2014年2月6日木曜日

調神社と岸:さいたま市浦和区(1)


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 調神社
 調神社
 調神社(埼玉県さいたま市浦和区)
 調神社と岸:さいたま市浦和区
 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦 

 〔延喜式「神名帳」武蔵国足立郡調神社"ツキノ"〕

 「全国神社名鑑」

  調神社(つきの宮)浦和区岸町3の17の25

   祭神:天照大御神、豊宇気姫命、素盞鳴尊

   由緒:延喜式内社の古社で、創建は開化天皇の時代と云われ、

      朝廷及び部門の崇敬が篤かった。

      崇神天皇の勅使倭姫命が、

      当時高鼻郷の清浄な岡に調物を納める倉を建てられ、

      武蔵野の初穂米調集納運搬所として定められた。

      延喜五年菅原道真が参向。

      神社調の延喜式内国祭として奉幣使来拝者と定めた。

      (延喜の制国幣小社)

      宝亀二年従五位下中臣朝臣常恣勅使奉幣を賜う。

      調宮(つきのみや)は調(みつぎ)の宮の略で、

      屯倉が諸国におかれたときの屯倉の所在地であり、

      その跡に祭祀した社のことをいう。

 「調神社(つきのみやじんじゃ)の由来」〔調神社発行〕

  祭神 天照皇大神、豊宇気姫命、素盞鳴尊の三柱

  社名を調(つき)神社、地元では「つきのみやさま」と愛称されている。

  「調宮縁起」によれば、第十代崇神天皇の勅命により創建。

  調とは「租・庸・調」の調で伊勢神宮へ納める貢(調)物の初穂を

  納めた倉庫郡の中に鎮座していたと伝わる。

  (鳥居無きはその為と伝わる)

  平安時代に編纂された「延喜式」に記載される

  武蔵国四十四座のうちの一つである。

  中世、調が月と同じ読みから、月待信仰に結びつき、

  江戸時代には月読社とも呼ばれ、

  月神の使いとされる兎の彫刻が旧本殿や現在の社殿に、

  狛犬の代わりに兎の石像が境内入口両側にある。

  神域は約1万2千平米、欅、銀杏の大樹が鬱蒼と茂る鎮守の社と

  江戸時代末に建立の権現造の社殿が悠久の歴史を今に伝えている。

  毎年十二月十二日には「十二日まち」が開催され、

  神社では「かっこめ」を頒布、境内を中心に縁起物の熊手をはじめ

  様々な露店がが立ち並び、近在からの人手で賑う。

  ご利益は、運否天賦の「ツキはツキを呼ぶ」との謂れから、

  幸運を授かると信仰される。

 [日本歴史地名大系、埼玉県/平凡社]

  調神社(つきじんじゃ)(現)浦和市岸町三丁目
 
  大宮大地の南端に位置する。調宮(つきのみや)の名で広く知られる。

  旧県社、祭神は天照大御神、豊受比売命で素盞鳴尊を配祀する。

  「延喜式」神名帳に登載される足立郡四座のうちの

  「調(ツキノ)神社」が当社に比定される。

  社名から調を収納した足立郡の御倉(神座)に

  祀られていた神が発展したものと考えられる。

  同郡の調は東山道を通じ朝廷に送られたが、

  宝亀二年(771)武蔵国が東海道に所属すると、

  御倉は役目を終え神社として祀られようになったという

  (式内社調査報告書)

 《Key Word》

 全国神社名鑑

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