2014年2月16日日曜日

高麗郡の成立と「武蔵国」


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦 

 高麗郡の成立と「武蔵国」

 ○「続日本紀」

  元正天皇 天平霊亀二年〔716〕五月

   辛卯(16日)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の七国の

   高麗人を千七百九十九人を以て、武蔵国に遷し、高麗郡をおく。

 ○「和名類聚抄」巻六(二十一ウ)

  武蔵国 

   高麗郡 高麗(古万)、上総

  ※相模の高麗人

   高来神社[旧名高麗権現社]:(現)神奈川県中郡大磯町高麗山

   「コウライ〔高来・高麗〕」

   (Heb.)גולה,GVLH,guolah(祖国から)追放され離散したヘブライの居留地

 ○高麗郡〔武蔵国〕

  高麗本郷(現・日高市:こまほんごう)

  「コマモト・郷」(Heb.)קוממיוט,KVM,MYVT,komemiyut 独立、主権

  九万八千神社[現・日高市高麗本郷内、同郷の鎮守社、くまはっち]

  「クマヤチ」(Heb.)上記同語קוממיוט,KVM,MYVT,komemiyut 独立、主権

       <九万八千は「クマン(ム)」とも>

 ※つまり、「クマモト」・「クマヤチ」の祖語は同じ用語であるから同義

  しかも、

  この地に「コウライ[高来・高麗]」の人々の

  独立国(地)を得たことを示している。

 ○武蔵国

  ※「コウライ」の人々が自分達の自治的独立国[地]を得たことにより

   「〔牟佐志〕は武蔵」となった。

  ※「ムソウ〔武蔵〕」

   (Heb.)משב,MShV,mossheu ヘブライ人に与えられた土地

   旧約聖書「ヨシュア記」

   ヘブライ人たちは「出エジプト[エジプトよりの脱出]」後、

   カナアンの地にそれぞれ各支族毎に

   モーセ[משה,moses]によって入植地を割き与たえられた。

   そのことにより、彼等の地を「モーセの地」と称するようになり、

   ヘブライ人たちの植民地を「モシェラ」といい、

   「ムソウ〔武蔵〕」はその音写が基である。

  ※この条件下の「コウライ[高来・高麗]」は「独立」を表わす

   「コマ[Kome]」と呼称するようになった。

   「コウライ」は悲しい表現であるが、「コマ」は喜ばしい表現で、

   もてはやされることとなったのであろう。

   和名類聚抄称は「高麗」を「古万」と訓じている〔平安時代初期〕

   ・「古万」は「コマン」と訓める。

    つまり、「九万」と同じ。

  ○高指山〔日高市高麗本郷・清流の境界の山名〕

   「コウシ[高指]」

    (Heb.)גבוש,GVVSh,giush 統合、単一化

    (Heb.)גבש,GVSh,guiush 一つに纏まる、統合する、(計画を)具体化する

    (Heb.)גבש,GVSh,guuesh 一つに纏められる、統合される

  ○日和田山〔日高市高麗本郷・清流の境界の山名〕

   「ヒ[日]」

    (Heb.)פה,PH,peh 口、(開いている)穴、口

   「ワタ[和田]」

    (Heb.)בת,BAT,bat 岩、石

   「ヒワタ[日和田]」

    (Heb.)בת_פה,PH_BT,peh_bt 口[口-岩]、岩口

     ◎岩口神社:日高市多波目

   「タワメ[多波目]」、「タワメ[多波目/日高市]」

    (Heb.)טהומ,THVM,tuehon 地下水、深淵

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