2014年2月10日月曜日
調神社と岸:さいたま市浦和区(5)
「古代史ブログ講座」開講にあたって
Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
調神社
調神社
調神社(埼玉県さいたま市浦和区)
調神社と岸:さいたま市浦和区
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
調神社と岸:さいたま市浦和区(5)
「岸」キシ:カシ[河岸]
<広辞苑>河川の岸の舟から人または荷物を揚げ降ろす所。
海や湖の岸にも謂う。
「キシ」 öxìthi〔えきし〕高み、川岸、川堤、堀の土手
oxthos〔おきそす〕高み、丘、塚、川岸、陵墓
xoos〔こおす〕積み上げられた土
xow〔こおう〕(塚)を築く
<複数形>xousi〔こおうし〕積み上げる、盛り上げる
※「岸きし」の本来の語義は「蔵」を建てるために築かれた「丘」、
つまり、「積み上げられた土塁」である。
「角川歴史地名大辞典」の
浦和宿の小字名「御蔵山」の「山」に当たる。
「ヤバ(矢場)」あるいは「弓場」
yupha 〔ゆぱ〕高い所
※(現)浦和公園の区域には、小高い丘(塚)が築かれ、
その上に「蔵」が建てられていたのである。
同地は大宮大地の南端で、
北、東、南は崖になっていて、
侵入が難しく、安全上適地であった。
この「蔵」は高床式建物とすれば、
建物の支柱を土中に埋めて、
より堅固なものとしたものとも考えられる。
◎下木崎村(旧)の御室社の「室」は「蔵」の別称で、
当地の「皇山」町名の「皇こう」は
上記の xoos、xow の音写で、
ここにも何らかの「蔵」が建てられていたのであれば、
その土塁である「丘」が「山」と通称されたものであるし、
調神社の信仰者の地であれば、
その性格を取り入れたものである。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿