物品「調」が

    舟によって運ばれた時期があったことを示している。

  睦神社[浦和区白幡]

    「ムツ」「ムツノ」 medoh 支配者、 medou 守護する、支配する

   ※この神社の地所に「調」を管理監督する役目の「支配者」が居た

    白幡番場、「番場」は「番所」と同義

  根岸[浦和区、睦神社の近く、白幡の東隣り]

   ネ[根] nau 船、ネ岸 ここに船着場があった

   堀津の「津」は、"みなと"つまり「船着場」の語義

  ※岸町の西方に「西堀」の町名がある。

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