2014年2月5日水曜日
謎のサルタヒコ
「古代史ブログ講座」開講にあたって
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
諏訪大社
諏訪大社
Wikipedia:氷川神社
Yahooh検索『武蔵一宮:氷川神社』
武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:謎のサルタヒコ:鎌田東二編著・創元社
「風で衣をひるがえす猿田彦像」
◎猿田彦の像塔の造立地域
庚申信仰の掛軸や庚申塔には何種類かの猿田彦の像が見られるが、
そのなかに、風に吹かれ、衣をひるがえしている
猿田彦の像が何基もあることが知られている。
そこでつぎに、
この「風に吹かれる猿田彦像」の源流と伝播について調べてみたい。
地蔵とか観音など仏の姿を石仏として石に彫刻することは、
わが国ではかなり古くから行われてきた。
しかし、神の姿を石に彫ることはきわめて珍しく、
縄文の昔から手を加えない自然石そのものを神として礼拝するのが、
わが国古来の慣習であった。
従って、猿田彦と鈿女の石像も室町以前のものはなく、
江戸時代の後半から、ようやく彫造され始めている。
この二神の石刻像は庚申塔でもきわめて少なく、
貴重なものとなっている。
ところが、猿田彦の石像を比較的多く遺存している地域がある。
まずその実例を掲げよう。
図は 野田市 清水八幡神社の猿田彦大神の石像である。
上部に日と月を刻み、正面向きの猿田彦が、
両手で杖をついて立っている。
長いあごひげや衣の袖が風に吹かれてなびいている。
下部には雲が彫られ、台石には三猿がある。
この塔は文政六年(1823)十月の建立で
「清水邑」の「講中三十七人」によって建てられたものである。
この石像と同じ姿の「風に吹かれる猿田彦」の庚申塔が
密かに分布している地域が、
千葉県の最北部で、北に舌状に伸びた野田市付近である。
この地域は利根川から分流した江戸川の流域地帯で、
西に埼玉県、北に群馬、栃木、茨城の諸県が隣接している。
この地域のうち、まずはじめに埼玉県の猿田彦の刻像塔を列記しよう。
①北葛飾郡杉戸町堤根香取神社。
角柱型。文政九年(1826)丙戌拾二月吉祥日。
②北葛飾郡庄和町倉常、愛宕神社。
丸彫り。文政十三年(1830)庚寅十一月良日。
③川口市飯塚四丁目。正面向き杖突き、板駒型。弘化三年(1846)。
④川口市金山、善光寺。上部富士山。嘉永六年(1853)五月吉日再建。
以下略………………………………
※アブラハムあるいはモーセ[sur-du 雨を降らせる=猿田彦]
『白鬚神社〔埼玉県〕「全国神社名鑑」』
川越市下小坂
川越市笠幡
川越市吉田
川越市豊田本
川越市大袋
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入間郡日高町大谷沢
入間郡鶴ヶ島町脚折
大里郡川本村上原
大里郡寄居町金尾
大里郡寄居町折原
大里郡寄居町三品
大里郡岡部町岡
《Key Word》
猿田彦
猿田彦
庚申信仰の掛軸
庚申塔
地蔵
観音
石仏
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