2014年2月8日土曜日

調神社と岸:さいたま市浦和区(4)


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 調神社
 調神社
 調神社(埼玉県さいたま市浦和区)
 調神社と岸:さいたま市浦和区

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 調神社と岸:さいたま市浦和区(4) 

 「調」

  貢物を朝廷へ呈出語義である。

  「租・庸・調」の制は、紀元671年後

  律令制度が始められてのものであり、

  調神社が伝承として伝える

  崇神天皇時代などには無かったものである。

  「調」とは朝廷が各地[国]より徴収した「物品」で、

  その地方の特産品が多かった。


 「続日本紀」巻六。和銅六年(713年)5月 元明天皇

  癸酉(十一日)

   相模、常陸、上野、武蔵、下野の五国の輸す調、

   元来是れ布なり、今より以後、絁、布並びに進らしむ。

 「続日本紀」巻七。霊亀二年(716年)5月 元正天皇

  辛卯(十六日) 駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七国の高麗人

  千七百九十九人を以って武蔵国に遷し、高麗郡を置く。

 ※調宮は、和銅6年の朝廷の方針によって施けられた

  「調」の物品を集荷・収納しておくための「倉」「蔵」で」あった。

 「延喜式」巻二十四」、主計上 ○延喜901~923年(平安時代)

  武蔵国 調、緋帛六十丈、紺布六十丈、黄帛一百丈、紺布九十端、

  縹布五十端、黄布卌十端、

  自餘-輸絁、布

     庸、輸布

  ★8世紀初頭には全くなかった朝廷への貢物の「絁」が

   平安時代10世紀初頭にはこのように大量の「絁」・「帛」が

   送(輸)られるようになった。

 ◎「調」を「ツキ」と称するのは、この地〔武蔵〕以外には無い。

  无邪志国造 兄多毛比命を粗とする人々の用語

  「ツキ」 taksis 割当(量)、査定 

         ※朝廷が徴収する物品の「割当」:「調」

      taksos [植物] イチイ つまり"イチョウ"銀杏を指す。

         ※調神社境内には銀杏が多い。

   「槻」ツキ:「欅」ケヤキの一種

         ※調神社境内には欅の木が多い。

  ※調神社の境内・敷地の形状が中仙道側が一番広い。

   イチョウの葉の形に似て、奥が狭くなっている。

  「ツキ」 theki 容器、箱

      apo-theki 倉庫、穀倉

  ※「ツキ」は「倉」「蔵」を表わす。

   「新編武蔵風土記稿」 御蔵入、御蔵蹟[蔵山]:岸村の小名

   「社寺戸籍部・社寺」~調御倉社~

   「角川歴史地名大辞典」 御蔵山:浦和宿の小字名

 《Key Word》

 続日本紀
 続日本紀

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