2014年2月12日水曜日

天之菩卑能命(天菩比命):天穂日命(1)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 (1)「古事記」:岩波文庫・倉野憲司校中

  天の安河の誓約(うけひ)

  故ここ(爾)に各天の安の河を中に置きて誓(宇氣布)ふ時に、

  …略…速須佐之男命、天照御神の左の御角髪(美豆良)に纏かせる

  八尺の勾璁の五百箇の御統(美須麻流)の珠を乞ひ度して、

  瓊音ももゆらに(奴那登母母由良爾)、天の眞名井に振り滌ぎて、

  さ嚙みに嚙み(佐賀美邇迦美)て、

  吹き棄つる氣吹のさ(狭)霧に成れる神の御名は、

  正勝吾勝勝速日天之忍穂耳(天之菩卑能)命。

  【菩より下の三字は音を以ゐよ】

  …略…

  天菩比命の子、建比良鳥命

  【此は出雲國造、无邪志國造、上莵上國造、下莵上國造、

   伊自牟國造、津島縣直、遠江國造等が祖なり】

  ○葦原中國の平定

   爾に思金神及八百萬の神、謀ししく「天菩比神、是れ違はすべし」

   とまおしき、故、天菩比神を違はしつれば、

   及ち大國主神に媚び附きて、三年に至るまで復奏さざりき。

 (2)「出雲國造神賀詞」

  高天の神高御魂の命の、皇御孫の命に天の下大八島國を

  事避さしまつりし時に、出雲の臣等が遠っ神「天のほひの命」を

  國體見に遣はしし時に、天の八重雲をおし別けて、

  天翔り國翔りて、天の下を見廻りて返事申したまはく、

  「豊葦原の水穂の國は、

  晝は五月蝿なす水沸き、

  夜は火瓫なす光く神あり。

  石ね・木立・青水沫も事問ひて荒ぶる國なり。

  しかれども鎮めて平けて、

  皇御孫の命に安國と平けく知らしまさめむ」と申して、

  己命の兒天の夷鳥の命にふっぬしの命を副えて、

  天降り遣はして、荒ぶる神などを撥ひ平け、

  國作らしし大神をも媚び鎮めて、

  大八島國の現つ事、顯し事避さしめき。

 (3)「日本書紀」:岩波文庫

 天安河の誓約(神代上)

  素盞鳴尊、天照大神の髻鬘及び腕に纏かせる、

  八坂瓊の五百箇の御統を乞い取りて、

  天眞名井に濯ぎて、𪘚然に咀嚼みて、

  吹き棄つる氣噴の狭霧に生るる神を號けまつりて

  正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と曰す。

  次に「天穂日尊」。【是出雲臣・土師連等が祖なり】

  一書 天穂日命、【此出雲臣・武蔵國造・土師連等が遠祖なり】

 ○葦原中國の平定(神代下)

   高皇産靈尊、八十諸神を召し集へて、

   問ひて曰く

   「葦原中國の邪しき鬼を撥ひ平けしめむと欲ふ。

    當に誰を遣さば宣けむ。

    惟、爾諸神、知らむ所をな隠しましそ」とのたまふ。

   僉曰さく

    「天穂日命は、是神の傑なり、試みざるべけむや」とまうす。

   是に、俯して象の言上順ひて、即ち天穂日命を以て往きて平けむ。

   然れども此の神、大己貴神に依り媚びて、三年に比及りまで、

   尚し報聞さず。

   故、仍りて、其の子大背飯三熊之大人、【大人、此をば于志と云ふ】

   亦の名は武三熊之大人を遣す。

   此還其の父に順りて、遂に報聞こさず。

  ◎天菩比命・建比良鳥命の後裔「日本古典史学大系(岩波書店)の注」

   出雲國造       出雲國(島根)、國造となり、杵築宮を祀る。

   无邪志國造      武蔵

   上莵上(カミツウナカミ)國造  上総国海上郡の地

   下莵上(シモツウナカミ)國造  下総国海上郡の地

   伊自牟國造      上総国夷灊(いじむ)郡の地   

   津島縣直       対馬の上県郡・下県郡

   遠江國造       (静岡県・遠江)  

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